「ごめんなさい、お父さんの容体を聞くのに必死になってしまって肝心なこと伝えられなくて……」
「いえ、大丈夫です」
こんな状況で家がなくなったなんて言えるわけがない。
どうしよう、今からお父さんの元に行くわけにもいかないし……。
もはや寄付金どころではなくなってしまった。
家のものすべてが燃えカスになったわけじゃないけど、とても住める状況ではない。
やばい、どうしよう。
このままだと私……、
「野宿……?」
紗良ちゃんに連絡したら泊めてくれるかもしれない。
お母さんのユラさんは映画の撮影中でずっと家にいないらしいし。
でもでも、一晩ならまだしもずっとなんて絶対無理だ。
どうすれば……!!
途方に暮れて夜の公園のブランコに座った。
着替えとか学校のものとか最低限のものを旅行用バッグに詰め込んできた。
アパートのことは大家さんにお任せした。
行く宛はあるのかと心配され、友達を頼ってみますと答えた。
バイト先にも連絡しなきゃいけないし、学園は……流石にやめるしかないよね。
「ああ、どうしよう……」
前向きなことが取り柄の私も、流石に心が折れるな。
色んなことが一気に起こって、全然頭がついていかないや。
「はあ……」
「ため息なんてついてどったのー?」
誰に話しかけてるんだろうと思ったら、どうやら私?
私の顔を覗き込んでいたのは、口元にピアスをあけた大学生くらいの男性だった。
その隣には金髪の男性もいる。
「一人なん? 大丈夫?」
「つーかその制服、糸奈学園のじゃね?」
「マジで? あの超金持ち学校だろ?」
「糸奈のお嬢様がなんでこんなとこいるの? 家出?」
「あー、堅苦しい家から抜け出したかった的な?」
二人は勝手にベラベラとしゃべっている。
お嬢様どころか家もお金もないんだけど。
「わかる〜、思春期あるあるだよな〜」
「俺らが息抜きの仕方教えてあげるよ」
そう言ってぐいっと腕をつかまれる。
突然触られてビクッとした。
「めっちゃ楽しいことしようよ」
「あ、いや……」
「大丈夫、大丈夫。マジで楽しいから!」
やだやだ、こわい!!
なのに声が出せない。
「……っ、」
誰か助けて……助けて!!
ぎゅっと唇を噛みしめて心の中で叫んだ、その時だった。
「――離せよ」
見知らぬ低い声が聞こえた。
私の腕をつかんでいた男性の腕をぎゅっとつかみ上げていた彼の髪は、鮮やかなピンク色だった。
あれ、もしかして……
「嫌がってんの見てわかんない?」
「だっ、誰だお前」
「お前らみたいなクズに名乗る必要ない。通報されたくなかったら離せよ」
「何だと、クソガキ!」
やばい、殴られる……!
そう思ったけど、もう一人の顔が急に青くなった。
「おい待て、こいつの制服も糸奈だ!」
「お坊ちゃんってことか? 金待ってそうだもんな」
「バカ、そんなもんじゃねぇよ! 白いブレザーってことはそいつ、権力者の息子かも……!!」
それを聞いて腕をつかんでいた口ピアスの人は、目を大きく見開いてピンク髪の彼を凝視していた。
「権力者かどうかはともかく、お前らのこと調べ上げて二度と外を歩けなくさせることはできるけど?」
「……っ!!」
「顔はしっかり覚えたから」
「ひ……っ、うわーー!!」
二人とも蒼白になって逃げ去ってしまった。
ホッとした私は、一気に力が抜けてへたり込んでしまう。
こ、こわかった……。
「大丈夫?」
ピンク髪のイケメンと初めて目が合った。
改めて見てもとても綺麗な黒い瞳をしている。
「あ、ありがとうございました……!」
慌てて立ち上がって深々と頭が下げる。
「あなたが来てくれなかったら、どうなっていたか! 本当にありがとうございます!」
何度も九十度直角に腰を曲げてお礼を言う。
「――俺のこと、わかんない?」
「えっ」
思わず顔を上げた。
「久しぶりだね、“つづちゃん”」
あれ、その呼ばれ方は――。
