列車の窓から川が見える。
 川の向こうに田圃が並び、はるか彼方に山脈(やまなみ)が見える。
 
 川は上流だからさほど広くはない。何駅か過ぎて夏美は列車を降り、駅前の商店街を抜けて上流から続く川に沿った道を歩く。高校手前の橋まで来ると川幅はかなり広くなる。キラキラ輝く川面から魚が見える。その橋を渡って登校する。
 
 昨日が一学期の終業式だったが一年生にも夏休みの補習授業はあった。今日はその初日だった。夏美はせっかく高校に受かったのに何で一年生の時から放課後の課外授業や夏休みの補習があるんだろうと思った。
 夏美は大学へ行く気はない。県外の医療系の専門学校へ行くつもりだった。それ自体は両親は納得していたが父の修二は金のことで頭を痛めている。医療系の専門学校の学費は高額だ。まして部屋代や生活費もかかる。夏美は言った。 
 私がとりたい資格は視能訓練士で眼科医院ではもちろん、総合病院でも医学部付属病院でも眼科のある所では―眼科のない総合病院など考えられないがー必要とされる人材だから就職で困ることはない。結婚して子供ができても、子育てが一段落したら再就職できる固い仕事(修二はとにかく、固い仕事に就けと夏美に言っていた。それでいて固い仕事とは何だと夏美が問い詰めると口を濁すのだった)だと。
 田圃を売ろうか、と修二は言い、それは先祖代々の田圃だから売らないで、奨学金をもらうからと夏美は言った。
 
 英語と数学の二時間の補習の後、お情け程度のテニス部の練習をして帰りの列車に乗った。
 夏美の住む集落は名前だけは町の名がついているが村と言ってもいいくらいの辺鄙なところで駅は無人駅だ。その駅を出ると道路が一本あり、そこをとぼとぼと歩く。時折車が通る。どこかでセミが鳴いているがどこにいるかはわからない。汗が流れる。掌で拭う。
 二間間口の玄関戸を開き、家族がいるかいないか少し考えてー父母は仕事だし祖母はデイサービスだし中学二年生の弟は野球部の練習だし、だから誰もいるはずはないのだがーただいまあ、と声を張り上げて靴を脱ぐ。木造の大きく古い家で玄関に「勝見彌五郎」という表札がかかっている。夏美の祖父の、そのまた祖父くらいの人の名前で、いわば屋号だ。近所のほとんどが勝見姓ということもあり夏美の家は「やごろっさん」と呼ばれている。 
 夏美は勝見という名字が気に入らなかった、というよりなんでカツミナツミという語呂合わせみたいな名前にしたのだろうと思った。生まれたのは九月で、夏というより秋に差し掛かった時期だ。名付け親は修二だがそのことを問うとまたいつものように言葉を濁すのだった。
 
 二階へ上り自室に入るとすぐ私服に着替えようとブラウスとスカートを脱いだ。脱いでから窓を閉めていなかったことに気が付いた。家の前の道路は国道だが車などめったに通らない。のぞく人などいるわけがない。それでも一応閉めようと窓際へ行った夏美はぎょっとした。家の前の門に自分と同じ年齢くらいの男子がこちらを見ていたからだ。向こうも自分がブラジャーとパンティーだけの格好で現れたから驚いているようだった。夏美は慌てて窓を締めカーテンを引いた。
 Tシャツとジーンズの短パンに着替えてから窓を開けると男子はいなかった。階下から、ごめんくださぁいと声がした。おそらくあの男子だと夏美は思った。私の家に何の用だろう。
 玄関口へ出ると男子はいた。夏美と同じくTシャツと短パン。リュックを背負いスポーツバッグを持っている。明らかに遠くから来たという格好だ。どちらさんですか、と夏美が言った。
「すみません、僕、東京から来た渡辺彪流(たける)です」
 ワタナベタケルー?
 ああ、そういえば、と夏美は思い出した。彼は母の甥、私のいとこなのだ。
「お母さんから聞いてないかな。僕、母の墓参りに来たんだ」
 そういえばそんなことを母は何日か前夕食時に父に話していたな、と思った。近々甥が妹―私の叔母―の墓参りに来ると。その時の父の返事が夏美にはそっけないものに思えた。つまり、なぜ夫のほうは墓参りに来ないのだということだった。
「だって、仕方がないでしょう」
 と母は言った。
「貞彦さんの実家じゃないんだから。仕事も忙しいだろうし」
 貞彦さんとはつまり叔母の旦那さんだ。
 どう対応しようか一瞬夏美は迷った。家の中に入ってもらうべきなのだろう、
 どうぞ、とだけ夏美は言った。彪流はスニーカーを脱いだ。奥の仏間に案内した。夏の座布団が片隅にあったので夏美はそれを座卓の手前に置いた。置いてから、しまった、と思った。それは仏壇から遠い位置の方に当たった。上座に置かなければならないんだったっけ?でも上座って本当に仏壇側?
 彪流は座らずに、お仏壇にお参りさせてください、と言った。
 夏美はいったん置いた座布団を仏壇の前に置きなおした。祖母がデイサービスに行く前に「おつとめ(祖母は仏壇に線香をあげ読経することをそう呼んでいた)」をしたので仏壇の扉は開けてある。彪流は仏壇の前に正座するとスポーツバッグから、がさごそと数珠を出して頭をたれ合掌した。
 拝み終えると彪流は振り返って夏美を見た。夏美も彪流を見つめた。二、三秒経って、ここはお茶を出すところだと夏美は思った。どうぞそのまま、と言って台所へ行き冷蔵庫からペットボトルに入っている麦茶をコップに入れて仏間へ戻った。座卓を挟んで仏壇の反対側に座っていた。
「どうぞ」
 タケルの前に置くと彼は、ありがとうと言ってごくごく飲み始めた。上下に動く喉仏を夏美は凝視した。
「君は中学生?」
「高校一年です」
 年下に見られ夏美はむっとした。
「なんだ、同じ学年か」
 そういって彪流は麦茶を飲みほした。
「北陸新幹線で来たの?」
「いや、それだと遠回りになるから東海道新幹線で名古屋で特急に乗り換えて敦賀まで行ってそこから普通列車。無人駅ははじめてだ」
「米原乗り換えじゃなかったの?」
「米原だと乗り換え時間が十分くらいしかないんだ。一列車遅らせてもいいんだけど名古屋始発の『しらさぎ』なら混雑しないかなと思って。だから指定席は買わなかったけど席は空いていたよ」
 ちょっと待ってて、といい夏美は二階の部屋へ行き机に置いてあったスマートフォンをとると母にメールを送った。叔母さんの息子さんが来たけどどうすればいいかと。縫製会社に勤める母から返信があり、長旅で疲れているだろうからとりあえず休んでもらってということだった。
 休めと言ってもどこで休めばいいだろう。夏美の家の一階は八畳四つ目と言って田の字型に八畳間が四つある。廊下を挟んで食堂と祖母の部屋。二階は八畳が二間、六畳一間と物置だ。とりあえず階下に降りた。彪流は縁側の向こうの山を見ている。
「夕食まで、どうしますか?」
「墓参りに行きたいんだ。案内してくれる?」
「うちのお墓はちょっと遠いの。車でなきゃいけないわ」
 彪流がにっこり笑った。
「それじゃあ、そこいらぶらぶら歩くか」
「ここら辺は何もないわよ」
 彪流は笑った。
「田圃もある、川もある。それに東京よりずっと静かだ」
 
