静かなピアノ曲が流れる喫茶店の片隅で物思いに耽っている男が一人。
彼はホットコーヒーを静かに飲みながら回想を続けている。 時折、壁に飾られた古いポスターを眺めたりしながら。
ここ、ドルフィンには昭和の昔に学生だった人たちが思い出を抱えて集まってくる。 いろんな顔が並んでいる。
古い思い出を辿りながら何をしているのだろう? 俺もそんなおっさんの一人だ。
俺の名は大沢敏夫。 つい数年前まで銀行マンだった。
でも50の声を聴いて冒険がしたくなり、仲間と一緒に銀行を退職した。 そして今は下っ端ユーチューバーとして売れない顔を晒している。
毎日、カメラを持って歩き回り、ネタを捕まえては動画をアップしている。 まあ見てくれている人も居るような居ないような、、、。
動画をアップしてしまうと急に寂しくなってこの店にやってくる。 そして毎日同じようにコーヒーを飲みながら売れ残ったおっさんたちと他愛も無い話をする。
ここのマスターもいい加減に嫌そうな顔もせず、コーヒーを出してくれる。 そしていつも懐かしい歌を聞かせてくれている。
おじさんもおばさんもあの頃を懐かしがって話に夢中になり、歌に聞き入って世間の冷たい風を少しだけ忘れるらしい。
俺もコーヒーを飲むたびに目の前を通り過ぎて行った人たちのことを昨日のことのように思い出すから不思議である。
今日は月曜日。 多くの人たちは遊び戯れた日曜日が過ぎてしまって現実に引き戻される朝である。
俺はというと8時を過ぎてもなお布団の中でゴロゴロしている。 銀行を辞めた時、嫁さんも俺に愛想をつかして出て行ってしまった。
以来、やつが何処で何をし、誰と居るのかなんて知りたくもないと思っている。 お子様も居ないのだからどうでもいいことだ。
そんな俺が起きだすのは10時を過ぎてからのこと。 買っておいた食パンを焼いてバターとジャムをどさっと盛り合わせコーヒーと一緒に流し込む。
食事らしいものを済ませたら部屋を見回して洗濯を始める。 洗濯しても外に干すことはまず無い。
部屋に渡しておいたロープに引っかけておいて乾いた物から着ていく。 それで十分だ。
取り合えず身支度らしいことを整えたら外へ出掛ける。 何か探し物をするような眼でね。
もちろん、何も見付からない時だって有る。 そんな日はしょぼくれた顔で喫茶店に行く。 店の片隅でコーヒーを飲みながらいつものように歌に聞き入る。
俺はそれでも十分に幸せだと思っている。 連れは居ないが苦しむことも無く、やりたいことをやりたいだけやっているのだから。
でもね、コーヒーカップを覗いていたら思い出すんだ。 好きだって思っていた人たちのことを。
あれは高校三年の時だった。 進路に悩んでいた俺は学校帰りに橋の上から川を覗いていた。
大学に進むべきか、就職するべきか、、、。 両親は離婚していて母親は昼も夜も働いていた。
そんな中でも母親は俺に言ったんだ。 「しっかり勉強して世の中のために働きなさい。」って。
それでも俺は決められなくて毎日、川を覗いていた。 死ねたら楽だろうなとも考えていた。
そんな時だよ。 前から好きだった先輩が大学で行き詰って自殺したのは、、、。
その知らせを聞いた時、俺は学校から慌てて病院へ飛び込んで行った。 先輩はベッドに寝かされていた。
「顔は見ない方がいい。」 誰もがそう言った。 でも俺は信じられなくて顔を見たんだ。
この世の物とは思えないくらいにぐちゃぐちゃだった。 飛び降りたんだからしょうがない。
先輩 木村涼子は幼馴染の一人でずーーーっと近所に住んでたんだ。
今でも忘れられない俺の初恋の人だ。 その人が飛び降りて死んでしまった。
それで俺は就職することを決めたんだ。 相手は地方銀行さ。
涼子のことを忘れたくて必死になって働いた。 でも今から思えばそれは無駄だった。
