子供の頃、俺はお隣に住む年下の女の子のぞみに怪我を負わせてしまった。

 自分も大怪我をして痛い思いをしたのに親からも酷く怒られて意味がわからなかったが、退院したのぞみが再び俺の前に姿を見せた時、自分がしてしまったことの大変さを知った。

 俺のせいで怪我をしたというのに、のぞみは何故か俺を追いかけ回すようになった。

 意味がわからなかったがまた怪我をさせたら大変だと思い、俺はのぞみを守るように遊ぶことを覚えた。

 しばらくしてのぞみの腕は治ったが、おでこの傷はいつまでも残ったままだった。不思議に思った俺は母親にいつ傷が治るか聞いてみた。

「たけるの頬の傷と同じでのぞみちゃんのおでこの傷も痕が残るかも‥‥でももう痛くないから大丈夫よ?」

 痛くなくても痕が残ると知り、俺はショックを受けて泣いてしまった。

 のぞみは女の子なのに顔に傷が残ってしまった。俺があの時のぞみを守れなかったから‥‥

「たけるはのぞみちゃんにごめんなさいしたでしょ?のぞみちゃんは怒ってなかったよね?だから大丈夫。またのぞみちゃんが危ないめにあわないように、今度はたけるが注意してあげればそれでいいんだよ?」

 次こそのぞみを守りたい‥‥俺はその一心で強くなることを望んだ。そして父親にすすめられるまま、柔道教室に通い始めたのだ。

 はじまりは確かに責任感だった。それがいつから形を変えたのかは定かではない。

 のぞみを意識し始めたのは小3だと思う。

 新しく通い始めた道場で、年上の子達にボロボロにされるのをのぞみに見られたくないと感じたのだ。その感覚は徐々に強くなり、数年後には自分がのぞみを好きだと自覚した。

 よくわからないが俺は柔道と相性が良かったらしく、私立の中学で英才教育を受けるべきだとすすめられた。

 柔道を始めたのはのぞみを守るためだというのに、なんでのぞみのそばを離れなきゃいけないんだ?そう感じた俺はそれをあっさり拒絶した。

 中学の柔道部に入ったことで、のぞみが試合の応援にくるようになった。思春期真っ盛りの俺は嬉しいやら恥ずかしいやらで大騒ぎだったのだが、レベルが高くなるにつれ勝ち続けることが難しくなってくる。

 負けて落ち込む姿なんて見られたくない。なのにのぞみに励まされると不思議と力が沸いてまた頑張ろうという気持ちになるのだ。

 嬉しいけど恥ずかしい。恥ずかしいけど励まされたい。思春期とは実に複雑だ。