 夏美の母、暁美には二歳下の妹早苗がいた。と言っても夏美が小学生のころ交通事故で亡くなった。
 早苗は高校卒業後県立病院付属の看護学校へ行き、卒業後は県立病院で看護師として働き、そこの勤務医と恋愛になり結婚した。ほぼ同じ時期に暁美も結婚し、だから彪流と夏美の出産も同時期ということになる。早苗の夫は結婚と同時に東京の総合病院に転勤し、早苗も東京に移った。あのころは祖父も生きていたのだが修二と暁美が出かけたまま数日を過ごしたことを夏美は覚えている。叔母の葬式のため東京へ行ったのだとかなり後になって知った。以来叔母の夫はこちらへ来ることもなく、母も叔母の家に行く必然性もなく、時は流れていった
 後に祖父が亡くなり墓に戒名が刻まれた。だが叔母の戒名は刻まれてなかった気がする。
とすると彼が母の実家の墓参りをする意味があるのだろうか。夏美は仏教の慣習など知らなかったが嫁ぎ先の菩提寺に納骨するのが自然なのではないだろうか。ならばそちらの墓を参るべきだ。

 夕食にアユの塩焼きとブリの刺身が出た。彪流への歓待のつもりだろう。
「彪流君、ご飯食べたらお風呂に入ってね」
 暁美は彪流に言った。
「ちょっと疑問なんだけど」
 夏美が暁美に言った。
「何?」
「彪流君のお母さんの遺骨はうちのお墓に入っているの?」
「いいえ、早苗のお骨は渡辺さんの菩提寺に納めたわ。確か出身は東北の方だったわねえ」
 父は福島県出身です、と彪流が言った。
「じゃ、なんで彪流君は家へ来たの?」
 暁美は口ごもった。言ってから夏美は、母に言っても仕方のない事だと思った。当の彪流に訊けばいいのだ。
「僕は、母の故郷へ行ってみたかったんだ。それに、母の遺骨がなかったとしても、母のご先祖様のお墓はお参りしたほうがいいと思って」
 彪流が言った。美味しそうにアユを食べている。だが食べ終えると暁美に
「それで、お願いなんですけど、僕をしばらくこの家へ置いてほしいんです」
 と言った。夏美は彪流を凝視した。
「しばらくって、いつまで?」
「夏休みが終わるまで……いや、八月二十一日から補講が始まるから、その二日ほど前まで。 僕の学校の夏の補講は、前半と後半に分かれているんです。だから前半の補講は休んじゃうことになるけど」
「私の方は構わないけど、お父さんは了解しているの?」
 暁美が心配そうに言った。
「父から手紙を預かっています。それと食費も」
「あら、お金なんて気にしなくていいのに」

 彪流が風呂から上がってから夏美も風呂に入った。
 風呂から上がり、パジャマを着て部屋に入ったらノックの音がした。彪流だった。昔ながらの夏美の部屋は和室で入口は襖だからノックされるのが奇妙な気がした。とはいえ女子の部屋をいきなり開けることも出来ないのだろうと思った。夏美は少しうろたえた。着ているのはパジャマだけでブラジャーはつけていない。
「向こうの山の中腹に滝壺があるんじゃなかったっけ」
 思いがけないことを彪流は訊いてきた。
「あるわよ?名前もない滝で、あまり有名じゃないけど。どうして知っているの?」
「ネットでこの村……、失礼、この町のことを調べたのさ。明日行ってみたいんだ。一緒に来てくれる?」
「午前中は部活があるから午後になるわ」
「部活は何やってるの?」
「テニスよ」
「へえ、僕は剣道部」

