僕は、今日も道場へやってきた。

男子更衣室にいる。

練習を終え、柔道着からジャージへと着替える。

隣を見ると、加藤さんがいた。

僕はなんだか気まずい気持ちになっていた。

加藤さんとは二人っきりで話をしたことがない。

今日と言う日に限って、ジャンボがいない。

「…」

「…」

僕たちには沈黙の時間が訪れていた。

「先輩。」

僕は勇気を出して話しかけてみた。

「なんだ?」

先輩は驚いた顔している。

僕から先輩に話しかけることなど滅多にないからだ。

「先輩は、今もあの方とお付き合いされてるんですか?」

「あの方って?」

「あの先輩の追っかけしてた方です。」

僕がそう言うと、先輩は僕の顔を2度見した。

「追っかけ?」

先輩はしばらく考えた後、

「あ、めぐみのこと?いや、付き合ってないよ。付き合ったことないよ。」

僕は、驚きのあまり、何も返せなかった。

付き合ったことがない?どういうことなのか?

池田と付き合ってた時、めぐみさんとも付き合ってたって池田が言っていた。

先輩は、浮気していなかったということなのか。

「は?それ誰が言ってたの?ゆいが言ってた?」

先輩は、先ほどよりも少し大きな声を出した。

更衣室に入ってきた後輩たちも驚いた顔をしていた。

「は、はい。」

僕の声は、小声になってしまう。

「なんだよ、それ。俺が浮気してたみたいじゃん。浮気してたのは、ゆいの方だろ。」

「え?どういうことですか?」

「お前ら付き合ってたんだろ?俺とゆいが付き合ってた時。」

僕は、再び黙ってしまった。

僕と池田が付き合ってた?

そんなことあるはずがない。

先輩は、何かを勘違いしている。

そして池田も同様に勘違いしているのだ。

「僕、池田と付き合ったことなんてないです。」

僕がそう言うと、先輩の声が再び大きくなった。

「え?でもあの時抱き合ってただろ?」

先輩は、僕たちが道場で抱き合っているのを見て、勘違いをしたらしい。

「それは、池田が泣いてたので抱きしめただけです。それこそ先輩は、キスしてたって。」

僕は、弁明するために必死だった。

まるで昨日起きた出来事について話しているみたいに。

「ああ。あれは、キスしたら、ゆいのことをいじめるのをやめるって言われたから、しただけだよ。」

「え?」

そうだったのか…知らなかった。

先輩は、池田をイジメから庇うために、彼女にキスをしたのだ。

それを見た池田が勘違いをし、破局した。

なんというすれ違いだ。

「池田は、そのこと知ってるんですか?」

「いや知らない。」

「言わなくていいんですか?」

「言おうとしたけど、まともに話してくれなかったんだよ。」

池田は、あの現場を見てから、今日までずっと先輩のことを避け続けている。

そのため弁明できなかったのだろう。

こんなに近くにいるのに、2人は、分かり合えていないのだ。

「先輩、絶対に言ったほうがいいですよ。後悔しちゃいます。」

僕は、何故か先輩の背中を押してしまった。

柔道家としての正義を貫き通したい信念のせいだ。

「そ、そうだよな。」

先輩は、そういうと、どこかへ行ってしまった。

彼が立ち去ったあと、後悔が残った。

なぜ背中を押してしまったのだろう。

彼は、ライバルなのに。

でもこれで彼女が幸せになってくれれば、それでいい。

ただそれを願っていた。