どうしたらいいのかず考えおも答えは芋぀からなかったが、考えずにはいられなかった。
 これはロシア人の尊厳にかかわるこずなのだ。
 ロシア人殺人者、ロシア人野蛮、ロシア人非道ずいう間違ったむメヌゞを払拭しないず倧倉なこずになるのだ。

 しかし、為す術はなかった。
 東京で反戊デモに参加したこずはあったが、それで䜕かが倉わるわけではない。
 せめおロシア倧䜿通に僅かでも圱響を䞎えられればいいが、その可胜性はれロず蚀っおもいい。
 プヌチンにも軍郚にも䌝えられるこずはないのだ。
 無駄ずは思わないし倧事なこずだずは思うが、なんの倉化も䞎えられない無力を痛感せざるを埗ない。

 では、どうする
 問いかけおも、銖を振るこずしかできなかった。
 日本にいお、日本人の倫がいお、䜕䞍自由ない平和な暮らしをしおいるロシア人ができるこずは限られおいるのだ。

 でも  、
 西の空を芋぀めながら7,500キロ先の祖囜を想った。
 スラブ䞉原色の囜旗がたなびく祖囜を想った。
「癜は高貎ず玠盎、青は名誉ず玔血性、赀は愛ず勇気。それに、癜はベラルヌシ人、青がりクラむナ人、赀がロシア人。なのに  」
 零(こが)れた涙が頬を䌝わっお口の端で止たった。舐めるず、血の味がしたような気がした。
「わたしはロシア人  」
 その呟きは飛び立぀こずもなく地に萜ちた。