 翌日の午後彪流と夏美は山へ向かった。日差しが強いので夏美は麦わら帽子をかぶった。彪流もキャップをかぶっている。
 出かける前彪流がバスタオルを貸してくれと言ったので夏美は
「なんでバスタオルがいるの?」
 と尋ねた。
「滝壺に入るのさ」
「入るって服着たまま?」
「そんなわけないじゃないか、裸になるのさ。上がった時身体を拭くからタオルがいるんだ」
 夏美はあっけにとられた。山の奥の奥というわけではないが、それなりに深まったところの滝に裸になって入るということもだが、異性の自分がいて恥ずかしくないのだろうか。

 山に入ると木々の葉が陽をさえぎり、少し涼しくなる。向こうから滝の音が聞こえてきた。
「ここか」
 彪流は巌に立つとTシャツと短パンを脱ぎボクサーパンツだけになった。さすがにパンツは脱がないだろうと思ったらそのパンツも脱いだ。陰茎と陰毛が夏美の目に入った。臀部が幼児みたいにかわいく思えた。彪流は滝壺に入り滝まで歩いて行った。水深は胸あたりまであった。彪流は壺に浸かり
「君も入ったらどうだい」
「服を脱いで?」
「着たまま入るつもり?」
「冗談じゃないわよ。はずかしい」
「僕と君しかいないぜ」
「あなたは男でしょ、私は女よ」
「もしかして生理中?」
「ふざけないで!」
 彪流は平泳ぎを始めた。
「僕、君の家に居候してこの近くの大学に通おうかな」
「馬鹿言わないで。近くに大学は国立しかないし、JRとバスで片道二時間かかるわよ」
 言ってから夏美はしまったと思った。彪流が自分と同じ学力だと早合点していたのだ。もしかしたら都市部の難関大学を狙っているかもしれない。
「二時間かけて都内の大学に通ってる学生なんてざらにいるさ」
「うちんとこの国立、法学部ないわよ」
「なんで僕が法学部へ行くの?」
「じゃ、どの学部へ行くの?」
「医学部」
 夏美は口をつぐんだ。医療系専門学校を志望している夏美は、いや進学に関心のある高校生なら国立大学医学部の偏差値の高さくらいは知っている。
「彪流君、医者になるの?」
「親父が医者だし」
「親が医者だと、息子も医者になるの?」
 言ってから夏美は愚問だと思った。世の医者は、息子を医者にしたいに決まってる。
「そういうわけでもないだろうけど、医学部以外に行く道が見つからない。僕は今人生を模索中なんだ」
「どうしてこの近くの大学に通うの?」
「君といられるから。居候すれば一緒に暮らせるだろ」
「どういう意味?」
「君のこと、好きになった」
 彪流は壺から上がった。陰茎を隠そうともしないので夏美は目をそらした。いまさらながら気が付いた。山の中腹のここでは自分と彪流しかいない。もしかしてレイプされる?だが彪流はバスタオルで体を拭くとボクサーパンツを穿いた。
「夏美ちゃんは将来何になるつもり?」
 彪流から夏美ちゃんとよばれて夏美はドキッとした。
「私……医療系の専門学校へ行きたい」
「何か資格を取るつもり?」
「できれば、視能訓練士」
 そりゃいいなと彪流は言った。
「父は眼科の開業医なんだ。僕が言うのも変だけど結構腕のいい医者らしい。卒業したら父の医院に勤めるといい」
「だめよ。両親から地元で働くよう言われてるの」
「なぜ?」
 なぜと訊かれて夏美は困った。考えてみれば弟が家を継ぐなら自分は県外に嫁いでもいいのかもしれない。しかし両親が年老いたら、その世話は弟一人には任せられないだろう。たとえ施設に預けたとしても。
「それか、僕がこの近くの病院に勤めるからそこで働くといい」
「それって?」
「それだけの意味さ。もしかして僕と結婚することを考えたの?まあいとこ同士って結婚はできるけどね」
「あなたは、わたしをからかっているの?」
「そんなことないさ」
 短パンを穿いた彪流は上半身裸のまま夏美に近づいた。右手で夏美の顎を上げ、唇を重ねた。
 夏美が硬直した。
 されるままTシャツをたくし上げられ脱がされた。彪流は背中に手を回しブラジャーのホックを外した。
 肩ひもをずらすとはらりと落ちた。夏美は両腕を組み乳房を隠した。彪流は夏美の腕を降ろしそっと抱きしめた。

 夕食の後、夏美はベッドで仰向けになった。窓から風が入ってくる。山からの風で涼しいのでエアコンはつけていない。昼間の興奮が納まっていない。
 キスされるのも、服を脱がされるのも、異性に抱かれるのも、初めての経験だった。
 襖を叩く音がした。
「入っていい?」
 言い終わる前に襖が開いた。彪流が入ってきた。ベッドに腰かけた。夏美はどきっとした。私に覆いかぶさってきたら……
「夏美ちゃん、明日の予定は?」
「今日と同じよ、朝学校で補習授業の後部活よ」
「それ,サボってまた滝に行こう」
「いやよ。補習をサボるなんてできないわ。でも、なんで?」
「あそこへいけば二人きりになれるじゃないか」
 夏美は少し考えた。もう一度彪流に抱かれてみたいー
「今日みたいに部活の後なら時間とれるけど?だいたい午後二時には帰れるわ」