その瞬間、私の脳裏に懐かしい記憶がフラッシュバックした。
「……あやくん?」
「そ。久しぶり」
彼の笑顔には、懐かしくてかわいい私の“弟”の面影が確かに存在していた。
「本日から家政婦としてお世話になります、佐野紘子と息子の綺世です」
「さのあやせです」
初めて会ったのは、私が八歳であやくんが六歳の時。
まだ会社が上手くいっていて今より大きなお家に住んでいた時、家政婦としてやってきたお母さんに連れられていたのが、あやくん――佐野綺世くんだった。
あやくんはくりくりとした黒目がかわいくて、天使みたいにかわいい。
お母さんの後ろに隠れて緊張しているのがもっとかわいい。
「はじめまして、つづりです! よろしくね」
「……つづちゃん?」
「綺世、ちゃんと教えたでしょ? 綴さまと呼びなさいって」
「えー、そんなのいいよ! つづちゃんでいいからね」
「つづちゃん」
ほわっと微笑むあやくんは本当に天使だと思った。
住み込みで来てくれることになったので、それから私とあやくんは毎日一緒だった。
「つづちゃん、あそぼ」
あやくんは大人しくて物静かであまりおしゃべりではないけど、私のことを慕って懐いてくれている。
もうそれがかわいくてかわいくて仕方ない。
きっときょうだいがいたらこんな感じなんだろうなと思ったし、実際あやくんは弟みたいな存在だった。
「つづちゃん、すきだよ」
「わたしもあやくん大好きだよ!」
ああ、あやくんってなんてエンジェルなの……。
「じゃあつづちゃん、おとなになったら……」
「ふふっ、わかってるよ!」
「! ほんと?」
「大人になってもずっといっしょだよ! あやくんはわたしの弟だもん!」
大人になっても変わらない。
私たちはずっと一緒なんだと、あの頃は信じていた。
「……おとうとは、けっこんできるのかな」
「ん? どうかした?」
「ううん、ずっといっしょにいてね。つづちゃん」
「もちろん!」
時々置いていかれた子犬みたいな目で見つめるあやくんがかわいくて、私が守ってあげなきゃって思う。
私はあやくんのお姉ちゃんだからね――。
だけど、その約束は守れなかった。
会社が傾き、徐々に苦しくなって家政婦を雇う余裕がなくなってしまった。
私が十四歳、あやくんが十二歳の時、泣く泣くあやくんのお母さんを解雇することになってしまった。
別れの日、離れるのが寂しくて泣きそうになってしまった私に向かってあやくんは言った。
「いつかつづちゃんのこと迎えに行くね。ぼく、つづちゃんのこと守れるような男になるから」
私が守ってあげなきゃと思っていたのに、かわいい天使はいつの間にかカッコいい騎士になっていた。
「うん、絶対また会おうね! あやくん」
いつかまた、きっと会えるって信じてる。
その翌年、千歳商事は倒産した。
離れ離れになってから四年ぶりの再会だった。
まさか、またあやくんと会えるなんて!
「あやくん、久しぶり! わ〜、大きくなったねぇ!」
私より背の低かったあやくんが、今は私よりずっと高い。
見上げなければいけない程だ。
あんなにかわいかったのに大人っぽくなっちゃって……。
「も〜髪の毛ピンクにしちゃって、会わない間におしゃれさんになったんだね〜!」
「……、つづちゃんは変わってないね」
「えっそう? すごく変わったと思うけど……お金もなければ家もないし」
「家?」
「あっ! えっと、実はね……」
かくかくしかじか。
私は火事で突然家をなくしてしまったことを話した。
「お父さんは今地方で出稼ぎ中なんだけど、ギックリ腰と捻挫を同時にやって入院しちゃって。そんな時に家が燃えた〜なんて言えなくてさぁ」
あはは、と乾いた笑みを浮かべる。
「……お母さんは?」
「お母さんは出て行っちゃった」
「そう……」
「あやくんのお母さんは元気?」
「元気だと思う」
元気だと思う……?
