「リヴィオ様。お待ちしてましたわ」
義母のサンドラとソフィアが玄関ホールまでわざわざ出迎えに出てきた。
なんでリヴィオに挨拶するのだろう??
私の背後にいる彼に視線がいっている。
「以前、公爵家のパーティーでお会いしましたわね」
ニッコリと愛らしい笑顔を………リヴィオに向けるソフィア。私は無視らしい。
「あの時は公爵家の方とは存ぜず、ご挨拶ができず申し訳ありませんでしたわ」
リヴィオは私と以前屋敷に来たことがあるが、すっかりサンドラもソフィアも忘れているようだ。一瞬だったし、名乗りもしなかったし、まさか公爵家の三男が私の護衛をしていたとは思いもしなかっだろう。ソフィアはパーティーで会ったことをリヴィオにしつこく思い出させようとしている。
「ご無礼をお許しくださいますか?」
リヴィオはソフィアに話しかけられるが、金色の目で一瞥し、めんどくさそうに無視を決め込んでいる。見た目イケメンだけど性格キツイからね?と忠告してやりたいが、必要もないかと判断して放っておく。
「お父様の容態はどうなんですか?」
サンドラの赤すぎる口紅を塗った唇がキュッとなる。良くないのか。私はやはり病気だったのだと暗い気持ちになる。
「セイラはお父様の部屋へ行きましょう。リヴィオ様は……ソフィア、客室へご案内して」
「わかりましたわ!リヴィオ様、どうぞ」
ソフィアが馴れ馴れしくリヴィオの腕に触れて、客間の方へ行こうと誘う。行きましょ?と愛らしく首を傾げて下から上目遣いで見上げる。動じないリヴィオ。
「オレも同席したいんだが?」
サンドラが首を横に振る。
「あまりたくさんの人にお会いできる状態ではありませんのよ。申し訳ありませんけど……ソフィアと話でもして、待っていてくださいまし」
そんなになの……体力もなくなっているのだろうか。私は早く会いたくてリヴィオに良いわと頷いてみせる。彼は渋々、ソフィアと客間の方へ歩いていく。
「リヴィオ様は何がお好きですの?お茶とお菓子をご用意いたしますわ」
お父様の具合が悪いのにソフィアは相変わらずだわと見送る。看病などしていないだろう。
「こちらへ」
サンドラの声音が冷たさを帯びたものに変わる。リヴィオがいなくなったせいだと察する。
私とサンドラはお父様の部屋へと急ぐ。一番奥の部屋を今は寝室に使っているのかしら。コンコンとノックし、サンドラが声をかける。
「セイラよ」
「入れ」
あ、声は出せるのね。良かった。私は少し安堵しつつ扉を開けた。その瞬間、サンドラが外側から鍵をかけた。なぜ?私は首を傾げたが、目の前に父が机の前に立っていたので、ホッとしながらもやや緊張して、歩いていき、父の前で挨拶する。
「お父様、具合が悪いと聞いておりました。……寝込んではいらっしゃらないようで安心しました」
「おまえはよくのこのこと来れたものだな。啖呵を切って出ていったのを忘れたのか?」
「え?手紙をくださったので……お見舞いにと……」
「どこも悪くはない」
私はポカンとした。罠ではないか?とは思っていたが父がその罠に加担することはないと思っていたのだ。罠にかけるのはいつだってサンドラとソフィアだった。父はただ私を見ていただけで……。
そんな……まさか…。
「なぜ……呼んだのです?」
声が少し震えてしまった。父は皮肉げに笑う。
「最近、王都で流行しているものがあるそうで、誰がそれを仕掛けているのか、耳にしたのだ。女のくせに起業家気取りか?田舎に引っ込んで刺繍でもしているのかと思っていたがな」
ゾクリとするほどの声の冷たさに私は息を呑む。ハシバミ色の目が細められる。
「率直に言おう。ナシュレ領をバシュレ家へ戻せ」
「それは譲渡しろということですか?」
「譲渡?返還だろう?盗っ人猛々しい!もともとはバシュレ家の物であり、儂の物である!!」