 翌日の午後、夏美が家に戻ると彪流とともに滝に向かった。滝壺に着くと彪流は昨日のように服を脱ぎ全裸になって滝壺に飛び込んだ。
「夏美ちゃんも入れよ」
 と、昨日と同じことを言った。
「でも、恥ずかしい」
「誰もいないぜ」
「彪流君がいるもの」
「いとこ同士じゃないか」
 そういうことじゃない、と夏美は思ったが、開放的な彪流の言葉に心が促されていった。
思い切って夏美は服を脱ぎだした。Tシャツとジーパンを脱ぎ、ブラジャーを外した。幾ばくかの迷いを振り切ってパンティーを脱ぎ滝壺に入った。
「冷たい!」
 夏美が叫んだ。
「しばらくすると慣れるよ」
 彪流が夏美のところまで泳いでいった。夏美の前に立つと抱きしめた。
「あったかいだろう?」
 そういって彪流は夏美のあごに手を当て顔を上向きにさせ唇を重ねた。
「彪流君、もしかしてこんなことをするために誘ったの?」
「僕、夏美ちゃんの恋人になりたい」
「私たち、いとこ同士よ?」
「そんなの関係ないさ。」
 
 彪流は滝から上がると岩に立ち背伸びをした。夏美も滝から上がり、彪流の横に立った。彪流に目配せして、岩にしゃがんだ。彪流も腰を下ろした。
「彪流君、もしかして私をここでレイプする気?」
 彪流は夏美を見つめた。
「僕はここで君と裸になって滝に入りたかったのさ。レイプなんてする気はないよ。ただ君の裸が見たかったのは確かさ」
「あなたって不思議な人ね」
 夏美は目を閉じると彪流の方へ顔を上向けた。口づけを求めるしぐさだった。彪流は夏美と唇を重ねた。

 補習授業の日程が終わり、夏美は一日家で暮らすようになった。二学期初めに校内模試があるので、一学期で習った英語、数学、古文等を復習しなければならないのだが、あまり手につかなかった。大学でなく、専門学校志望だったせいもある。
 彪流は夏美の隣の部屋で寝泊まりしているのだが、勉強しているようでもないみたいだった。というのも彪流の部屋には机がなく、一階の台所のテーブルか、仏間の座卓を使わなければならないはずなのだが、使わせてほしいといわないからだ。家族に遠慮しているとも思えない。
 気になったので昼食(冷蔵庫にあるもので夏美が調理した)の時、訊いてみた。両親は仕事、祖母はデイサービス、弟は野球部の練習だった。
「彪流君、勉強の方は大丈夫なの?」
 彪流はしばらく黙っていたが
「今、大体高校二年のところまで勉強してきたから、夏休みはのんびりできそうなんだ。
 もちろん家に帰ったら勉強するよ」
「もう二年生で習うとこまで勉強し終えたの?」
「中高一貫校だからね、進むのが速いんだ」
 夏美は思っていたことを口にした。
「よかったら、後からお墓参りに行かない?」
「ここから遠いんじゃなかったっけ」
「でもJRなら二駅なの。切符代は私が払うわ」
「気を使わなくていいよ。お金はあるから」

 夏美と彪流は並んで駅まで歩いて行った。彪流のウエストバッグが気になった。
「それ、中に何か入っているの?」
「線香とろうそく、ライター、数珠さ」 
 いまさらながら夏美は墓参りに行くんだと思った。実はただ彪流と外を歩きたいと思って誘ったのだ。墓参りは口実だった。
 無人駅でばったりテニス部の同級生、新庄香織と出会った。驚いた顔をするのが夏美には気まずかった。彪流を彼氏と思われては困る。
「夏美どこへ行くの?」
「いとことお墓参りよ。香織は?」
 わざと、いとこ、という言葉を使った。
「学校よ。体育祭の創作ダンスの振付の打ち合わせ。私、赤組一年生女子の代表なんだ。
 本当は朝からやる予定だったんだけど、私、家の用事があったんで今から行くの」
 夏美の高校は九月上旬に学校祭と称して体育祭と文化祭を行う。体育祭では何色かの色組に分け男子は応援合戦、女子は創作ダンスを披露する。いくつかある競技の中でも最も注目されるものだ。
 列車では香織は夏美の横に座った。
「夏美は緑組だったっけ」
「そうよ」
「緑の応援団長、野球部の福岡先輩よ」
 夏美は野球部の福岡弘一のことはよく知らなかった。キャプテンで投手で、女子に人気があるらしい。
 香織は夏美の耳元に口を寄せた。
「いとこさん、何歳?」
 歳はわからなかったので、私と同学年、と答えた。十六だよ、と彪流が言った。
「どこの学校に通っているの?」
 彪流は通っている学校の名前を言った。香織は驚いたようだった。
「やばい、チョー進学校じゃん。東大めざしてるの?それとも医学部?」
「医学部だけど、どうしようかなあ」
「どうしようかって?」
「高校を卒業したら、こっちで暮らそうかなあ」
「医学部行かないの!?」
 彪流はそれには答えなかった。

 駅を降り香織と別れ一本道を歩く。日差しが強く、帽子をかぶってこなかったことを夏美は後悔した。少し山に入ったところに勝見家の菩提寺はある。墓は境内を回って後ろだ。夏美は墓を参るのは久しぶりだと思った。盆も春夏の彼岸も部活や遊びに行くことを理由に参らなかった。おまけに数珠を忘れている。
 彪流はろうそくに火をつけ燭台に立てた。線香にも火をつけ線香立てに刺すと数珠を手にしゃがんで頭を垂れた。夏美も手を合わせた。
 
