今はまだ、猶予がある。
 でも親父が部屋を見回したのを見て、自分の荷物をまとめておくようにと暗に告げていったとわかった。
 コクリと頷き、自室に戻る。
 今使っているタンスも、文机も、着物も布団も座布団も、全部本家の払い下げ。
 あの女が俺のタンスや着物も全部売り払ったから、祖母からもらった遺品の着物も帯も、祖父が残してくれた花瓶も掛け軸も全部全部なくなった。
 あの女と同じ浮気女だなんて噂を流しやがってあのスカポンタン&クソぶりっこ相談女が!
 教科書とか筆とかは学校に置いてあるから、風呂敷に私服安くない私物を詰めていく。
 残っている私物は全部親父が買ってくれた誕生日プレゼントばかり。
 つげ(くし)(かんざし)、懐中時計と絹のリボン。
 財政的に厳しいのに、誕生日のプレゼントだけは欠かさずくれたところに親父からの愛情を感じる。
 中身が俺でさえなければ、父娘で寄り添って生きていけたのかな、と思う。
 でもぶっちゃけ娘相手でもそこそこ厳しい親父だったのが、息子相手ならどんだけ厳しいんだろうって想像するだけで怖い。
 しかし……この家を引き払ってからどうやって生きていくんだろう?
 一応央族ってのは前世のいうところの”華族”……貴族のことだ。
 野晒しにされることはないだろうけれど……卒業まであと一年を残して家から出ないといけなくなるのはさすがに不安だな。
 あのクソババアとあのスカポンタンとぶりっこクソ女のせいで……なんで俺たちがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!
 慎ましやかに生きてきたのに、意味わかんねぇ!
 
「はあ……。まあ、なるようになるって思うしかないか……」
 
 
 
 翌日、本家のお手伝いさんである伊藤さんが朝食を作っているのを手伝う。
 伊藤さんも九条ノ護家の分家。
 お喋りが大好きで、昨日の”元”婚約者パーティーについての話に及ぶ。
 
「まあ、それで白窪家のお嬢さんに有栖川宮の坊ちゃんを取られちゃったんです? あらあらまあまあ」
「母の件で私も貞操観念がゆるいと噂を流されていたようなのです。そのような暇ないというのに」
「それは本当にそうですわねぇ。朝もこうしてお食事作りを手伝ってくださいますし、こんな婆の話し相手にもなってくださいますし……。学校の成績を見ても、舞さんがそんなことをしているとは到底思えません」
「あ……ありがとうございます」
 
 やっぱり日頃の行いって大事だなぁ。
 朝しか会わない伊藤さんにもそう言ってもらえて、涙が出そうなほど安堵してしまう。
 これなら噂が広まっても大丈夫、かも?
 いや、さすがにその考えは甘すぎか。
 でも俺ができることってないしなぁ。
 噂をかき消すには、よりでかいヤバいスキャンダルで上書きするって方法があるらしいけれど、あんな馬鹿カップルのスキャンダルを調べる手間暇かけるくらいなら霊術の勉強に費やしたいっていうかさ~。
 
「霊術は学んでいて楽しいんです。言霊の組み合わせ次第で色々なことができるじゃないですか! これを日常使いできるようにすれば、生活も楽になると思うんですけど……尊い霊術を生活に使うなんて、って先生には渋い顔をされてしまったんですよね。でも、歴史学の先生は『陽御子(ひみこ)様の存命時代は生活に霊術が使われていた』とおっしゃっていたんですよ。生活に回す霊力を結界に回すべき、という現代の考え方はわかるんですが、日常使いしなくなったことで霊術の一部は消失したというではないですか。それって本末転倒だと思うんですよね。霊符からでも霊術をもっと身近なものにしていかないと、昨今の央族の霊力弱体化は防げないのではないかと思うのです。現に私は霊術を普段から使っているので霊力がかなり豊富と言われました」
「舞ちゃんの作ったお料理の霊力含有量、多いものねぇ。本家の料理女中でも、これほどの含有量はいないわ」
「そうなんですか?」
 
 そうよ、と私が作ったお弁当用のおにぎりを手に取る。
 そうしてなにかを考えこんだあと、にっこり笑顔で手を叩く。
 
「このおにぎり、私にも二つばかりいただけないかしら? 息子が討伐部隊なのだけれど、大きいのが出たらしいの。霊力含有量の多い食べ物があると、大きな助力になるわ」
「大きいの……禍妖(かよう)ですか」
「ええ……小さいのはよく出るんだけれど、今回は中型ですって。”鈴流木家”が二人もいる部隊だから、大丈夫って言われるんだけれど……やっぱり心配でしょう?」
「そうですね……」
 
 禍妖(かよう)とは結界に封じ込められた界寄豆の成長分が瘴気になって結界外に出て再構成したモノだ。
 正気は霧状のもので風に流され遠方で禍妖(かよう)として産まれても、結界を破壊しようと央都付近に集まってくる。
 小さく生まれても央都付近は瘴気も多く、それを吸って少しずつ巨大化……あるいは共食いして知性を芽生えさせた異形が生まれるという。
 後者は滅多にないことらしいし、知性を持ったとしても三歳児程度の禍妖(かよう)
 もしも成人並みの知性を持った禍妖(かよう)が生まれたら……と警戒はされ続けているけれど、この結界ができて約千年、そんなものが産まれてきたことはない。
 しかし小型の雑魚と言われている禍妖(かよう)も、異形であることに変わりはない。
 武器も持たない一般人にとっては、ただただ脅威。
 俺だって今の体になってから、前世の体とはまったく違ってて成長を感じる度にビビり散らかしてきた。
 特に生理。
 存在は前世の保健体育で知っていたけれど、あんなに不愉快でお腹も痛いとは思わなかった。
 それが月に一度来るんだから、いくら子どもを産むためとはいえしんどすぎる。
 自分の血ででろでろの下着を洗うのも虚しいし、匂いも気になる。
 なんなら生理が来る前日から胸が張って痛かったり、微熱が出たこともあるし、体が重怠い。
 前世男でラッキーだったと思う。
 しかも今世、央族の男って学院を卒業したら特殊な事情がない限り禍妖(かよう)討伐軍に三年間従事する。
 法的にそう定められているので、あのスカポンタンも来年には従軍だ。クックック……。
 
「私たちが普通に生活できるのも、禍妖(かよう)討伐軍の皆様のおかげですもの。私のおにぎりがお役に立てるのでしたら、喜んで作りますわ」
「ありがとう、舞さん。私みたいなおばさんの手作りよりも、舞さんみたいな若い女の子の手作りの方がきっと喜ばれるわ。お礼は後日絶対に渡すからね」