強い口調になっていく。元気じゃないの……完全に罠にハマってしまったようだ。罠ではないか?と思っていたのに、私は少し期待してしまったのだ。わかっていたのにショックを受けている自分がいる。
「おまえのその姿はなんだ?あの爺さんの真似か?黒ずくめにご丁寧に手袋までして男装し、どこまで陶酔している?爺さんに何を言われているかは知らないが、そんな立派な人間ではないぞ」
祖父もそういえば、黒っぽいスタイルを好んで着ていたかも。真似したつもりはなかったし……ドレスを着ていたら、いざというときに動けないでしょうが!と言いたかったが、父は私に口を挟ませず続ける。
「大人しく返すならば、家にいることを許そう。ついでに嫁ぎ先でもみつけてやる」
「それはけっこうです。私は誰とも結婚する気はないですから」
「ずいぶん、図々しいな!おまえのようなやつでも申し込んで来るやつがいるということに感謝するところだろう?」
えっ!?いるの??誰だろう。初耳すぎる。しかしまったく興味が無いので尋ねなかった。それすらも癇に障ったようだ。イライラしたように言う。
「ゼイン殿下だ」
「えっ?」
聞き違えたかな?なんか殿下って語尾についてた?
「本来ならばソフィアを召し上げたい所だったが、おまえを指名してきた」
「えーと、殿下って、この国の王子様!?」
「なに惚けている?どこかで殿下にゴマスリでもしたんだろう?爺さんにしたようにな。なにもかも邪魔な娘だ」
「見たことも会ったこともない人です」
私は困惑した。なんの接点もないのに……怖すぎ。どういうつもり??ニホンならストーカー認定でしょ。
バンッと机を叩く。いきなりの大きい音に私は驚いて体をすくめた。
「まあ、どうでもいいことだ。話の本題はこっちだ。さあ。こっちの書類にサインしろ」
ナシュレ領の返還を求め、それを認めると紙に短い文章で書いてある物を私に突きつけた。
「どうして、そこまでしてナシュレがほしいの?バシュレ家の領地にしては田舎だし……お金に困ってるのですか?今、領地経営はどのようになっているの?」
そう私が聞いた瞬間、パンッと左頭の横を何かが通り過ぎて壁にぶつかり割れた。破片が私の頬を切ったようだ。痛みがあったので、右手で触れてみると白い手袋に血が滲んだ。反射的に私は体が動いて避けたので、これで済んだが…。
「なっ!?」
机に置いてあった小さいガラス製の花瓶を投げつけたのだ。割れた粉々の花瓶を見て、ゾッとした。絨毯に散らばる花と染みていく水。
「おまえは儂を馬鹿にしてるのか!?どうせ何の才もないやつだと爺さんと笑っていたのだろう?領地の管理も新たな事業も起こせないと!」
「そんなつもりありません!ただ、ナシュレ領はもう渡せません。私にとって大事な場所なんです!」
その一言で火がついたように目が狂気の色を帯びる。私にツカツカと靴の音をたてて近づいた。バッと胸ぐらを掴まれた。
「もう一度聞こう?ナシュレ領を返せ!」
「嫌です!」
皆で作り上げた物を壊されるのは嫌だ!私の居場所も無くなってしまう。
パンッと頬を叩かれる。その衝撃で床に倒れ込む。私は学園で戦闘術も学んだ。反撃しようと思えばできるわ!理不尽すぎる父の言い分と頬の痛みで怒りが沸き起こり、膝をついて起き上がると、睨みつける。
「なんだ?その目は?」
「私はもうこの家には戻りません」
魔法を使おうとした瞬間だった。後ろからヒュッと鞭のような音がして首に巻き付く。誰!?第三者がいた!?
「くっ!」
「学園とやらで学んできたことは知っている。おまえのために雇っておいた男がいる」
黒ずくめの顔を隠した人物が私の首に革製の鞭を絡ませる。背後に隠れていたのか……息が詰まる。呪を紡げない!喉に手をやる。
しまった!リヴィオを連れて来るべきだった!
