その日の放課後、私はホテルに帰る前にある場所に向かった。


 悪い思い出しか無い中学校の隣にある、桜川工業高校だ。


「…………」


 校門を抜け、正面玄関に向かう。

 いつも中学校と高校の境界でおじさんと話していただけだから、高校側の敷地をまたぐのは初めて。少しだけドキドキしながら、頑張って歩みを進めた。


 途中、すれ違った生徒に「何で桜川高生?」と言われたが、全てスルー。中学校の同級生に会わないことだけを祈りながら、どうにか事務室まで辿り着いた。


「す……すみません。桜川高校の柊木と申します。あ、あの……。突然来たんですけど、河原先生いらっしゃれば……お会いしたいです」


 緊張したけれど、ちゃんと用件を言えた。事務室の人はニコニコと優しい笑顔で話を聞いてくれて「分かりました。少々お待ち下さい」と言って事務室から出て行った。

 事務室前で待つこと数分。
 パタ、パタと近づく音と同時に「おっ?」と言う声が聞こえてくる。


「柊木……久しぶり。元気か」
「おじさん、お久しぶりです」
 

 驚いた表情の中に少し嬉しそうな様子も見える。

 おじさんとは約半年ぶりの再会。
 参加しなかった中学校の卒業式の日に会って以来だ。


 おじさんは校内に入るよう促してくれた。事務室で入校証を貰い、少し先にある相談室と書かれた部屋に入る。


「桜川高校ではどうだ」


 その一言に頷き、私は高校での話をした。

 教室に通えないこと。特別に用意された別室に登校していること。私だけに担任がついていること。高校に入ってからのテストは今のところ全て1位ということ。

 沢山の話をした。
 その間おじさんは、静かに頷いて話を聞いてくれていた。


「教室に通えないのは仕方ないと思う。あんなことがあったんだ。寧ろ別室でも学校に行けるだけマシだろ。お前……頑張ってるな」
「……」
「学校、楽しいか?」
「……楽しいです。担任の先生も優しいから。毎日が凄く楽しいです」
「因みに、担任の名前は?」
「武内慎二先生。国語と音楽の担当です」
「あぁ。俺、知ってるかも」


 アホ毛の人だろ。なんておじさんが言うから、思わず吹き出してしまった。確かに、武内先生はサラサラヘアなのに何故か1束だけぴょんっと飛び跳ねている。

 この1束が言うことを聞かないんだと、先生はよく嘆いているんだ。


「……しかし、良かった。私、おじさんに会いに来て良かったです」
「何か、悩みでもあったんじゃないのか」
「ありました。でも、大丈夫。おじさんの顔を見たらなんか安心しました」
「……何だ、そりゃ」


 中学時代の私を知っている唯一の人。
 本当は私の両親の話もして、これから私が選択しようとしていることが正解なのか、相談に乗って貰おうと思っていた。

 けれど、そんな相談をしてもおじさんを困らせてしまうし……。そして何よりも、おじさんの顔を見たら本当にどうでも良くなった。

 安心したというのは、嘘では無い。


「じゃあ、おじさん。また来ますね」
「おう。無理しない程度に頑張れよ。応援しているから」
「ありがとうございます。おじさんも、大好きな元生徒さんと再会できるよう応援しています」
「なっ……!?」
「無事再会して、お付き合いできると良いですね」
「柊木……お前なぁ……」
「ふふっ」


 顔を真っ赤にして肩を震わせているおじさんが面白い。


 おじさんが大好きな人。

 他人思いの優しいおじさんが大好きな人なのだから、きっとその元生徒さんも優しい人なのだろう。いつか私も、会ってみたいな。……なんて思いながら、再びおじさんの顔を見る。


「ねぇ、おじさん。おじさんが話し掛けてくれたから、今があります。ありがとうございました」
「おう。……てかさ、いい加減おじさんって止めてくれない?」
「ふふっ。私、河原先生の名前を知りません」
「いや、今言っただろ」


 ニヤッと微笑むと、おじさんもフッと小さく笑った。


 あの時、本当におじさんと出会えてよかった。


 そんなことを思いながら私は、足早に桜川工業高校を後にした。