朝、いつもの用件を言いつけに来る老婆を待たない。

 服はろくなものがないから、卒業したがエスマブル学園の服を着る。

 ニホンで着ていた制服のブレザーに近い形である。黒色の制服。白いシャツの上にジャケットを羽織り、ズボンを履いた。スカートとニ種類あるが、今日は活動的に動きたい。ネクタイの赤色のタイもしっかりつける。

 制服を着ると気持ちが締まる。学校指定のブーツを履く。黒色の髪を1つに纏めてポニーテールを作る。バサリと外出用のマントを羽織る。

「やってやろーじゃないの」

 そうポツリと鏡の向こう側の自分に言う。

 厩へ行き、一番良い馬を選ぶ。黒色の馬。厩番の下男が驚く。

「な!?なにをなさるんですか!?」

「出かけるわ。さっさと馬具をつけて。つけないなら私が自分でつけるからちょうだい。バシュレ家の物は私だって使う権利はあるでしょう?」

 父にバレたら絶対に貸してもらえない。怒られるか罰を与えられるかだ。素早く事を済まさないと。街へ行くにも最短の時間で行きたい。

 私の威圧的な雰囲気に下男は圧されて馬具をつけて馬を私に渡す。

「お、お嬢様は馬に乗れるんですかい?」

「乗れるわよ」

 ヒョイと軽く乗る。背中をぐっと伸ばす。学園では男も女もない。同じように学び、切磋琢磨してきた。乗馬だってその1つだ。

 馬の腹を蹴り、疾走らせる。屋敷があっという間に遠くなる。

 久しぶりの爽快感。自由になったような気分に晴々とした。

 向かっているのは祖父の代理人の事務所だ。祖父は私にも遺産を残していた。ただし遺産をもらうには条件があった。

 『バシュレ家から出るときのみに使うことを許す』と。

 どのくらいの金額か知ることはできなかった。私が25歳になるまでは保管しておき、使わないならば、それ以降は孤児院や施設に寄付するということであった。

 代理人からそれを聞いた父はさらに私に対して冷たくなり、義母と妹の嫌がらせはひどくなった。

 祖父は先を見通せるような聡明さがあったから、私が必要になる時がくることを……バシュレ家から出るほうが良いことをわかっていたのだろう。

 街へつき、人に尋ねるとすぐに事務所はみつかった。
 
 『バーグマー法律事務所』

 ドアを開けると、カランカランとベルの音がなり、中からいらっしゃいませ~と気の抜けた声の受付の女性がでてきた。

「バーグマーさんはいますか?バシュレ家のセイラと申しますが突然来てすいません」 

 バシュレ家と聞き、女性はわかりました。お待ちくださいと踵を返して裏へと戻る。

 中から白いものが髪に混じり、メガネをかけたブロンドの落ち着いた雰囲気の素敵なオジサマが現れる。

「レンツ=バーグマーと申します。セイラお嬢様会うのは二度目ですね。ここへ来る日をお待ちしていましたよ」

 どうぞと、中へ招かれる。温めのお茶と甘い砂糖菓子を出され、丁重にもてなされる。こんな扱いを受けたことも久しぶりである。

 甘いお菓子が口の中で溶けていく。ホッと一息つくことができた。

「大変でしたでしょう?」

 父や義母たちに詰め寄られていた代理人のバーグマーさんも大変だったと思われたが、その後の私の境遇も知っているようだ。

「ええ。歩み寄ることは難しかったわ。わかってくださってるなら話が早いですわ。事は父が気づく前に済まさねば、私の身が危ういですから今日の昼までにいろんな手配を済ませたいの」

「仰せのままに力になりましょう」

「まずは祖父が私へ遺してくれたものを知りたいわ」

「こちらの書類となります。後は銀行へ行けばお金も手に入ると思いますが」

『ナシュレ領』『2500万ベルリ』

「ナシュレは今、執事のクロウ殿がお嬢様が行くまで管理してくれてますよ。お嬢様も知っていらっしゃるのでは?」

 何度か学園の長期休暇のときにお祖父様と行った保養地。田舎の領地である。

 田舎でのんびり……しろと??

