ホテルに帰ると、入口付近に武内先生が立っていた。

 私の姿を見ると「あっ!!」と大きな声を上げ、こちらに向かって駆け寄って来る。何やら焦っているような表情の先生に抱きしめられ、動きを封じられた。

「え、ちょっ!?」
「柊木さん、大丈夫? 何かあった?」
「どういうことですか……」
「……いや、ごめん。まだ戻ってきていなかったから、何か良からぬことでもあってはいけないと思って……。ごめん、めちゃくちゃ心配した」

 ゆっくりと腕を離され、私の体は自由になった。

 先生の顔をよく見ると、焦りの中に見える怯えたような表情。……先生、もしかして。

「……どこかで死んでいるかも、なんて思いました?」
「…………そう。思う、というか思った。僕は君のことが心配なんだ。帰っていないって聞いて、怖かった。君の連絡先も知らないし。本当に取り返しのつかないことになったら……どうしようかと思った……」

 震えが止まらない先生の顔をそっと覗き込む。
 そんな先生に向かってニコっと微笑むと、勢いよく涙を溢れさせた。

「ちょ……」
「心配した……」

 心配性な先生に腕を軽く引っ張られ、車に連れて行かれる。
 ホテルの駐車場に停められている車に乗り込むと、先生はタオルで顔を拭いながら泣き続けた。

「先生……。私、桜川工業高校に行っていただけです」
「桜川工業高校……?」
「元気を貰いに行ったんです」


 武内先生におじさんの話はしたことが無い。

 中学時代に私を支えてくれた高校教師がいたなんて。
 その事実を、武内先生は知らない。


 良い機会だから、おじさんのことを話してみることにした。


 中学校の裏門が居場所だった私と、タバコを吸う為の憩いの場だったおじさん。そんなおじさんに支えられ、助けられ、勉強も沢山教えてくれた。

 学年1位なのは紛れもないおじさんのお陰。
 分かりやすい勉強方法も教えてくれたから。紛れもなく私の恩師だ。


「そのおじさんに、本当は相談をしに行ったんです。だけど、顔を見たら安心しちゃって。ただただ元気を貰っただけで帰ってきました」
「…………」


 無言の武内先生。
 涙目で眉間に皺を寄せたまま何かを考えていた。


「……知らなかった。辛い中学時代を支えてくれていた人がいたんだ」
「そうです」
「だけどさ、その相談って……僕じゃダメだった?」
「……え?」
「……って、ごめん。何でもないよ。今の僕、変だね」


 涙を拭い、先生は悲しそうに微笑んだ。

 私が家を追い出されてから、武内先生は泣いてばかりだ。
 ここまで私のことを想い泣いてくれた人なんていただろうか。

 実の家族以上に、私のことを想い、考え、悩んでくれる。

 そんな先生の心境は涙に隠され、そう簡単に見ることは叶わない。


「そ、そういえば。柊木さん、連絡先を教えてよ。今回みたいなことがあると、僕は心配だから」
「先生……私のスマホ、解約されています」
「え?」
「速攻解約されたみたいで、あの日から使えていません」
「…………」

 私の言葉は想定外だったのだろう。目を見開いたまま暫く固まり、ふぅ……と息を吐いて頭を抱える。そして「でも、そうよね」と小さく呟き、ハンドルに顔を埋めた。


 薄暗くなってきた窓の外に目を向ける。少しだけ雲がかかった薄明が幻想的で、思わず見入ってしまう。

 そういえば、前よりも空を見上げる頻度が減っているかも。

 何かと忙しくて、私は大切な何かさえ忘れている気がする。


「……柊木さん。時間貰っても良い?」
「はい」
「今日確か、流星群が良く見える日じゃなかったかな。少しだけ、見に行ってみない? 街の灯りが入らない場所なら、桜川市内でも見えるかも」
「……見に、行きます」

 その返答に優しく頷いてくれた先生。「よし、行こう」と声を上げ、車を発進させた。


 移動の途中、先生は何度か頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。その行動の意味が分からずに、ただ呆然と窓の外を眺める。

 薄明の空は、いつの間にか真っ暗になっていた。