 夜夏美のスマートフォンに香織からメッセージが届いた。
「夏美はいとこさんと結婚するの?」
 思いがけない問いかけに驚いた。
「タケル君はわけあってひと夏私の家にいるの。結婚するとか、そういう関係じゃないよ」
 返信したらまたメッセージが来た。
「だって、卒業したら、ここで暮らすかもって言ってたじゃん」
 どう返信するかわからなくなった夏美はスマートフォンを机に置いた。
 なぜ彪流があんなことを言ったのかわからなかった。卒業したらこちらで暮らすかもということは、もしかして大学にはいかないつもりだろうか。
(彪流君の思いを訊いてみようか)
 夏美は彪流の部屋のふすまをノックした。例によって風呂上がりでパジャマ姿なのだが、かまわないと思った。
 ふすまを開けると彪流は布団に寝転がり本を読んでいた。
「彪流君、ちょっといい?」
「何だい」
 起き上がって夏美を見た。
「何で、こっちで暮らすことを考えたの?」
 彪流は夏美を見据えた。
「言わなきゃいけない?」
 夏美は少し戸惑った。
「別に……無理に言わなくてもいいけど」
「去年の春に父さんが再婚してね、相手には今中学三年生の女の子がいるんだ。父さんはその子と養子縁組して、だから僕の妹になったんだけど」
「だけど?」
「再婚する前も後も、父さんの僕に対する態度は変わらないよ。でも家の中に新しい母さんと妹が入ってきて、僕の居場所がないみたいに思えてさ。
 そんな時、なんとなく僕の産みの親の故郷へ行ってみたくなったんだ。将来はそこで暮らすのも悪くないかなって思って。ここへ来て、ますますその思いが強くなったんだ」
「医者にはならないの?」
「妹も中高一貫の女子校でね、成績もいいらしい。妹が医者になって父の医院を継いでもいいなって思ってさ、ただ……」
「ただ?」
「妹はどうも僕のことが好きになったみたいでさ。たまたま父母が外出している夜に風呂に入ったら妹も入ってきてさ、お兄ちゃんと一緒に入りたいって言って」
 夏美はある同級生のことを思い出した。その女子は中学の修学旅行の夜そっと夏美の布団の中に入り、私は今でもお父さんと一緒にお風呂に入るの、と言った。それだけでない、風呂での父親との性行為を話すのだった。
「そのあとベッドに入ったら妹も入ってくるんだ。そして僕に抱き着いてね……
 そこから先は言わなくてもわかるだろ」
「最後までいったっていうの?」
 言ってから夏美は顔がほてった。「
「……終わってから僕は、いけないことをしちゃったって思った。でもね、それから後も父母がいないとき妹は僕のところへ寄ってくるんだ。僕は思った。僕はこの家にいちゃいけない。妹がダメになっちゃう。いや僕もダメになる。高校を卒業したら家を出ようって思ったんだ」
「家を出てどうするの?」
 言ってから夏美は自分が堂々巡りの質問をしていることに気が付いた。
 彪流はそれに答えず夏美に唇を重ねるとパジャマのボタンを外し夏美の胸に手を当てた。
揉むど夏美の息が荒くなった。彪流は夏美に体を重ね布団に倒した。パジャマズボンの中に手を入れ股間を撫でた。濡れてくるのが夏美はわかった。
「うっ!」
 夏美が叫んだ。彪流がパンティの中に手を入れたのだ。クリトリスを指でなぞられると夏美は「ああっ!」と叫んだ。。
「最後までいってもいい?」
 彪流が言った。夏美は答えなかった。彪流は夏美のパジャマズボンをパンティごと引っ張った。
 彪流が夏美にとっての初めての男性(おとこ)になった。

 二学期になった。彪流は十日ほど前に帰っていった。夏美に住所と電話番号、メッセージのIDを報せておいたが夏美は電話をする気にも、メッセージを送る気にもならなかった。
 緑組の創作ダンスの練習が始まった。三年女子に振付を教わる。休憩になり体育館を出て流れる汗をタオルで拭うと赤組も休憩なのか香織が来た。赤組はグラウンドで練習をしているようだった。
「夏美、いとこさんまだいるの?」
「まさか。帰っちゃったよ」
 香織は校庭の方を指さした。緑組が応援合戦の練習をしている。
「一番前に立っているのが緑組応援団長の福岡先輩よ。イケメンでしょ」
 夏美は返事をしなかった。
「私、体育祭が終わったら告(コク)っちゃおうかなと思ってるの」
 夏美は驚いた。
「でも福岡先輩は体育祭の後は受験で大変でしょう?」
「大丈夫。先輩は地元の教育学部志望なの。卒業しても、お付き合いできるわ。
 それより夏美のほうはどう?いとこさんからメール来た?」
「彪流君はいとこであって、私の彼氏じゃないよ」
 そうは言ったが夏美には彪流が忘れられない存在となっていた。滝壺で抱き合ったことや初めてのセックスの相手が彪流であったことから、また彼に抱かれたいと思うのだった。