 いや、あの祖父はそんなこと考えないだろう。何かをさせたいのだ。
 
 2500万ベルリは当面暮らして行くには十分の金額だ。5年は遊んで暮らせる。

 でもこれもまた遊んで暮らすためにくれたお金ではないだろう。

「この権利書はコピーしたものを貰っていくわ。私の身の安全が確保されたら原本を取りに来ます」 

 ニッコリと微笑み、了解いたしましたとバーグマーさんは言った。後は……。

 「連絡球はありますか?使わせて頂いても?」

「どうぞどうぞ!」

 事務所の机にあった球体に触れる。フワリと淡い光が灯る。

「エスマブル学園の学園長へ!」

 そう言うと球体が相手を映し出す。茶色い髪の20代の若い男性だ。

「急な連絡だな。卒業式以来か。久しぶりだな。ちょっと痩せたんじゃないか?セイラ」

 落ち着いた知的な男性が挨拶を始めた。

「挨拶はまた後からね。不躾だとは思うけど、急いでるの。ちょっと人を紹介してくれない?私って知ってると思うけど、非力で戦闘はそんなに得意じゃないでしょ?身を守るために雇いたいの」 

「なにがあった?と、聞いている暇はないみたいだな。誰がいいか……そうだな……リヴィオ=カムパネルラはどうだ?暇してるぞ」

「リヴィオが!?なぜ!?」

 クククッと若き学園長は可笑しそうに笑って、本人に聞けという。 
 
 そして真顔に戻る。彼は頭の回転が早い。段取りを今、この瞬間に考えているのだろう。私についても詳しく聞かないのは察しているというところか。

「身が危ないのか?今すぐか?」

「そうね!早いなら早いだけ助かるわ」

 リヴィオはトップクラスの学生で王家直属の騎士団に入ったはずだけど?何があったのだろう。

 腕前なら右に出るものはいない。騎士団には存在するかもしれないが、未だかつて私はリヴィオより強い人を見たことはない。

「セイラ、なんか雰囲気変わったなぁ。大人しかったのに、今は活気というかイキイキとしている」

「そちらこそ、なんだか落ち着いちゃって、顔つきが学園長らしくなったわね。頑張ってね」

 ありがとうと互いに礼を述べて手短に切る。

「お嬢様、お変わりになりましたね」

 バーグマーさんが目を細めてそう言うと嬉しげに言った。

「似ております……あなたのお祖父様に。何か手助けできることがありましたら、このレンツにも申し付けください」

「助かるわ。早速だけどナシュレ領へ行って、私が来ることを知らせてくれる?執事のような仕事で悪いけど、私には味方が少ないのよ」

「かしこまりました」

「今すぐ行ける?」

「はい?」

 私は遅いのは嫌いだ。するなら迅速にだ。魔法陣を床に人差し指で書き上げていく。文字が光り輝いていく。

 魔法を使う私を初めて見た老紳士のバーグマーさんが目の奥に驚きの色を隠せずにいることに気づく。

 私は説明した。

「エスマブル学園の制服を来ていたらわかるでしょう。魔法を使えるのよ?ナシュレまで転移魔法で送ってあげるわ」

「なるほど。そういうことですか。わかりました」

 バーグマーさんはさっさと簡単な手荷物を持つと魔法陣の上に立つ。

 文字に光が宿る。転移魔法だ。

 使うと疲れるのであまりしたくない魔法だが、事は急を要する。仕方ないだろう。

 部屋に魔力が満ちてくるが瞬時にに魔法陣へと吸い取られていく。

「では!ナシュレ領の屋敷にてお待ちしております」  

 事務所は受付の女性が手慣れた感じで、さっさと鍵を閉めて帰った。

 私は外に出た足ですぐに銀行に向かうと当面必要であろう分だけのお金を手にする。

 後は私が転移できるだけの力を残せるかどうか?父と義母と妹がどう出てくるかによるだろう。

 そろそろ家にいないことがバレてる頃だと思う。

「おい。来たぞ」
 
 無愛想な声が後ろからした。早い!