私の顔色を読んだらしく、父は口の端をあげて言う。
「あのクソ生意気な公爵家の三男坊は今頃、痺れ薬で体の自由を奪われているだろう。期待するな」
サインしろと紙とペンを出す。
「い……やですっ!」
私の拒否に激昂する父の表情。
「そうか。残念だ……血がにじむほどの努力をしても認められず、どれほど才能を欲しても無い者の苦しみなどわからぬであろう、お前らなど消えてくれ」
父の両手が私の首にかかる。
そんな……そんなことって!?ギリッと力を込められる。息ができないっ………!!
「カハッ!」
私は呼吸ができず苦しくなり意識が遠くなっていく。
「行方不明になってしまえば同じことだ」
ここまで憎まれていたとは思わなかった。目の端から涙がこぼれた。現世の終わりは呆気なくこんなところで……。
体の力が抜け、フッと意識を失いかけた瞬間、ドンッ!!と音がして、勢いよく、ドアが吹っ飛んだ。
「セイラになにしてんだっ!」
リヴィオの飛び蹴りで、ドアの次は父が吹っ飛んだ。鞭の男は先程の衝撃に巻き込まれ、机とドアにはさまっている。
ちょっと待って!?私がドアの前にいたらどうなってた!?
荒々しいリヴィオの登場だった。手荒すぎるでしょと喋れる状態ならツッコミいれてた。
「ゲホッ!……ッ!ゲホッ!ゲホッ!」
私は必死で空気を吸い込む。声がでない。リヴィオは倒れている私を抱える。不本意だが、リヴィオの服を握りしめて呼吸を整える。肩で息をする。
「おいっ!大丈夫かよ?」
大丈夫と言いたいけど言えないので、涙目になっている目で生きてますー!と訴える。
リヴィオの金色の目にカッと赤い光が宿る。怒りの色だ。
「おっおまえ!『黒猫』か!?なんでこんなところに!?」
黒ずくめの男がそう言う。まさに黒猫リヴィオは猫が獲物を見るような目で相手を見る。今から狩りを始めようとする猫。
「は?おまえ?オレのこと知ってるのか?」
黒ずくめは怯えたようにそーーっと逃げようとした。その行動に気づいたリヴィオは私を抱えているにも関わらず、服の隙間から短剣を数本取り出して、投げる。ダーツの的のように男の鼻の先ギリギリにダダダダと4本命中し、動きを縫い止められる男。
「ヒィッ!」
と情けない声が聞こえた。リヴィオが低い声で、顔を見せてから行けよと言う。
「早くそのマスク取れ。まだ短剣残ってるぞ。それとも魔法で焼こうか?」
「取りますっ!」
慌てて取った黒ずくめのマスクの下は見覚えがあったような……なかったような……私はわからなかったが、リヴィオがなるほどねと冷たく笑う。相手は震えている。
「名前は忘れたが学園の時にオレを呼び出したやつだな。ジーニーとボコボコにして退学にさせた……気がするな。今、こんな仕事してんのか?」
「違う!バシュレ家の当主に頼まれたんだ!」
リヴィオに蹴り倒されて、どこか骨でも折れてるのか立ち上がれないでいる父を指さした。
フーンと興味なさげに彼は言い、私の頬を不遠慮にペチペチ叩いて言う。
「オイ。どうするんだ?呆けてる場合か?」
くっそー!もう少し休ませなさいよね。死にかけたのにひどい……でも時間は無いよね。
よろけつつ起き上がると廊下から騒がしい声。人が集まってくる。バシュレ家当主に怪我を負わせたのだから、速やかに去ったほうが良い。
「か……帰りましょ」
私は転移魔法を発動させる魔法陣を描き出す。
リヴィオがボコボコにしたり足りないんだが?と言うが、これ以上騒ぎを起こしたくない。
それに今、起こったことを受け止めるのが、辛くて、私には気持ちの余裕がない。
「もう帰りたいのよ」
繰り返し私はそう意思を伝える。もうここには一分一秒もいたくない。
「わかった」
リヴィオがかなり渋々魔法陣を描く。雇われ男はホッとしたように逃げて行くが、その背後からリヴィオが追うように言葉をかける。
「3度目にオレと対峙したら次はないからな!」