だって今でもこうして思い出すんだからね。 涼子はギターを弾いていた。
高校でも教室にギターを持ち込んで昼休みになるとミニライブをやってたっけ。 デビューするんじゃないかって噂だったよね。
俺もよく聞かせてもらった。 一緒に歌ったことも有る。
そんな先輩が自殺したんだぜ。 信じられなかったよ。
それから20年30年経っても変わらずに覚えている。 そう、形見に貰ったギターもそのままだ。
今も物置の隅に眠っている。 今度出してやろうか。
コーヒーを飲みながら涼子のことを思い出すんだ。 後で結婚したのは実は涼子の妹だ。
何て言う皮肉なんだろうねえ? 時のいたずらか。
由美子も涼子と同じように小さい頃から一緒に遊んでいた。 それがまさか結婚するなんて、、、。
「姉ちゃんが結んでくれたのよ。」 由美子はいつも俺にそう言った。 涼子とは違ってどこか内向的な女だった。
陰気臭いとかいうわけじゃないんだけどな。 涼子は活発な女で誰とでも仲良くなり、海へ山へ毎週出掛けるようなやつだったんだ。
そんな涼子が自殺した日、由美子も死ぬんだって聞かなかった。 それをなんとか宥め空かして付き合ってたんだ。
いつか、俺と由美子は恋仲になった。 そして駆け落ち同然で同棲した。
そこでも由美子は涼子の写真を肌身離さずに持ち歩いていたっけな。
夕食を作ると涼子の写真の前に皿を置いて「姉ちゃんも食べようね。」って手を合わせてたんだ。
俺が風邪をひいた時には「姉ちゃんのことを忘れるからそうなるのよ。」って口を尖らせてたっけなあ。
そんな由美子が「別れたい。」って言ってきたのは2年前のことだった。 驚きはしたけど(そんなことも有るんだろうな。)って思ったから離婚届にもサインした。
由美子が出て行った後、この部屋には誰も来なかった。 友達すら来なくなったんだ。
まあ、そうだよな。 友達をよく呼んでたのは由美子なんだから。
コーヒーを飲んでいると涼子のことも鮮やかに思い出す。 中学生の時は生徒会長もやってたんだ。
特にはみ出すようなことも無くて真面目な人だった。 シンボルは眼鏡だったなあ。
ポニーテールが似合う人でね、それがまたさり気なく決めてくるんだ。 いつもドキドキしてたよ。
小学生の頃には何とも思わなかったのにね。
涼子はね、1年先輩で由美子は1年後輩だった。
だから由美子が小学校に入学した時から三人でいつも並んで登校してたんだよ。 「アヒルの兄妹みたいだね。」って親たちには笑われてた。
信号で立ってる緑のおばさんにも「今日も三人仲良しだねえ。」って言われてたもんだよ。
俺は黒のランドセル、涼子と由美子は赤のランドセル。 俺たちの頃は赤と黒しか無かったからね。
由美子はまだまだ小さかったからランドセルが歩いてるみたいだった。 重そうにしてたからさ、いつも俺が支えてたんだ。
そんな由美子が4年生になった時、俺たちは初めてリレーに出た。 そうそう、由美子からバトンを受けて涼子に渡すんだ。
ところがさ、何が有ったのか、俺が緊張しちゃって受けるのも渡すのも失敗しちゃってさあ、、、。
それで白組が負けたもんだからみんなに死にたくなるくらいの文句を言われたなあ。
しょうがないだろう、そんな時も有ったんだから。
ぼんやりと椅子に座ってコーヒーを飲んでいる。 今、由美子はどうしているのかな?
涼子が生きていたら今頃は子供も一緒になって海に行ってたのかなあ。 いろんなことを思うね。
誰か客が入ってきた。 マスターの馴染みらしい。
俺は金を払って店を出ることにした。
喫茶店からグルリと回って我が家に帰ってくる。
帰ってくると居間のテーブルに落ち着いてまたコーヒーを飲む。 何杯飲んでるんだろう?
喫茶店の向こう側には山が在る。 登ったことは無いけれど。
高校の時だったかな、遠足のコースで山の近くまで行ったことが有る。 それくらいかな?
