【現場】

 事務所にSNSをやっていいか訊いたら、意外にもあっさりOKがもらえたので、僕はすぐに呟いた。
「千代文哉です。これからはファンとの距離がもっとちかくなったらいいなと思いSNSをはじめることにしました!よろしくおねがいしmす」
 初の発信だったのに、お願しますを、脱字してしまった。
 偽物だと思われる。そう思ったのに、何故かリプ欄は『脱字がもはや千ちゃんである証拠』とか『千ちゃんみがありすぎる』などで溢れていて、何故かみんな僕だと認識してくれたし、仲の良い声優たちがみんなフォローしてくれたおかげで、なんとかSNSデビューは出来た。
『おはようございます!東京の冬は歩きやすい』
『おやすみなさい。毛布は掛けるより敷いて寝た方があったかいよ』
『水戸くんと焼肉なう』
『先輩たちと集合写真!俺だけ視線ズレてる写真しか撮れてなかった』
 当たり障りのない何気ない日常をSNSにアップするとたくさんの人がイイネ!やコメントをくれた。
 今までハネちゃんだけにしていたことを他の人がこんなに喜んでくれるなんて思わなかった。
 けど、マネージャーの藤原さんが「米田さんの匂わせ炎上の火消し、そろそろSNSでしたいんでしょ?」と、朗読劇の楽屋で二人っきりになったタイミングにスマホをずっと眺めている僕はそう言われた。
「自分の言葉で火消ししようとしたら、もっと大騒ぎになっちゃいますよ」
 そう冷静に返したけど、SNSをはじめたかった本当の理由は、確かに、それだった。
 だからその夜。僕はパソコンで正式な文章を書いた。
 ハネちゃんには言い訳のメッセージを送ったけど「今年はもう雪かきしない」と謎の返事が返ってきただけで、怒ってるのかとか不安になっていないかとか、そういう感情は読み取れなかった。
 僕はまだまだハネちゃんを理解できていないんだ。そう少し反省した。
 ワードに米田アイコとは高校が一緒だっただけで、まともに喋ったこともなければ、東京に来てからも一度も会ったこともないし、そもそも連絡をとったこともない。といった文章を作った。そして、好きな人が他にいることをそえた。
パソコンから画像に変換して呟きに【重大なお知らせ】として載せた。
もう消せない。でも構わない。後戻りする気なんてない。
 すぐに水戸くんから電話が来た。
「もしもし?」
『千代くんすごいじゃん。カノジョさんと連絡とれたの?』
「うん。なんか雪かきもうしないって連絡来た」
『ちょっとまって。それはなんかの比喩なの?月が綺麗ですねを、新潟の人は、もう雪かきしません、っていうみたいな感じ?』
「俺も全然意味わかんないけど、なんかこの先上手くいくような気がしたからさ、米田アイコには悪いけど、売られた喧嘩だし、お釣りくらいもらわないとね」
 スマホのスピーカーの奥で水戸くんの笑いを堪える笑い声が聞こえた。
「どうしたの?俺なんか変なこと言った?」
『千代くんのつぶやき、トレンド全部埋まってるし、もうネットの記事になってるよ。ど~すんのコレ。さすがに怒られるんじゃない?』
「誰に?」
『事務所の社長とかに。どうせ誰にも相談しないで突っ走ったんでしょ?』
「あ。ヤバいのだ。何も考えていなかったのだ」
『千代さ~ん、各所からおこられるんじゃないですか~』
 僕はスマホを持ったまま部屋をグルグルと歩き回った。
「大好きなのはハネちゃんなのだ。ハネちゃんが特定されて攻撃されないように全力を尽くすしか今はないのだ」
『そう、千代くんが頑張るしかないんだからね』
「うん」
 電話を切った後、すぐに兄ちゃんから電話が来た。
「もしもし?」
『今朝、米田さん店に来たぜ』
「うわ、マジ?で、どうなった?」
『ハネの全面勝訴って感じだな』
「やった!」
 そういったけど、ハネちゃん米田アイコに何で勝ったんだろう。
「ってかハネちゃんから『今年はもう雪かきしない』ってメッセージが来たんだけど、何だろう。兄ちゃんなんか知ってる?」
『今、東京に雪はあるか?』
「ううん。今年は降ってない」
『じゃあ、そういうことだろう』
「どういうこと?」
『文哉ってド天然だよな』
「そうなのかな?」
『まぁ、そういうところがお前のいいところだよ』
「ありがとう」
 水戸くんとの電話を切って、兄ちゃんからの電話を切ったら、マネージャーの藤原さんから電話が来た。
『やっとつながった!えーっと、もう!どういうつもり?』
「どうもこうも、プライベートのことなんで……」
『一言相談があってもよかったんじゃない?』
「すみません」
 電話越しでもわかる。滅茶苦茶怒ってる。
『カノジョはこのこと知ってるの?』
「いえ、まだ」
『ノノノンカは地下アイドルだしどちらかと言えば、こっちが被害者だからなんとかなるけど、あなたまだ二十二歳でしょ?自分から好きな人がいるなんて言ったら、もう週刊誌の目から逃げられないからね?』
「覚悟してます」
『あなたはそうでもカノジョさんはどうかしら?』
「フラれるならしかたがないです。でも、俺との人生を受け入れてくれたら俺が頑張ればいいんです」
 結局、僕の考えは変わっていなかった。ハネちゃんが戻ってきてくれて、仕事をして家事ができないくらい追い詰められて、仕事のできない身体になっても、変わらない。家のことは僕がやればいいし、今度はハネちゃんが倒れる前に僕はたかがカレシだけど仕事を辞めさせる。こんな生活をハネちゃんがもう望まないように、僕が稼げばいい。働いてるハネちゃんのこと好きだし応援したかったけど、一緒にいたいんだ。
 僕は一人じゃ東京の冬は冷たすぎる。
 仕事仲間には恵まれたかもしれない。仕事も上手くいっている。何よりも夢だった声優になれた。けど、一人じゃ無理だった。声優になろうって思ったのも、ハネちゃんがオタクだったからだ。ハネちゃんが今の僕を作ったんだ。
『明日から死ぬほど頑張ってもらうわよ。女の影がある男性声優がいつまでも今の人気をキープするには、今までみたいな「頑張る!」って単純な気持ちだけでやっていけると思わないでよ?』
「……わかってます。俺も芸歴四年ですから」
『短いわよ。凄く。馬鹿にしてる?』
「そんなことないですって!」
 芸歴四年って短いのか……ずっとコンスタントに仕事があって仕事と濃密な生活をしていたから、四年って凄いと思ってた。
『たかが四年で調子に乗らないこと。あと、カノジョさんがもし、東京に帰って来るならしばらくは、申し訳ないけど家から一歩も出さないで』
「多分、お願いしたらそうしてくれると思います」
 ハネちゃんは帰ってきてくれたらの話だけど。
『よろしい。明日はプロヴォイスプロジェクトのオーディションよね?』
「はい!」
『遅刻しない、忘れ物しない、気持ちを切り替える。わかったわね』
「はい」
 絶対落ちるわけにはいかない。
 電話を切ったら部屋が珍しく静かになったと思ったけど三十秒後にはベランダの真横を電車が通った。
SNSを覗こうかと思ったけど、やめた。今はまだ、何も知りたくない。
 その後、ちょっと待ったけど、ハネちゃんからも、何も連絡は来なかったので、寝た。