振り返ることなく、逃げ去った。同時に青い光が満ちて、廊下の声が近づいた瞬間、私達の視界も変わった。
見慣れた執務室に出た。私が足に力が入らず、ガクリと倒れ込もうとするとリヴィオが抱きとめる。
「おい。弱くなってねーか?いくら身内と言えど学園の出身なら、一般人に負けんなよ!」
「わかってるわよっ……」
悔しげに呟く私にリヴィオは厳しい言葉を浴びせていく。
「商売をしていこうと思うなら、あんなやつらごまんといるんじゃねーの?油断するなよ!」
「リヴィオ、そこまでだ。しかしリヴィオは君のことを心配しすぎて怒っているんだ。セイラのその姿を見たら、何があったのか察する」
ジーニーが来た。私の首元を見て、眉をひそめたがすぐに回復魔法をかけてくれる。きっと手や鞭の痕がついていたのだろう。切れたり腫れている頬の方もしてくれる。
「悪いわね……ちょっと座るわ」
リヴィオが辛辣な言葉とは逆にそっとソファまで連れて行ってくれる。いろいろありすぎて疲れた。足が震えている。
……ニホンのジョシコーセーの記憶は諸刃の剣だ。セイラは学園で戦闘術を行うときには淡々としていた。
しかし以前のままのセイラならあの場面で領地を譲り、父の言うままに嫁いで行くことを選んだだろう。
そもそも戦闘は平和なニホンには必要なかったし、人を傷つけることは躊躇われた。この世界では違う。これからもこんな場面はあるだろう。
弱くなったとリヴィオに言われたが当然のことだわ。私の失態である。
かなり悔しいが……こんな言い訳じみたことを考えてないで反省しよう。
ここはニホンではないし、油断したことは間違いない。グッと拳を握りしめる。
「お茶もらってきた。その顔色で皆の前に出ると心配されるだろう」
気が利くジーニーだ。温かい飲み物を口にすると落ち着く。一口飲んで、ふと気づく。
「あれ?リヴィオ、痺れ薬を盛られなかった!?大丈夫なの?」
リヴィオはフフンと小憎らしい笑い方をした。
「罠とわかってる所へ乗り込んでんのに、本気でお茶を飲むわけねーだろ。飲んだふりしただけだ。おかしいと思ってトイレに行くふりして屋敷をうろついてた」
あ、そう……。
「おまえのほうこそ、何があった?」
「ゼイン殿下から結婚の申し込みがあったりナシュレ領を返せとか言われたり……断ったらこんな目にあったのよ」
リヴィオとジーニーは顔を見合わせた。身に覚えがある反応。え!?私じゃなくて、こっちなわけ?
「……セイラ、気をつけろ。ゼイン殿下はリヴィオが殴った相手だ」
「リヴィオへの逆恨み!?私、会ったことないからおかしいと思ったのよ!」
あいつ…と苦々しくリヴィオが呟いている。なんで私にちょっかいだしてきた?リヴィオを雇っているから警告の意味合いかもしれない。
「殴る原因はなんだったのよ?そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「あ?ああ……たいしたことじゃねーし、気にするな」
先程の強気のリヴィオはどこへいったのか言葉を濁す。ジーニーが笑いを堪えている。
「いずれ話してもらうわよ?わけわからないのに変な人に絡まれたくないわ」
「変って……一応、この国の王子だ。ちょっと問題アリのお方だがな」
ジーニーはそう言ってから、バシュレ家の領地経営については調べといてやると言う。
「ありがとう。……でも今後、バシュレ家とは関わりたくないわ」
無理かもしれないけどね。はぁ……とため息をついて、血がついた手袋を脱いでテーブルに放り投げた。
血の繋がった家族はもういない。わかっていた。もう気持ちを断ち切ろう。目を閉じる。
だけど、きっと。
このナシュレ領の人々が私の家族になるだろう。
義母のサンドラとソフィアが玄関ホールまでわざわざ出迎えに出てきた。
なんでリヴィオに挨拶するのだろう??