「あら!予想より早く来てくれたのね。助かるわ。久しぶりね。リヴィオ=カムパネルラ!」

 私と同じ黒髪だが、目の色は綺麗な金色に近い色をしている。ニホンで言うかなりのイケメンだ。長身でスラリとしていて、腰には帯剣している。

「なぜ制服を着てるんだ?」

「久しぶりなのに質問するとこはそこなの?単純にこれしか着るものがないからよ」

 へーと興味がない様子である。

「リヴィオは騎士団に入団したのにどうしたの?」

「うるさいな。もうやつが喋ったのか?」
 
 やつとは学園長のことである。二人は仲がいいというか学園時代はライバルのようなものであったように思う。お互い能力が高い。

「いいえ。本人に聞けといわれたわ」

 言いたくないらしい。無言になる。まぁ、いいけど。

「セイラ=バシュレ。お前そんなやつだったか?」

 また言われる。確かに根暗と言うか本ばかり読んでいて人と関わることが少なかった。

 現学園長、リヴィオ、それから親友があと2人いるくらいだ。

 能力主義の学園でそれだけいたら十分だろう?誰もがライバルだった。

「いろいろあって変わらざるを得なかったのよ。さて、これより私はリヴィオの雇用主となることで了承してもらっていいかしら?」

「は?金くれるの?」

「え?純粋に助けに来てくれたわけ?」

「いや、学園長……ジーニーがセイラの身が危ないから行ってやれとしか聞いてない」

 どうりで着くのが早いわけだ。歩きながら簡単に説明する。

「今、私は祖父の遺産を巡って、父達とトラブルがあるの。実力行使で来た場合、私一人では無理かもしれないと思って頼んだのよ。お金は雇った以上報酬として払います」

 貴族、めんどくせーとリヴィオが言う。本当にね。私も生まれ変わるならフツー女子で良かったわ。とブツブツ言う。

「バシュレ家といえばお前のじーさん有名人じゃなかったか?腐るほど金あるのに奪い合うんだな」

「そのとおりだけど、少しは言い方ってもんがあるでしょーがっ!腐るほどあるのに憎んでる娘にはビタ一文やりたくないらしいわ。あ、安心して。お祖父様は私に個別に遺産を遺してるから、貴方に報酬はきちんと払えるわよ」

「オッケー。暇してたからいいぜ。当分付き合ってやるよ」

 ナシュレ領までの馬車の手配してから屋敷へ帰る。扉を開けた瞬間、バタバタと騒がしくソフィアが階段を降りてきて罵声を浴びせる。

「ちょっと!どこいってたのよ!?」

 義母が冷たい目で階段の上から玄関ホールにいる私を見下ろしている。

「なんですの?今更、そんな制服を着て?あなた!セイラが戻ってきたわよ」

 父が姿を現して階段を降りてくる。私は三人を順番に鋭く睨みつけた。

「なんだ?その反抗的な態度は?これだからおまえは社交界に出せんのだ!!バシュレ家の恥が!!」

 手が挙がって頬を叩かれる!と思ったが悲鳴をあげたのは父の方だった。
 
「ううっ!なにをする!お前は!?」

 リヴィオが無表情で父の腕を取り、後ろへひねる。当主!!と家の警備兵が駆けつけて、剣を抜く。

「待って!私はこの家から出ていくことを伝えに来ただけです!この人は私の護衛よ」

 ポイッとリヴィオは父の腕を離して体を離した。前のめりになって床に転んだ父が叫ぶ。

「な、なんだと!?」
 
「これはコピーですけど、祖父から私宛の遺産です。頂きます」

「ナシュレ領?ふん!そんな田舎の領地くれてやりなさい!さっさと出ていきなさいな。この恩知らずの娘が!」

 さっさと追い払いたい義母が言い捨てる。ソフィアまで同じように大声で言う。ホールに響き渡る嘲笑。

「お祖父様に贔屓されていたわりに、そんなものしかもらえないなんてね!」

「これも持っていきなさい!」

 ガシャン!と上から眼の前に投げ捨てられて、粉々になったものを見ると……亡くなった母の形見であった古ぼけた宝石箱に写真などであった。

 無言で私は物を拾い集める。 

「おい…大丈夫か?」

 さすがにリヴィオが労るように声をかける。

「大丈夫よ。怒りで声が出なかっただけよ!」

 ちょっと涙目だけどね!

「さあ!でていけ!二度と帰ってくるな」 

 父がドアを指差す。さっさと出ていってやるわよと行こうとすると背後から追うよう言葉をかけられる。

「それは置いておけ。わしらが使ってやる」

 お金のことか?私が腰に下げていた物を見て、言っているらしい。

「ケチねぇ。こんな、はした金、富豪のバシュレ家にとってはたいしたものじゃないでしょ?去りゆく娘にくれたらどうなのかしら?」

 私が腰に手を当てて言うと、ソフィアが、キーキー声でなまいきよ!と言っている。

「お望みどおりくれてやるわ!」

 ポイッと私は床に投げ捨てて、出ていった。
 リヴィオが外に出ると、同情をこめて言った。

「すげー嫌われてんな。なんかしたのか?」

「お祖父様に似ているのが嫌らしいわ。仕方ないわよね。私のせいじゃないのにね」

 自分の黒の髪の毛を私は触れて嘆息した。

「なあ。金、よかったのか?ナシュレまでのお金は?」

「転移魔法で行きましょ。幸い、身の危険がそこまでなかったから魔力も温存できたしね!ちなみに、あれはお金じゃないわよ」

 私は魔法陣を書きながら言った。

「なんだったんだ?」

 リヴィオが聞いた瞬間、屋敷の中から怒号がした。

『あの、クソむすめがーーー!!』

「逃げるわよ!リヴィオ!魔法陣にはいって!」

「お、おう!」

 魔法の文字が淡く光る。眼の前の景色が揺らぐ。クスリと私は笑った。

「いざ!ゆかん!新天地!!……あれ代理人の事務所でもらった砂糖菓子の残りよ」

 ブハッと吹き出すリヴィオだった。