 創作ダンスの練習を終え校門を出ると、勝見!と声がした。振り返ると福岡弘一が立っていた。
「勝見も緑組だろう」
「そそ、そうです」
 夏美は口ごもってしまった。なんで自分の名前を知っているのだろうと思った。
「JR通学だろう。一緒に帰ろう」
 そんなことまで知っているのか。
 先輩に言われたら拒否できない。香織に見られたらまずい、と思った。だがなぜ一緒に帰ろうといったのだろう。
 夏美は弘一と歩いた。
「勝見の駅はE駅だろう」
「なぜわかるんですか」
「あそこの在所は勝見姓が多いからな。俺の親戚も勝見姓だ。今日はE町で祭りがあるだろう。それに招待されているのさ。本当は親父がいかなきゃならんのだけど仕事が忙しくてな」
 言われて夏美は、そういえば今日は神社祭りの日だと思った。昔は神社の前の道に夜店が並び、母と弟と、たこ焼きや花火を買いに行くのが何よりの楽しみだった。だが時とともに夜店の数も減っていた。それでも神社では祭礼が行われるようで、父も宮当番の時は手伝いに行った。
 夏美は列車で弘一と並んで座った。下校の時間なので同級生や上級生もおり、居心地が悪かった。たしかに弘一は端正な顔をしており、言葉遣いはやや乱暴だが品のない言葉は使わなかった。思いを寄せる女子がいても不思議はない。
「勝見の志望大学はどこだ」
「私……医療専門学校へ行くつもりです」
「地元で働くつもりか」
「そこまで考えていません」
 弘一は顔を上向けた。
「俺は教育学部志望だ。両親が教師だからその影響もあるかな」
 夏美は国立大学教育学部を志望するほどの学力はない。また教師になりたいとも思っていない。
 E駅に着いた。弘一の親戚の家と夏美の家は同じ方向なのか、また並んで歩くこととなった。
「勝美はフォークダンスのパートナーはいるのか」
 体育祭の翌日が文化祭だ。二日間開催した後、後夜祭として男女ペアになりフォークダンスを踊る。夏美にはパートナーはいない。
「よかったら俺と踊らないか」
「えっ」
 なぜ一年生の自分と踊ろうとするのだろう。先輩には彼女はいないのだろうか。
 それじゃ、と手を振り、弘一は家に入っていった。なんと夏美の家の隣の勝見家だった。神社から歌声とギターの音がした。ライブをやっているのだろう。
 
 家の郵便受けを開けると彪流の絵葉書があった。夏美宛になっていた。
「この夏はお世話になりました」とだけ書かれていた。夏美は彪流との日々を思い返した。滝壺でお互い全裸で抱き合ったこと。初めて結ばれた夜―
 夏美は返事を出そうかと思ったが葉書や切手が家のどこにあるかわからない。母には訊きづらい。郵便局で葉書を一枚だけ買ったのでは変に思われるかもしれない。だからスマートフォンで教えられたIDでメッセージを送ることにした。
―機会があったらまた来てくださいー
 そう打って送った。送ってからブラウスとスカートを脱ぎ畳に寝転がった。彪流に抱かれたい、そう思った。自然と指がパンティの中に入っていった。クリトリスをなぞると彪流の息遣いが聞こえてきそうな気がした。
 
 体育祭の日が来た。
 棒倒し、仮装行列、綱引き、次々と競技が行われる。応援合戦では弘一は羽織袴でドラム缶の上に立った。弘一の親戚だという夏美の臨家の勝見は呉服店だ。貸衣装店も兼ねている。もしかしたら祭りの日に衣装合わせしたのかもしれないと夏美は思った
 緑組の隣が赤組のテントだ。福岡先輩ステキ! と香織が叫んだ。
 
 体育祭の翌日が文化祭だ。
 弁論大会が終わったら自由行動。各クラスの展示や企画を見て回る。夏美は香織と教室を見て回った。三年一組のお化け屋敷を見た後、二年七組の喫茶コーナーでジュースを飲んだ。
「夏美さあ、フォークダンスのパートナー決まった?」
 弘一から誘われたことは香織には言えない。
「ううん、まだ決まってないよ」
「私さあ、クラスの高橋君から誘われちゃった。どうしよう」
「一緒に踊れば?」
「でも私、高橋君のこと、そんなに好きじゃないし」
「踊れば好きになるかもよ」
 夏美は後夜祭に出ず帰ろうと思った。福岡先輩と踊ったら周りの女子が敵対視するだろう。
 ふとスマートフォンを見ると彪流からのメッセージが届いていた。「夏美ちゃん元気?」
 夏美は返信した。「元気だよ。彪流君も医学部目指して頑張ってね」
 夏美には彪流が医学部へ行かないことは考えられなかった。義理の妹と二人で開業してもいいだろうし、勤務医という生き方もある。こんな田舎で暮らしてほしいとは思わなかった。
 ふと自分が、彪流の勤務する病院で仕事をする光景が浮かんだ。彪流が必ずしも勤務医になるわけではないだろうが、彪流が眼科医、自分が視能訓練士で、同じ病院で働けるといいなと思った。
 放課となり夏美は生徒玄関へ行った。夏美は硬直した。表に福岡弘一が立っている。
「勝美、フォークダンスが始まる。グラウンドへ行くぞ」
「えっ、ちょっと待ってください」
「待てないよ、もうすぐ始まる」
「あの、バッグを教室に置いてきます」
 言ってから気まずい思いがした。弘一と踊る約束を破ったことがばれたからだ。
 弘一はそんなことは気にしていなかったのか、あるいは夏美の気持ちを見透かしていたのか、平気な顔で外靴を履いた夏美の手を引きグラウンドへ行った。
 グラウンドでは男女が大きな輪を作り踊っていた。本来ならパートナーチェンジがあるのだが、それをせず決まったパートナーと踊り続けるのが生徒会の方針だった。
 遠くにいた香織と目が合った。目を見開き口を大きく開けていた。明らかに驚いていた。 夏美はダンスの振付を知らなかった。周りの女子を見習うしかなかった。ぎこちない踊りを嘲笑されている感じがした。
 