私の背後にいる彼に視線がいっている。
「以前、公爵家のパーティーでお会いしましたわね」
ニッコリと愛らしい笑顔を………リヴィオに向けるソフィア。私は無視らしい。
「あの時は公爵家の方とは存ぜず、ご挨拶ができず申し訳ありませんでしたわ」
リヴィオは私と以前屋敷に来たことがあるが、すっかりサンドラもソフィアも忘れているようだ。一瞬だったし、名乗りもしなかったし、まさか公爵家の三男が私の護衛をしていたとは思いもしなかっだろう。ソフィアはパーティーで会ったことをリヴィオにしつこく思い出させようとしている。
「ご無礼をお許しくださいますか?」
リヴィオはソフィアに話しかけられるが、金色の目で一瞥し、めんどくさそうに無視を決め込んでいる。見た目イケメンだけど性格キツイからね?と忠告してやりたいが、必要もないかと判断して放っておく。
「お父様の容態はどうなんですか?」
サンドラの赤すぎる口紅を塗った唇がキュッとなる。良くないのか。私はやはり病気だったのだと暗い気持ちになる。
「セイラはお父様の部屋へ行きましょう。リヴィオ様は……ソフィア、客室へご案内して」
「わかりましたわ!リヴィオ様、どうぞ」
ソフィアが馴れ馴れしくリヴィオの腕に触れて、客間の方へ行こうと誘う。行きましょ?と愛らしく首を傾げて下から上目遣いで見上げる。動じないリヴィオ。
「オレも同席したいんだが?」
サンドラが首を横に振る。
「あまりたくさんの人にお会いできる状態ではありませんのよ。申し訳ありませんけど……ソフィアと話でもして、待っていてくださいまし」
そんなになの……体力もなくなっているのだろうか。私は早く会いたくてリヴィオに良いわと頷いてみせる。彼は渋々、ソフィアと客間の方へ歩いていく。
「リヴィオ様は何がお好きですの?お茶とお菓子をご用意いたしますわ」
お父様の具合が悪いのにソフィアは相変わらずだわと見送る。看病などしていないだろう。
「こちらへ」
サンドラの声音が冷たさを帯びたものに変わる。リヴィオがいなくなったせいだと察する。
私とサンドラはお父様の部屋へと急ぐ。一番奥の部屋を今は寝室に使っているのかしら。コンコンとノックし、サンドラが声をかける。
「セイラよ」
「入れ」
あ、声は出せるのね。良かった。私は少し安堵しつつ扉を開けた。その瞬間、サンドラが外側から鍵をかけた。なぜ?私は首を傾げたが、目の前に父が机の前に立っていたので、ホッとしながらもやや緊張して、歩いていき、父の前で挨拶する。
「お父様、具合が悪いと聞いておりました。……寝込んではいらっしゃらないようで安心しました」
「おまえはよくのこのこと来れたものだな。啖呵を切って出ていったのを忘れたのか?」
「え?手紙をくださったので……お見舞いにと……」
「どこも悪くはない」
私はポカンとした。罠ではないか?とは思っていたが父がその罠に加担することはないと思っていたのだ。罠にかけるのはいつだってサンドラとソフィアだった。父はただ私を見ていただけで……。
そんな……まさか…。
「なぜ……呼んだのです?」
声が少し震えてしまった。父は皮肉げに笑う。
「最近、王都で流行しているものがあるそうで、誰がそれを仕掛けているのか、耳にしたのだ。女のくせに起業家気取りか?田舎に引っ込んで刺繍でもしているのかと思っていたがな」
ゾクリとするほどの声の冷たさに私は息を呑む。ハシバミ色の目が細められる。
「率直に言おう。ナシュレ領をバシュレ家へ戻せ」
「それは譲渡しろということですか?」
「譲渡?返還だろう?盗っ人猛々しい!もともとはバシュレ家の物であり、儂の物である!!」
強い口調になっていく。元気じゃないの……完全に罠にハマってしまったようだ。罠ではないか?と思っていたのに、私は少し期待してしまったのだ。わかっていたのにショックを受けている自分がいる。
「おまえのその姿はなんだ?あの爺さんの真似か?黒ずくめにご丁寧に手袋までして男装し、どこまで陶酔している?爺さんに何を言われているかは知らないが、そんな立派な人間ではないぞ」
祖父もそういえば、黒っぽいスタイルを好んで着ていたかも。真似したつもりはなかったし……ドレスを着ていたら、いざというときに動けないでしょうが!と言いたかったが、父は私に口を挟ませず続ける。
「大人しく返すならば、家にいることを許そう。ついでに嫁ぎ先でもみつけてやる」
「それはけっこうです。私は誰とも結婚する気はないですから」
「ずいぶん、図々しいな!おまえのようなやつでも申し込んで来るやつがいるということに感謝するところだろう?」
えっ!?いるの??誰だろう。初耳すぎる。しかしまったく興味が無いので尋ねなかった。それすらも癇に障ったようだ。イライラしたように言う。
「ゼイン殿下だ」
「えっ?」
聞き違えたかな?なんか殿下って語尾についてた?
