「なにっ、すごいぞ……想像以上だ……」
 そこでアリサは、ようやく首を傾げた。
「……殿下? あなたが?」
 耳の下で切り揃えられた漆黒の髪が、さらりと揺れる。黒にも紫にも見える瞳の青年が、はい、と頷いた。
「う、嘘おっしゃい!」
「ウソではありませんよ。この方は、我がアーデルライト皇国の皇太子殿下です。証拠は……そうですね、殿下の持ち物を見てください。王家の紋章が刻まれています。ご存知ですよね、アーデルライト皇国の紋章」
「はい、勿論です……」
 剣や甲冑、あちこちにそれを認めたアリサは、真っ赤になってひれ伏した。
「た、た、大変なご無礼を……お許しください」
 皇太子が乗り込んできた。やはり、この土地を欲しがっているのだろう。
 かくなる上は魔力で一網打尽にするか、と、ちらっと脳裏をかすめたが、皇太子たちがやたら軽装なことに、気が付いた。
「どういったご用件で……その、我が領地を見ていらしたのでしょう?」
「あ、いや……申し訳ない。驚かせる気はなくて……その……あなたの魔力が知りたいんです!」
 ぐいっと近寄られて、アリサは思わず後退る。ずいぶん積極的な皇太子である。
「わたくしが、こちらに通う形でよろしいですか?」
「もちろんです!」
 こうしてアリサは皇太子と親しくなり、仮小屋に通うようになったのである。
 そして――皇太子が、素直な気性で心優しいアリサに、すっかり惚れてしまったのである。
「我が国へお越しください、アリサ嬢」
「え? 研究対象として、でしょうか?」
「違います、我が妃として」
 御冗談を、といつもアリサは笑う。
「わたくしのことは、調べはついているのでしょう?」
「……はい、王子殿下に婚約破棄され、偽聖女の汚名を着せられて聖女の身分剥奪、王都から追い払われた薄幸の令嬢だと」
「そのとおりですわ。一夜にして、婚約者と仕事を失ったのです」
「御気の毒なことでした。お亡くなりになった父君は貴族であり、養父は王家に次ぐ名門家の大神官さまで、今では立派なこの土地の領主。俺の妃となることに、何か問題があるだろうか?」
皇太子は真剣な顔でアリサに迫った。だが、あっさりと皇太子をかわしたアリサはくすりと儚く笑った。
「大国の皇太子妃ともなれば、身分も能力もしっかりした方がなるものですわ。寝ぼけたことをおっしゃってないで、魔獣の種類わけを進めてしまいましょう?」
 魔力の研究や、領民と交流し領地運営をするアリサは本当に楽しそうである。
 この土地から、この生活から彼女を切り離すのは本当に良いことなのか、皇太子は悩んでしまう。
「……皇太子殿下、妃がだめなら、まずは……アーデルライト国大聖女兼王立魔法研究所の研究員としてお招きしては?」
 と、部下の一人が皇太子に囁いた。
「なるほど、長らく空位の大聖女……彼女なら、ふさわしいな」
「それに、大聖女と王族の結婚は珍しくありません」
「……ふむ……だが、彼女が統治している領地はどうする?」
「中立地帯とし、アリサさまがこのまま統治を続けられるよう、両国に働きかけるのです。どうです、殿下の評価が揚がると思いません?」
 そんな思惑があるとは全く思っていないアリサは、単に世界有数の魔導師や研究員が集まるというアーデルライト国立魔法研究所に興味を持ち、研究員として所属することをあっさり承諾してくれた。
「どのタイミングで大聖女を打診するか、だな……」
「それは殿下がアリサさまと親しくなってから、で良いと思いますよ」
「そうだな。まずは彼女を我が国に招けることに感謝しよう……ふふふ……」
「お待たせいたしました。殿下、今日は楽しそうですね」
「ああ、もちろん。君を我が国にご招待できるんだからね」
 手の甲にキスを落とされて、アリサは赤くなった。
「可愛い。さ、出発だ!」
「はい!」
 馬車を走らせた皇太子は、すぐにぎょっとした。
「ま、まて、竜や魔獣、妖精たちが、ゾロゾロ付いてきているぞ」
「いけませんか? 彼らは皆、わたくしの大切な仲間なので……おいていくなんて、出来ません」
 アリサの訴えを補足するように、緋色の竜が炎を吐き、サラマンダーたちが馬車を揺らす。
「か、構わない! だが、我が国に入ったら、ちゃんと隠形か人型で顕現してくれ」
「ありがとうございます、皇太子殿下」
 満面の笑みを向けられて、すっかりデレてしまった皇太子であった。
「殿下、どうしてわたくしを、お誘いくださったのですか?」
「きみに惚れたから」
「またまた、御冗談を」