「……綾ちゃん、よう来たね。武内さんも、いらっしゃい」
「おばあちゃん……久しぶり」
「ご無沙汰しております」
 

 みんなの都合がついた、3月のある休日。

 先生と一緒に、県外にあるおばあちゃんの家へ向かった。



 川のせせらぎと鳥の鳴き声が聴こえてくる山中。

 ここへ最後に来たのは、一体いつだったか。それを思い出そうとしても、もはや何も出てこない。


「綾ちゃん、今日は来てくれてありがとう。おばあちゃん……何から言ったら良いのか、分からん……。だけど、お父さんとお母さんに代わって、謝っておく。本当に、すまなかったな……」
「……」
「綾ちゃんがここに来ないこと、部活で忙しいと聞いていて。違和感なんて、無かったんだ」


 灯油の匂いが混ざる暖かなリビング。
 おばあちゃんと先生と、私と、気まずい空気……。

 妹と弟は買い出しへ行っているらしい。
 故に。今は……3人。



 おばあちゃんは、一方的に沢山の思い出話をしてくれた。

 昔の……それこそ、私が生まれた頃からの話。
 私自身にも記憶が無い頃の話。


「綾ちゃんはお父さんとお母さんにとって初めての子供だったし、わしらにとっても、初めての孫だったからさ。それはもう、可愛くて仕方なかった」
「……」
「どこに行くにも、ママってね。生粋のママっ子だった綾ちゃんが可愛くて……」
「……おばあちゃん」


 自分でも驚いた。
 あまりにも低くて、冷たい声が出たからだ。


 先生も隣で驚いていた。
 そして、そっと背中をトントンと叩いてくれる。

 落ち着いて、の合図だ。


「……おばあちゃん、ごめん。そういう話をするのなら、帰る。耐えられない」
「……ご、ごめん……」


 少し目を伏せて、そのまま俯くおばあちゃん。

 結局、おばあちゃんにも酷いことをしている。そう思いながら小さく唇を噛むと、おばあちゃんはまた言葉を継いだ。


「綾ちゃん、話したいことはこれじゃないんだ」
「……」
「別に、この話したいことがどうこうなる訳では無い。ただ、聞いてくれるかい。お父さんとお母さんの話」
「……」


 小さく頷くと、ホッとしたような表情を浮かべたおばあちゃん。遠い記憶と向き合うように、ポツリ、ポツリと言葉を零し始める。



 おばあちゃんの話はこうだった。

 お父さんもお母さんも高校時代に虐められていた。2人は同級生だけど違うクラス。お互いそれぞれのクラスに居られなくなり、別室登校を始めた。そこで2人は知り合い、仲を深めたとの事だった。

 虐められていた経験があるから。

 2人は私に過去の自分を重ねてしまい、拒絶してしまったのだと思う。

 おばあちゃんは、そう言ったのだった。


「……な、何それ。そんな話、益々理解できないよ。自分たちも経験したなら、寄り添うのが普通じゃないの!?」
「自分たちも経験したからこそ、見たくなかった。綾ちゃんを通して、封印した過去を掘り返してしまうから嫌だったのだと思う」
「……そんなの、知らないし。そんなの……私には関係無いじゃない!」


 驚くほど脱力した。


 そんな自分本位な理由で、どれだけ私が苦しめられたかも知りもせず。

 私が、どれだけの人に助けられて生きているかも、知ろうとせず。

 私の知らないところで、いつの間にかこの世を去って逝った、最低な……2人。

 2人も虐められていた?

 ならば、もっと寄り添ってくれることも出来たのではないだろうか。

 2人して寄ってたかって、虐められる奴が悪いと言い放って……。

 その言葉に、私がどれだけ苦しめられたのか、2人は知らないだろう。


「…………そんな話、知りたくなかった」
「けど……おばあちゃんもね、綾ちゃんの事実を知った今……ちゃんと話しておかないといけないって思って」
「……」
「ごめんね、綾ちゃん」
「……もういい」


 ずっと静かに黙っていた武内先生は、小さく溜息をついた。
 そして、体が震えて止まらない私の肩を優しく抱き寄せてくれる。

 だが、涙は零れない。
 ただただ、心が麻痺しているような。そんな感覚でいっぱいだった。



 しばらく3人で黙り込んでいると、買い出しから帰って来た妹と弟が帰って来た。

 私の姿を見て、「あっ」と声を上げた妹。
 無言で抱きついてくる弟。

 そして、2人ともが……大号泣をし始めた。


「え、何」
「お姉ちゃん、お姉ちゃん!!」


 買ってきた物をその場に放り投げ、私の元で泣き叫ぶ2人。

 2人は「お姉ちゃん、ごめんなさい」を繰り返しながら、何度も何度も頭を下げていた。


「……いや、何で謝られているのか分からないんだけど」
「だって、お姉ちゃんを苦しめた。それ、私たちも同罪! お母さんとお父さんがいなくなって分かった。自分たちだけじゃ、何もできない。私正直ね、何が正解なのか分からなかった。だけど、今は思う。お母さんとお父さんは、間違っていたと……!」


 そんなこと、今更言われても。
 今更気付いたって、もう何もかも遅い。


「だ、だからって謝られても許せないよ……! 許せない、許さない……」
「分かってる! 別に、許してとは言わないよ。だけど、本当にごめんなさい。お姉ちゃん、本当にごめん、ごめんなさい!!」


 謝ってばかりで、言いたいことが伝わらない妹の言葉。
 同じく泣き続けている弟も横目に、武内先生の方へ視線を向ける。

 先生は真剣な表情で、小さく……小さく頷いていた。