「本来ならばソフィアを召し上げたい所だったが、おまえを指名してきた」
「えーと、殿下って、この国の王子様!?」
「なに惚けている?どこかで殿下にゴマスリでもしたんだろう?爺さんにしたようにな。なにもかも邪魔な娘だ」
「見たことも会ったこともない人です」
私は困惑した。なんの接点もないのに……怖すぎ。どういうつもり??ニホンならストーカー認定でしょ。
バンッと机を叩く。いきなりの大きい音に私は驚いて体をすくめた。
「まあ、どうでもいいことだ。話の本題はこっちだ。さあ。こっちの書類にサインしろ」
ナシュレ領の返還を求め、それを認めると紙に短い文章で書いてある物を私に突きつけた。
「どうして、そこまでしてナシュレがほしいの?バシュレ家の領地にしては田舎だし……お金に困ってるのですか?今、領地経営はどのようになっているの?」
そう私が聞いた瞬間、パンッと左頭の横を何かが通り過ぎて壁にぶつかり割れた。破片が私の頬を切ったようだ。痛みがあったので、右手で触れてみると白い手袋に血が滲んだ。反射的に私は体が動いて避けたので、これで済んだが…。
「なっ!?」
机に置いてあった小さいガラス製の花瓶を投げつけたのだ。割れた粉々の花瓶を見て、ゾッとした。絨毯に散らばる花と染みていく水。
「おまえは儂を馬鹿にしてるのか!?どうせ何の才もないやつだと爺さんと笑っていたのだろう?領地の管理も新たな事業も起こせないと!」
「そんなつもりありません!ただ、ナシュレ領はもう渡せません。私にとって大事な場所なんです!」
その一言で火がついたように目が狂気の色を帯びる。私にツカツカと靴の音をたてて近づいた。バッと胸ぐらを掴まれた。
「もう一度聞こう?ナシュレ領を返せ!」
「嫌です!」
皆で作り上げた物を壊されるのは嫌だ!私の居場所も無くなってしまう。
パンッと頬を叩かれる。その衝撃で床に倒れ込む。私は学園で戦闘術も学んだ。反撃しようと思えばできるわ!理不尽すぎる父の言い分と頬の痛みで怒りが沸き起こり、膝をついて起き上がると、睨みつける。
「なんだ?その目は?」
「私はもうこの家には戻りません」
魔法を使おうとした瞬間だった。後ろからヒュッと鞭のような音がして首に巻き付く。誰!?第三者がいた!?
「くっ!」
「学園とやらで学んできたことは知っている。おまえのために雇っておいた男がいる」
黒ずくめの顔を隠した人物が私の首に革製の鞭を絡ませる。背後に隠れていたのか……息が詰まる。呪を紡げない!喉に手をやる。
しまった!リヴィオを連れて来るべきだった!
