《武内先生、飛谷先生。大至急、事務室前まで》


「えっ?」


 ある日の昼休み。
 いつもの様に武内先生とお弁当を食べていると、突然そんな校内放送が流れた。口に含んでいたご飯を急いで飲み込んだ先生は、椅子から立ち上がって扉の方に向かって走る。

「柊木さんごめん、ちょっと行ってくる」
「分かりました」

 バタバタと遠ざかって行く足音を聞きながら思う。武内先生と飛谷先生の2人って……私のことなのでは。そうだとしか思えない組み合わせに、不穏さを感じる。

「……」

 事務室は、ここ空き教室棟の1階から特別教室棟に入ればすぐの場所にある。私は自分と先生のお弁当の蓋を閉めて、教室から出た。




 空き教室を出ると響き始める沢山の生徒の声。その声に嫌悪感を抱きながら特別教室棟に入った。

 すると、本当に事務室前には武内先生と飛谷先生がいた。

「あと……教頭先生と、お父さんとお母さん!?」

 険しい顔をしている両親。困ったような顔をしている飛谷先生と教頭先生。そして……どう見ても怒りが滲んでいる武内先生。異様な空気感の5人は、無言のままお互いを睨み合っていた。


「――で、お二方の目的は娘さんの退学ですか」
「そう。まともに教室にすら通えない奴の為に払う費用が無駄だろ。うちは自営業なんだ。高校中退でも雇ってやれるし、その方が将来の為になる」

「……」

 一瞬、何を言っているのか理解ができなかった。
 退学。その言葉を頭が理解し始めると、自然に込み上げてくる涙。

 聞かなければ良かった。ここ最近は本当に両親と会話をしていない。そんな折に、こんな話。2人とも、そんなことを思っていたなんて。


 悲しさで思わず涙が零れる。だけど、このやり取りだけはきちんと見届けなければならない。私にはその義務があるような気がした。

「何だよ、別室登校って。そんな無駄なことをしてまで高校を卒業する必要があるのか?」
「……お言葉ですが、親御様。綾香さんは別室登校をなさっておられますが、入学してからのテストは毎回学年1位で、非常に優秀な成績を上げられております。他生徒との交流と言う面では乏しいかもしれませんが、学力に関しては申し分ありませんので、どうかこのまま様子見をされては如何でしょうか」

 控えめに小さくそう言ったのは教頭先生だった。私に『サクラ学級』の場所を用意してくれたのも教頭先生……。

 しかし、両親にその言葉は届かない。

「無駄。中学の時から思っていたけれど、“たかが虐められたくらい”で教室に通えなくなるなんて、そんな弱虫に育てた覚えは無いんだ。中学は義務教育だったから仕方なく“様子見”をしていたが、高校はそうじゃない。どれだけ勉強ができてもまともに通えないなら辞めるだけ。そんなの、何もかも無駄なんだ。……ってことで教頭先生。早く退学の手続きさせてくれない?」
「………っ」

 震え出す教頭先生と飛谷先生。歯を食いしばってそんな震えを抑えようとする2人を他所に、声を上げたのは武内先生だった。

「“たかが虐められた”? 実の娘に対して何ですかその言い草。中学校で何をされたか、どうやって乗り越えて来たか知っているでしょ!?」
「……知らんし、興味も無い。教室に通えるか通えないか。ちゃんとした高校生活を送れるのか送れないのか、それしか興味が無い」
「んだよそれ……。ふざけんなよマジで……」
「武内先生、落ち着いて!」

 当の私は震える体が抑えられない。親の酷い言い草に怒りや悲しみで心の中はモヤモヤして、もうどうしようもできない。

「とにかく、綾香を連れて来てくれ。このまま連れ帰る」
「ダメです。そんなご両親の元へはお返しできません」
「……調子に乗るなよ。たかだか、県の犬如きが」
「県の犬でも何でも結構です。柊木さん、家にも居場所が無いと泣いているのですよ! そんな彼女の唯一の居場所が、今の別室なんです。どうしてそれが理解できないのですか!?」
「……」

 家のことを言うと顔色を変えた両親。悪いと思っているのか……。その顔色から感情までは読み取れないけれど、バツが悪そうに顔を伏せた。

 そうして気まずそうに唇を噛み、「今日のところは帰る」と言って足早に玄関から出て行った。

「………」

 体から力が抜け、その場に座り込む。

 『サクラ学級』に通い始めてから、両親とは全く会話をしていない。
 おはよう、おやすみ、いってきます。
 どの挨拶も交わさずに……お互い無言。

 朝と夜の食事は用意されている。
 だけど、他の家族とは別。

 両親と妹、弟の4人はダイニングテーブルで顔を会わせて仲良く食事を取るのに対して、私は1人壁に向かって食べる。

 リビングの角に置かれた小さなテーブル。その上にある冷たい食事。

 そこが、私の席だった。

 中学校で虐められるまでは普通だったのに。
 私が虐めに遭い、“まともな”学生生活を送れなくなってから……両親も私に対する態度を変えてきたのだった。


 ……だから、びっくりした。
 家で全く会話をしないのに、急に学校を辞めて働けと言い出すなんて……。