【鬱病でした】

 鬱病という自覚を植え付けられるように、細かに現段階の私の症状についての分析を医師は語った。
 けど、治療法が薬と休養だけだった。
 期待していたわけじゃないけど、病院に行けば治るものではなかった。ちょっとした虫歯ならその場で治す歯医者とは違うなぁと、家に帰ってぼんやり思っていたら、お昼ご飯の時間になっていた。
 帰りにうっかり寄ったコンビニで当然のように缶酎ハイを二本買っていた。
 半分だけ食べて残していた牛丼をレンジで温め、酎ハイを片手に遅めのお昼ご飯をしていたら、文哉が帰って来た。
「ハネちゃん!」
「うぁ、どうしたの大きな声出して」
「スマホ貸して」
「スマホ?ああ、コートのポケットに入れたままだった。ごめん、連絡くれてたの?」
 文哉はハンガーにかけていた私のコートのポケットから、私のスマホを取りだし、自分のコートのポケットにしまった。
「ハネちゃん。しばらくSNSもスマホも禁止」
「え?」
 脳裏に浮かんだ言葉は一つ 束縛? 文哉が?
「そんなことより、病院どうだった?」
「ああ……まぁ鬱病だって」
「まぁ、そうだよね。よかった」
「よかった?」
「病名があってよかったよ。鬱病ってことは上手く付き合っていくしかないね。俺もずっとネットで調べてたからさ」
「調べてたんだ」
「うん。鬱病の家族との付き合い方とかね。でもさ、結局なんだけどさ……」
 文哉は私が手に持っていた缶酎ハイを奪うとグビグビグビと三口飲んだ。そして、ちょっと減った缶酎ハイを私の両手に包み込ますように返してきた。
「ハネちゃんは、ハネちゃんで、この先もハネちゃんのままだよ。変化していかない人間なんていないし、俺の好きだったハネちゃんに戻って欲しいとかそいう言うんじゃないんだよ。今のハネちゃんのこともちゃんと好きだし、この先、ハネちゃんがどんなに辛い思いをして、傷ついて、悲しんで、泣き叫んで、俺の仕事の邪魔になるようなことをかりにしてきたとしても、ハネちゃんはこんなことしないとか、思ってたハネちゃんじゃないとか、そういう未来だって別にいいんだ」
 ソファーに座る私の隣に文哉はピッタリとくっつくように座った。汗ばんだ手で私の手を強く握り、目があうのを待っているみたいにうつむく私の顔を覗き込んで来た。
 目と目が合った瞬間、私はクスっと何故か笑ってしまった。多分物凄く安心したんだと思う。
 鬱病の人間が、一口に休養しろと言われて、みんなはベッドで眠ることだけを休養と勘違いしている人がいるかもしれないけど、それは違う。元気が出た日はどこに行ったっていいし、笑っていいんだ。
 倒れる前も、仕事を辞めてからも、ちゃんと笑えてなかった気がする。
「結局、何が言いたいかって言うとね『もう無理』って俺は言わないし思わないよってこと。この世界で一番、ハネちゃんを理解できるのは俺なんだって俺は思ってるから」
「じゃあ、私が今考えてること当ててみて」
 ああ。笑うのがこらえきれない。
「今はね……」
 私の顔めがけて文哉の顔が迫って来た。
 顔近ッ!
「あ!顔近いって思ったでしょ?」
「え、なんかそれはズルくない?」
「でも、当たりでしょ?」
 あ。
この人が、私を愛してくれてよかった。
キスとかしなくても、抱きしめ合わなくても、視線が合うだけでこんなに幸せなこと他にない。
「鬱病って病気になったのはハネちゃんだけだけど、一人で戦う必要ないんだよ。俺がいてラッキーくらいに思ってってよ」
「うん。凄くラッキー。どんな薬より文哉の声が好き」
「声だけ?」
「文哉の細胞全部好き」
「そうそう。そういう感じのこと言われると俺も嬉しい」
「一グラムでも、すね毛一本でも、この世に千代文哉が増えるなら大歓迎だよ」
 とてもバカなことを言っている自覚はあったけど、文哉に対して、やっと素直に戻ることが出来て気がして嬉しかった。
「あのさ、文哉、結婚、本気?」
「うん。結婚してくれるって言ってくれるの死ぬ一秒前まで待つよ」
「じゃあ、私は世間で言うお相手の一般女性になるのか……」
「なってくれる?」
「一般女性って、一般ってつくくらいだから特別珍しい存在じゃないし、たくさんいるわけだけど、本当にさ、なんていうか、逆に私でいいの?鬱病だよ?」
「いいじゃないの。鬱病。ハネちゃんが鬱病を否定したら、鬱病だって悲しむよ」
「そういうもんかな」
「そんなもんだよ。いっそ受け入れちゃってさ、仲良くやっていこうよ」
「医者も『鬱病は上手く付き合っていくしかない』って言ってた」
 そういうものなのか。と、やっとこの病気に納得できた気がした。
 同時に、文哉とも、うまくやっていきたいなと思った。
 けど、上手くいくとかいかないとか、そういうんじゃないんだよなって少し考えていた。結局は一緒にいたいかとか、居心地がいいとか、なんか理屈はわからないけど、文哉に俺と結婚しないなら誰とするの?って言われた時から、この先にどんな素晴らしい男性が目の前に現れても、ずっと文哉と比較しながらその人と生活しなきゃいけないんだよなって思わされた気がなんとなくしていた。
 高田馬場、徒歩五分、うるさい電車が三分ごとに真横を走るこの部屋で、私たちは結婚することを決めた。