私の顔色を読んだらしく、父は口の端をあげて言う。
「あのクソ生意気な公爵家の三男坊は今頃、痺れ薬で体の自由を奪われているだろう。期待するな」
サインしろと紙とペンを出す。
「い……やですっ!」
私の拒否に激昂する父の表情。
「そうか。残念だ……血がにじむほどの努力をしても認められず、どれほど才能を欲しても無い者の苦しみなどわからぬであろう、お前らなど消えてくれ」
父の両手が私の首にかかる。
そんな……そんなことって!?ギリッと力を込められる。息ができないっ………!!
「カハッ!」
私は呼吸ができず苦しくなり意識が遠くなっていく。
「行方不明になってしまえば同じことだ」
ここまで憎まれていたとは思わなかった。目の端から涙がこぼれた。現世の終わりは呆気なくこんなところで……。
体の力が抜け、フッと意識を失いかけた瞬間、ドンッ!!と音がして、勢いよく、ドアが吹っ飛んだ。
「セイラになにしてんだっ!」
リヴィオの飛び蹴りで、ドアの次は父が吹っ飛んだ。鞭の男は先程の衝撃に巻き込まれ、机とドアにはさまっている。
ちょっと待って!?私がドアの前にいたらどうなってた!?
荒々しいリヴィオの登場だった。手荒すぎるでしょと喋れる状態ならツッコミいれてた。
「ゲホッ!……ッ!ゲホッ!ゲホッ!」
私は必死で空気を吸い込む。声がでない。リヴィオは倒れている私を抱える。不本意だが、リヴィオの服を握りしめて呼吸を整える。肩で息をする。
「おいっ!大丈夫かよ?」
大丈夫と言いたいけど言えないので、涙目になっている目で生きてますー!と訴える。
リヴィオの金色の目にカッと赤い光が宿る。怒りの色だ。
「おっおまえ!『黒猫』か!?なんでこんなところに!?」
黒ずくめの男がそう言う。まさに黒猫リヴィオは猫が獲物を見るような目で相手を見る。今から狩りを始めようとする猫。
「は?おまえ?オレのこと知ってるのか?」
黒ずくめは怯えたようにそーーっと逃げようとした。その行動に気づいたリヴィオは私を抱えているにも関わらず、服の隙間から短剣を数本取り出して、投げる。ダーツの的のように男の鼻の先ギリギリにダダダダと4本命中し、動きを縫い止められる男。
「ヒィッ!」
と情けない声が聞こえた。リヴィオが低い声で、顔を見せてから行けよと言う。
「早くそのマスク取れ。まだ短剣残ってるぞ。それとも魔法で焼こうか?」
「取りますっ!」
慌てて取った黒ずくめのマスクの下は見覚えがあったような……なかったような……私はわからなかったが、リヴィオがなるほどねと冷たく笑う。相手は震えている。
「名前は忘れたが学園の時にオレを呼び出したやつだな。ジーニーとボコボコにして退学にさせた……気がするな。今、こんな仕事してんのか?」
「違う!バシュレ家の当主に頼まれたんだ!」
リヴィオに蹴り倒されて、どこか骨でも折れてるのか立ち上がれないでいる父を指さした。
フーンと興味なさげに彼は言い、私の頬を不遠慮にペチペチ叩いて言う。
「オイ。どうするんだ?呆けてる場合か?」
くっそー!もう少し休ませなさいよね。死にかけたのにひどい……でも時間は無いよね。
よろけつつ起き上がると廊下から騒がしい声。人が集まってくる。バシュレ家当主に怪我を負わせたのだから、速やかに去ったほうが良い。
「か……帰りましょ」
私は転移魔法を発動させる魔法陣を描き出す。
リヴィオがボコボコにしたり足りないんだが?と言うが、これ以上騒ぎを起こしたくない。
それに今、起こったことを受け止めるのが、辛くて、私には気持ちの余裕がない。
「もう帰りたいのよ」
繰り返し私はそう意思を伝える。もうここには一分一秒もいたくない。
「わかった」
リヴィオがかなり渋々魔法陣を描く。雇われ男はホッとしたように逃げて行くが、その背後からリヴィオが追うように言葉をかける。