「それより、泊まるところあるの?」
「うーん、どうしよう。ネカフェに泊まるしかないかな」
「ネカフェ? それ本気?」
「友達のとこに泊まらせてもらうことも考えたけど、やっぱり迷惑かけちゃうし」
「……」
ネカフェなんて行ったことないけど、意外とシャワーとかついてるみたいだし。
しばらくはネカフェに泊まるしかないのかな……。
「バカじゃないの。危ないことするなよ」
「でも……」
「はあ……危なっかしいところも変わってないな」
私って危なっかしいの??
「うちに来なよ」
えっ……。
「俺ん家近くだから」
「えっ、でも迷惑じゃない?」
「今一人暮らしなんだよね」
一人暮らし!? そうだったの!?
「あそこにあるタワマンの最上階」
あやくんが指差した先にあったのは、この近くで一番高いタワーマンション。
しかもそこの最上階!?
タワマンがあるのは私のアパートからは逆方向であんまりそっちに行くことないし、行っても別世界だなぁって見上げるしかなかったけど……あそこにあやくんが住んでたなんて!
「部屋なら余ってるよ」
「ほええ……」
「どうする?」
「えっと……あやくんが良ければお邪魔してもいい?」
「うん」
「!! ありがとう……!」
うわーーめっちゃ有り難いよ……!!
目の前のあやくんに後光が差して見える。
救世主だ……!!
「よかった、本当はすっごく困ってて……! どうしたらいいのか全然わからなかったの。あやくんなら安心だよ!」
「安心?」
「だって一緒に住んでたじゃない。家族も同然だもんね!」
再会して早々上がり込むのは申し訳ないけど、あやくんなら信頼できる!
「……安心、ね」
「あやくん?」
「何でもない。行こう」
「よろしくお願いします!」
あやくんの新しいお家楽しみだな〜!!
でもなんでタワマンで一人暮らししてるんだろ??
何か事情があるのかな?
それにしてもあのあやくんが目の前にいるよ。
本当に大っきくなったんだなぁ。
「えへへっ」
「何ニヤニヤしてんの?」
「だって〜、嬉しいんだもん」
厄日だと思っていたけど、あやくんに会えたのはすごく幸運だった。
あれ、でも何か引っかかることがあるような??
……まいっか!!
「うふふっ、うふ〜」
「……のんきに笑っちゃって。何もわかってないな」
とにかく嬉しくてハッピーハッピーな私はあやくんの呟きは全く聞こえていなかった。
* * *
「ここが俺の家」
「うわあ……!」
ひ、広い……!!
リビングめっちゃ広い!!
流石は最上階、景色が異次元すぎる!!
大きな窓から一望できる景色の綺麗さと美しさが非日常感ある。
ここから学園も見えるんだ!
「すごいね!?」
「そう? まあ適当に座って」
勧められたソファはふかふかだ!
うちにも昔はこんなふかふかで気持ちいいソファあったなぁ。
「懐かしい。ソファでジャンプして二人で怒られたよね」
「あったね、そんなこと」
なんかもう思い出の一つ一つが懐かしい。
あの頃は楽しかったな……。
お父さんとお母さんがいて、あやくんもいて。
……あ、ちょっとしんみりしちゃったな。
「俺のベッド使っていいよ」
「えっ! それはダメだよ! 私は床で寝るからっ」
「床って……せめてソファだろ」
「いやいや、こんな良いソファ使わせてもらうなんて悪いよ。床で大丈夫だから!」
「いや床で寝かせられるわけないじゃん」
でもでも、突然転がり込んでおいてベッド使わせてもらうなんて申し訳なさすぎる。
――そうだ!
「一緒に寝る!?」
「は?」
「昔もよく一緒に寝てたじゃない! 同じ布団にくるまって!」
あやくんが怖い夢みたって私の部屋に来て、そのまま一緒に寝たんだよね。
うるうるしながら私のところに来たあやくん、かわいかったなぁ。
「……それ、本気で言ってる?」
「うん! 久しぶりに一緒に寝ようよ!」
「……まだ弟扱いかよ」
――あやくん……?
「あのさ、今一緒に寝るのがどういうことだかわかってる?」
「え?」
「俺も男だよ――つづ」
え……?