 ダンスのあと二人は並んで校門を出た。帰る方向は同じだが弘一は列車に乗らず商店街の方へ行く。
「勝見、俺と付き合ってくれないか」
 弘一の言葉に夏美は驚いた。
「先輩はどうして私のことを知ったのですか?」
「野球部の練習をしているとき、テニスコートを見ると勝見がラケットを振っていた。
かわいいと思った。女子が君のことを『かつみ!』」って呼んでたから苗字がわかったんだ。もっとも最初は『かつみ』が苗字か名前かわからなかったんだけど」
「でも、大学は県外へ行くでしょう?」
「俺は地元の国立大学教育学部志望さ。家にあまり金がないから県外には行けないんだ。だから大学へ行っても、おまえに会えるさ」
 弘一に、おまえ、と言われて夏美はドキッとした。
「でも私、好きな人がいるんです」
 弘一が怪訝な顔をした。
「好きな人って、誰だ?」
「同い年の、わたしのいとこです」
「いとこ?」
 弘一は少しの間黙った。
「不純だな」
「ふじゅん?」
「近親間の男女交際は不純だよ。俺と付き合うかどうかはともかく、不純だよ」
 夏美は黙っていた。だが彪流への思いは変わらなかった。
「それで、どこまでいってるんだ」
「え?」
「いとことの関係だよ。付き合っているのか、キスまでなのか、その先なのか」
「それは……言えません」
 失礼しますと言って夏美は駆け出した。

 夜香織からメッセージが来た。
「夏美、福岡先輩と付き合ってるの?」
「違うよ、たまたま生徒玄関にいたときフォークダンスに誘われただけ」
「でも先輩は夏美が好きなんでしょう?」
「それはわからない」
 夏美はスマートフォンの電源を切った。これ以上香織とやり取りするのに疲れてしまった。
 夏美は弘一の言葉が耳に残っていた。
(いとこと恋愛するのは不純だろうか)
  
 翌日生徒玄関に香織が立っていた。明らかに怒っているようだった。
「夏美、私をだましたね」
「だましてなんかいないよ」
「うそ!あんたにフォークダンスのパートナーはいないのかって訊いた時、いないって言ったじゃない。それなのに福岡先輩とちゃっかり踊ってさ」
「だって、福岡さんが本気で私をパートナーに選ぶなんて思っていなかったから」
「福岡先輩があんたに申し込んだの!?」
 夏美はまずいと思った、だがもう遅かった。
「夏美!もうあんたとは絶好だわ」 
 香織は振り返り歩いて行った。目に涙が浮かんでいた。
 さんざんだな、と夏美は思った。あこがれていたわけではなかったが弘一から不純だと言われ、香織から絶交される。あまり友達のいない夏美にとって、これは痛かった。
 放課後の部活は気まずかった。香織は夏美の方を見ようとしない。一人でサーブの練習や壁打ちをするしかなかった。
 部活を終え生徒玄関に行くと弘一が立っていた。
「勝見、一緒に帰ろう」
「私に何か用ですか?」
「昨日のお詫びがしたいんだ」
「え?」
 二人は校門を出ると右に曲がった。橋を渡って川沿いの道を歩いた。
「俺は知らなかったけど、いとこ婚は法律で禁止されていないんだ。出産児の遺伝的危険度も通常の婚姻よりほんの少し高いだけでね」
 夏美は彪流と結婚することはもちろん、出産することまで考えていなかった。
「だからお前がいとこと恋愛することは不純じゃないよ。俺も受験だし、女子と付き合う暇もないからね。じゃ」
 そう言うと弘一は駆け出して行った。それまでと打って変わってそっけない態度だった。
(私がいとこを好きなことは、ああは言っても心の中では軽蔑してるのではないか。
不純とか、不純でないって、なんだろう)
 夏美は考えた。血縁が近ければ不純で、離れていれば不純じゃないって……
(ならば彪流君と義理の妹のセックスは不純じゃないのだろうか)

 夏美は彪流の思いを確かめたかった。
 家に帰ると彪流にメッセージを送った。「彪流君にとって私はどういう存在?」
 彪流から返事が来た。「大事な存在だよ」
「大事ってことは私は彪流君の恋人?」彪流の返信「恋人のような、同い年のきょうだいのような感じ」
 夏美は疑問に思った。彪流とはいとこ同士であってきょうだいではない。恋人のようできょうだいのようはどういう意味だろう。まして同い年のきょうだいとは。二卵性の双子をイメージしてるのだろうか。
 彪流から再びメッセージが来た。「僕は一人っ子だったからきょうだいが欲しかった。兄や弟でもいいけど妹が欲しかったんだ」
 なら義理の妹は妹と思っていないのだろうか。それにしても女きょうだいと恋人は別の存在ではないのか。
 
 夏美は彪流に会いに行って本心を確かめようと思った。毎年のお年玉を貯金してあるので東京往復の交通費はある。日帰りなら何とかなる。夏美はメッセージを送った。
「彪流君に会いに行ってもいいかな」返信が来た。
「東京までくるの?」
「うん」
 返信はなかった。

