爽やかな風が吹き抜けていく。 部屋の中で金の計算ばかりしていた頃には感じたことが無い風だ。
喫茶店の隣には置き忘れたようなモニュメントがポツンと立っている。 ずいぶんと雨に濡れたからか、ところどころが錆び落ちている。
 昔はペンキで鮮やかに塗られていたのだろう。 それも剥げてしまって見るも無惨である。
この辺りには寅さんもロケに来たことが有ると聞いたことが有る。 いつの話なんだろう?
 もう寅さんだって過去の人になっちまったよね。 寂しいもんだ。

 昔は正月になると寅さんの映画をテレビで放映していた。 あの声を聞かない年は無かった。
生まれは葛飾柴又、帝釈天の産湯を使った寅さん、、、。 あれは団子屋だったかな?
 下町のちょいと風流な流れ男。 流れ物で気紛れで人情味が有って人に熱い男。
あんなのが居たら俺だって連れ添ってるかもなあ。 なんて出来もしないことを考える。
 「お兄さん それは無理っちゅうもんだよ。」 寅さんなら空を見ながら笑ったかな?
とにかく気紛れで気が付いたら居なくなってるんだもんなあ。 性分 合わないぞ。
 ブラブラと歩き回ってみる。 部屋に帰ったって誰も居ないんだ。
誰に構うことも無い。 寂しい男だって人は言うけれど、、、。
 ぼんやりと空き地に足を止めてみる。 ダンボールがベンチの脇に転がっている。
夜の間にホームレスが泊まりに来てたんだな。 でも今は正社員でもホームレスが居るという。
 前家賃を払えないから部屋を借りていないのか、何かと煩わしくて借りていないのか?
 正社員であれば工夫すれば部屋を借りれないことも無いだろうに。
彼ら、彼女らは何処で生活しているのだろうか? ダンボールハウスでないことは明らかである。
 それがまたネットカフェなどの24時間営業の店だというのだから唖然としてしまうのだ。
まあね、生きるも死ぬも人の自由だ。 とやかく言うことは出来ない。
けれども最低限のことはきちんとしてほしいもんだね。 住所不定であればセーフティーネットも庇えない。
 事件に巻き込まれても調べようが無いし、救いようも無い。
万が一、死んでいても無縁仏にするしか無くなってしまう。 これではあまりに憐れじゃないか。
 何ゆえにネット難民を選んだのか? 俺たちに理由など分かりはしない。
兎にも角にも見えない形で社会が崩れ果てていることだけは確かなようだ。