「3度目にオレと対峙したら次はないからな!」
振り返ることなく、逃げ去った。同時に青い光が満ちて、廊下の声が近づいた瞬間、私達の視界も変わった。
見慣れた執務室に出た。私が足に力が入らず、ガクリと倒れ込もうとするとリヴィオが抱きとめる。
「おい。弱くなってねーか?いくら身内と言えど学園の出身なら、一般人に負けんなよ!」
「わかってるわよっ……」
悔しげに呟く私にリヴィオは厳しい言葉を浴びせていく。
「商売をしていこうと思うなら、あんなやつらごまんといるんじゃねーの?油断するなよ!」
「リヴィオ、そこまでだ。しかしリヴィオは君のことを心配しすぎて怒っているんだ。セイラのその姿を見たら、何があったのか察する」
ジーニーが来た。私の首元を見て、眉をひそめたがすぐに回復魔法をかけてくれる。きっと手や鞭の痕がついていたのだろう。切れたり腫れている頬の方もしてくれる。
「悪いわね……ちょっと座るわ」
リヴィオが辛辣な言葉とは逆にそっとソファまで連れて行ってくれる。いろいろありすぎて疲れた。足が震えている。
……ニホンのジョシコーセーの記憶は諸刃の剣だ。セイラは学園で戦闘術を行うときには淡々としていた。
しかし以前のままのセイラならあの場面で領地を譲り、父の言うままに嫁いで行くことを選んだだろう。
そもそも戦闘は平和なニホンには必要なかったし、人を傷つけることは躊躇われた。この世界では違う。これからもこんな場面はあるだろう。
弱くなったとリヴィオに言われたが当然のことだわ。私の失態である。
かなり悔しいが……こんな言い訳じみたことを考えてないで反省しよう。
ここはニホンではないし、油断したことは間違いない。グッと拳を握りしめる。
「お茶もらってきた。その顔色で皆の前に出ると心配されるだろう」
気が利くジーニーだ。温かい飲み物を口にすると落ち着く。一口飲んで、ふと気づく。
「あれ?リヴィオ、痺れ薬を盛られなかった!?大丈夫なの?」
リヴィオはフフンと小憎らしい笑い方をした。
「罠とわかってる所へ乗り込んでんのに、本気でお茶を飲むわけねーだろ。飲んだふりしただけだ。おかしいと思ってトイレに行くふりして屋敷をうろついてた」
あ、そう……。
「おまえのほうこそ、何があった?」
「ゼイン殿下から結婚の申し込みがあったりナシュレ領を返せとか言われたり……断ったらこんな目にあったのよ」
リヴィオとジーニーは顔を見合わせた。身に覚えがある反応。え!?私じゃなくて、こっちなわけ?
「……セイラ、気をつけろ。ゼイン殿下はリヴィオが殴った相手だ」
「リヴィオへの逆恨み!?私、会ったことないからおかしいと思ったのよ!」
あいつ…と苦々しくリヴィオが呟いている。なんで私にちょっかいだしてきた?リヴィオを雇っているから警告の意味合いかもしれない。
「殴る原因はなんだったのよ?そろそろ教えてくれてもいいんじゃない?」
「あ?ああ……たいしたことじゃねーし、気にするな」
先程の強気のリヴィオはどこへいったのか言葉を濁す。ジーニーが笑いを堪えている。
「いずれ話してもらうわよ?わけわからないのに変な人に絡まれたくないわ」
「変って……一応、この国の王子だ。ちょっと問題アリのお方だがな」
ジーニーはそう言ってから、バシュレ家の領地経営については調べといてやると言う。
「ありがとう。……でも今後、バシュレ家とは関わりたくないわ」
無理かもしれないけどね。はぁ……とため息をついて、血がついた手袋を脱いでテーブルに放り投げた。
血の繋がった家族はもういない。わかっていた。もう気持ちを断ち切ろう。目を閉じる。
だけど、きっと。
このナシュレ領の人々が私の家族になるだろう。