 三日目の夜返信があった。十月末の土曜日なら家の外でだけど会えるとの事だった。
会う場所は東京駅のホームで到着時間と止まるホームを前もって知らせてとあった。
 夏美は少し驚いた。確かに一人で東京に行ったことのない夏美は駅で会う方が安心だ。だがそんな気配りができることに驚いたのだ。彪流にとっては何でもないことかもしれないが夏美はありがたかった。

 東京へ行く三日前、暁美にそのことを告げた。暁美は驚いた。
「なんで渡辺さんのところまで行くの?」
「彪流君と相談したいことがあるの」
「渡辺さんのうちに泊まるの?」
「ううん、日帰りで帰ってくる」
「あなた…彪流君を好きなの」
「わからない……でも、今の私の悩み事を聞いてくれるのは彪流君しかいないの」
「お母さんじゃダメなの?」
「……とにかく、日帰りで会ってくる」
 暁美は深く息をした。
「いいでしょう、ただお土産を持っていきなさい。お母さんが明日買ってきてあげる」
 
 東京へ行く日が来た。
 E駅から普通列車に乗りT駅に着いた。そこで一旦降り東京往復割引切符を買い特急列車に乗った。米原で「ひかり」に乗り換える。彪流に東京駅に着く時間と到着ホームをメッセージで伝えた。
 駅に着き「ひかり」から出ると彪流がいた。一人旅で緊張していた夏美は涙が出た。
「何だよ泣いたりして」
「だって……彪流君に逢えたもん」
 夏美は彪流に土産を渡した。
「お腹すいてない?」
「うん、ちょっと」
「地下の食堂でサンドウィッチでも食べよう」
 夏美は彪流を上目遣いで見た。
「私、あまりお金持ってない」
「いいよ、僕がおごるから」
 二人は地下の食堂街の喫茶店に入った。テーブルに向かい合って座ると恋人同士のような気分になり夏美は紅潮した。ともにアイスコーヒーとサンドウィッチを注文した。
「長旅で疲れたでしょ」
「それほどの長旅でないと思うけど……一人旅でちょっと怖かった。男の人に迫られないかと思って」
「そうだね、女の子の一人旅はしない方がいいね」
「妹さん、元気?」
 彪流は少し黙り、運ばれてきたアイスコーヒーを一口飲んだ」
「元気だけど……そっちから帰ってから妹に言ったんだ。お兄ちゃんは好きな人ができたから、もうエッチするのはやめようって」
 周りの客が会話を聞いてない夏美は心配した。BGMも流れ、店内もざわついていてその心配はないようだった。
「それで、関係は終わったの?」
「いや、相変わらず父母が外出の時は僕の部屋に来るんだ。お兄ちゃん、エッチしようって。もうやめようっていうんだけど」
 夏美はアイスコーヒーのストローで氷をカラカラ回した」
「私たちの関係って、どうなんだろうね」
「どうって?」
「先輩の男子に言われたの、いとこ同士の恋愛は不純だって。でもそのあとすぐ、いとこ同士でも結婚できるとがわかったって、謝ってくれたけど」
「夏美ちゃん、もしかして僕と結婚するつもり?」
「今はそんなことまで考えていない、でも……」
 彪流に相談してみたい。視能訓練士になったとして、地元で働くべきか、それとも彪流が眼科医を継いだら共に働いてもいいか。だがその場合、彪流と結婚すべきかー
 口に出せない思いもあった。彪流に抱かれたい、彪流の熱い肌を感じていたい。でもいとこ同士の肉体関係は不純なのだろうか。
「彪流君、医学部に行く決心はついたの?」
「夏美ちゃんが視能訓練士になりたいとわかって、僕も医学部に行く決心がついたよ」
「それって、もしかして……」
「夏美ちゃんと一緒に働きたい」
「どこの医学部目指してるの?」
「当面は都内の私立医学部。学費がかかるけど父さんは心配しなくていいって言ってる」
「お金持ちなのね」
「でもローンを組むらしいよ。まあ合格するのが先だけど」

 喫茶店を出た二人は皇居外苑を歩いた。夏美は彪流の手を握った。
「彪流君がどこかの病院に入ったとして、そこに視能訓練士として入るのは難しいよね」
「僕が君の県の病院に勤めるか」
 夏美は彪流を見た。彪流も夏美を見つめた。
「お父さんの後は継がないの?」
「妹が継ぐよ。もともと母さん、もちろん妹の母だけどね、たぶんそれが目的で父さんと結婚したんだと思う。母さんの前のご主人は会社員なんだけど、これは推測だけど、母さんは旦那さんが妹の医学部の学費は払えないだろうと思ってーそれまではどうやら母さんが学費をを払ってたようでー一方的に離婚したんだ。ちゃっかり養育費は請求してね。それで、父さんが独身だと知って眼科に通って…多分結膜炎だとかなんだとか言って父さんと親しくなっていったんだろうな。ただ父さんはそのことに気づいていないみたいだ」
 夏美は時間が来たと言って東京駅に戻った。

「いつか、結婚しようね」
「ひかり」を待つホームで彪流が言った。
「でも、私たちまだ16歳よ、思いが変わったりしないかしら」
「先のことは考えない」
 彪流は夏美の肩を叩いた。
「ひかり」が到着し、夏美は車両に入っていった。席に着き発車すると窓の外で彪流が手を振っていた。

 夏美の胸が高鳴った。同時に不安もあった。16歳で結婚相手を決めるのは早いのではないか、今後どんな異性との出会いがあるかわからない。
 だが彪流への思いは変わらなかった。共に生きてゆきたいと思った。
                                     (了)

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