 空き地の隅には銀杏の木が植えられている。 数本の木が並んでいて秋には狭い空き地でも紅葉狩りをする人が居る。
その奥には栗林が小さいけど広がっていて、栗拾いをする人たちが集まってくる。
 今はまだまだそんな季節じゃない。 空き地の向こう側には寂れた工場跡が広がっている。
たまに幽霊騒ぎで噂になるけれど、実際に幽霊に遭った人は居ないらしい。 お騒がせな話だよ。
 その工場は金属加工をしていた。 サッシの枠とかスプーンなんかを作っていたらしい。
銀行マンだった頃、ここの社長からも融資の話を受けたことが有る。 きちんと返済してくれる人だったから行員の評判も上々だった。
 でもいつだったか、返済が滞り始めて破産を申告されてしまった。 こうなったらお手上げだ。
 まあね、貸倒引当金が有ったからなんとかなったけど、それが無かったらもろにやばかったよ。 それが15年前の話だ。
ちょうどリーマンショックに重なるね。 てんやわんやだったよ。
 あの頃はデフレ真っ最中。 浮き上がるチャンスを何度も潰して「永久にこのままか?」なんて言われてたっけ。
経済政策も景気対策もなぜかしょぼいやつばかり。 マグマにコップ一杯の水を浴びせるようなもの。
おかげで自民党は大惨敗したんだよな。 でもその後が悪かった。
 どっちを向いているのか分からない驚異の左巻き政党 民主党の時代だったから。
あれほど混乱した政権も無かっただろうなあ。 俺はというと左巻きは苦手だし自民党にも距離を置いていたから宙ぶらりんって感じだった。
 怒りの一票 地獄の4年だったよ。 その間に東日本大震災が起きたんだ。
確か、その前に民主党の皆さんが政権に就いていた時には阪神淡路大震災が起きてるよね?
なんとまあ皮肉なことか、、、。 あの当時、民主党じゃなかったけれどその中心になる人たちが閣僚に入ってなかったっけ?
 そしてさらには社会民主党さんが政権に関わってたよね? 何たる偶然?
しかも阪神大震災の時は総理大臣を出されてたんだよねえ? 驚き。
 神戸の避難所を訪れた総理は「何のために来たの? 形だけなら要らないよ。」って言われてたっけ。 さんざんだったなあ。
そしてそして地下鉄サリン事件が起きるんだ。 あれはあれで狂気の沙汰だった。
霞が関がテロの標的にされたんだからね。 今の人たちにはピンと来ないだろうけど、、、。
考えてみればもう30年も前の事件なんだよ。 でもさ、結局のところで彼らは何がしたかったの?
 日本転覆を企てるのであれば霞が関ではなくて永田町だよね? 狙うならそこだと思うんだ。
政治をストップさせなければ転覆することにはならない。 だって官僚ではどうしようもない。
 それがなぜ霞が関だったのか? しかも乗り入れている地下鉄を狙ったんだよね?
国家転覆の前哨戦に選んだのであれば理解できる。 その混乱に乗じて第二第三の攻撃をすればいいのだから。
でもそれは起きなかった。 というより起こせなかったんじゃないのか?
自衛隊までが出動したからね。 そしてやっと使われたのがサリンだって判明した。
 そうとは知らずに車内から物を運び出して死んでしまった人も居る。 (まったくどうしようもないな、、、。 こんなのを誰が持ってきたんだ?) 半分は呆れていたのかな?
それからだよな、列車内の不審物に注意が注がれるようになったのは、、、。

 この地下鉄サリン事件が起きる前、長野でも異様な事件が起きている。 松本サリン事件だね。
この時、なぜか注目されたのは第一通報者だった。 奥さんも被害を受けた中で彼は犯人に仕立て上げられていったんだ。
 警察の強情もすごかったねえ。 何処までも彼を犯人にしたかったんだろう。
しかしそれもまたオームの仕業だったことが明らかになる。 それまでに一年も掛かってるんだ。
 夜中に突然得体の知れぬ霧が町を包み込むなんてホラー映画でも見たことは無いなあ。
しかもオーム真理教が狙っていたのは裁判官。 その狙いが外れて庶民が犠牲になってしまった。
 6月27日だから梅雨明け間近の蒸し暑い夜だよね。 静かな夜が一変したわけだ。
 しかもサリンが狙ったのは庶民ばかりじゃない。 創価学会の池田名誉会長も狙っていたと聞く。
ところがどっこいで、この時は噴霧器が逆噴射したというから笑えない話だ。 実働部隊は恐怖に震えただろうね。
 この30年もいろいろと有ったんだなあ。 過ぎ去ってしまえば「なぜ、あんなことをやったんだろう?」って思うようなことばかりだけど。

 そういえばさ、白装束の集団ってのも居たよね? 白い布を巻いていく不気味な集団が、、、。
あの人たちは今どうしてるんだろう? ライフスペースもずいぶんと世間を騒がせたよなあ。
 「私は仏だ!」って叫んでる叔母様も居たっけ。 なんかすごい人たちが居たねえ。
1990年から2010年までって癖の強い人たちが賑わしてたよなあ。
マスゴミに完全懲悪されてしまった騒音おばさんとか、、、。
 いやいや、何を今更に振り返ってるんだろう? 年を取った証拠なのかな?
 俺は回想に耽りながら家に帰ってきた。 玄関には古びた金魚鉢が置いてある。
夏祭りなんかに出掛けると大して掬えもしないのに金魚掬いをやった。 なかなか取れないんだよなあ。
 それを見かねたおじさんが「一匹プレゼントしてやるよ。」って言って袋に入れてくれたっけな。 それを鉢に移すんだけど長生きしないんだよ。
二度三度とやってみたけどダメだった。 以来、金魚鉢だけが置いてあるんだ。