ぼんやりするのももったいないから適当に買ってきたプラモデルを出してみる。 飛行機らしい。
全日空のマークが入ってるね。 銀行マンだった頃、出張でよくお世話になったよ。
飛行機と言えば思い出すのは日航機の墜落事故。 本当は誤爆による事故なんだけどね。
自衛隊のミスを隠すためにボーイングに責任を負わせてしまったあの事故、、、。
だからかな、アメリカはボーイングの機体を買い進めるように圧力を掛けてきた。 どっちもどっちだね。
しかもさ、山はそんなに焼けてないのに遺体は焼け焦げてたって話も有るよね。 相模湾には今も証拠品が沈んでいるらしい。
おそらくは原型を失うまで引き上げられることは無いだろう。 どいつもこいつも汚いよ。
庶民が隠し事をすれば徹底的に洗い出すのにねえ。 困った国だよ。
本当の民主国家には当分なれないな。 残念だけどさ。
今の政治屋を全て追放し尽くしてからじゃないと無理だね。
夕方になると幾分か涼しい風が吹き込んでくる。 そうすると今度は肉を焼いて飲むんだ。
由美子が居た頃は付き合いで飲みに行くことが多くてさ、寂しい思いをさせたね。
融資の相手だとか大口の投資の話だとか、一般人にはほぼほぼ無縁な客ばかりを相手してたんだ。 面食らったことだって有るよ。
そりゃあ、価格破壊の時代だったからね。 うまくいかなくて倒産した銀行も有るくらいだから大変だったよ。
そんな銀行をハタと辞めちまって今は呑気なユーチューバー暮らし。 退職金も少しは有るから気を休めるつもりでのんびりしてるんだ。
毎日毎日 金に追い回されていた自分が苦労も何もしない生活をしてるなんてどうなのかな?
小学生の頃、俺は岩崎宏美の歌をよく聞いていた。 親父がファンだったからね。
あの頃はフォークソングもかなりの勢いで流行ってたよね。 かぐや姫とかグレープが終わる頃だった。
そうそう、南こうせつとか、さだまさしがソロになって歌い始めた頃だ。
学校から帰ってくるとランドセルを放り出して空き地へ飛び込んでいく。 かくれんぼをしたり、缶蹴りをしたり、時にはメンコに夢中になり、、、。
そして土管の秘密基地に潜り込んで夕暮れまで遊び抜くんだ。 泥んこになって時にはケガをしてもね。
夕方になると「もういい加減に帰ってこい! ご飯だぞ!」って母さんが探しに来るんだ。
ほんとにさ、みんな揃って泥んこになって遊んだよね。 楽しかった。
キャッチボールをしていたら隣の家の窓をぶっ壊したりしてさ、喧しいじいさんにこっぴどくお説教もされたもんだ。
そのうちに良子がピンクレディーに嵌ってしまって毎日毎日 踊って歌って聞かされたっけ。 由美子はじっと見てたよな。
涼子が踊るたびに俺はドキドキした。 だって目の前でスカートをヒラヒラさせるんだから。
今から考えればさ、卑猥な衣装で歌ってたんだねえ あの人たち。
俺はどちらかというと、ポッチャリな桜田淳子が好きだったかなあ。 百恵も良かったけどね。
あの当時、アニメはすごかった。 ドラえもんにサザエさん、コンバトラーvにガッタイガー、、、。
マジンガーzにゲッターロボ、、、。
ちょうどロボットアニメが急成長している時だったんだね。
そうそう、その後を追い掛けるようにして金八先生とか西部警察とか、いろんなドラマが出てくるんだ。 これも目が放せなかった。
西遊記なんかもこの頃だよね。
でもさ、不思議とガンダムは全く興味が湧かなかった。 ガンプラとか死ぬほどに流行ったのに。
何がダメだったんだろう? 兎にも角にも見る気はしなかった。
その代わりに嵌まり込んだのはスリーナインだよなあ。 鉄マニだったからかな?
地球からアンドロメダまでslの超特急が走り抜けるんだ。 意表を突いたアニメだった。
地球からアンドロメダまで1年で走破するんだよ。 どんだけーーーーーーーーーー?じゃない。
光速でも200万年掛かるって言うのに、、、。 さすがはアニメだね。
あんな超近代的な列車が開発されたらどうなるだろう? しかもさ、スリーナインは完璧にコンピューターが全てを判断するんだ。
人間業じゃないよね。
あの昭和50年代、新幹線は東京と博多を結んでいるだけだった。 しかもそれでも6時間は掛かったんだ。
今はどうだい? 東京から鹿児島まで一本で行ける。
昔はブルートレインが走った道を新幹線が走っている。 しかも福井や山形、秋田にまで新幹線は延びている。
それがさらに津軽海峡を越えて北海道にまで延びている。 信じられないことだね。
こんな日本を涼子にも見せたかった。 逝ってしまうのは早過ぎた。
その涼子は高校生になるといつも教室でギターを弾いて歌っていた。 なんかかっこう良かったなあ。
作詞もやってたんだよね。 たまに俺に聞いてくるんだ。
「この辺りにいいフレーズは無いかな?」って。 だから詩集を読んだり辞典を調べたりするのが好きになった。
時にはお笑い芸人の言葉を拾ってきたりしてね。
ツービートとかオール阪神巨人とか横山やすしとか、いろんな人たちのお笑い語録を引っ掻き回したことも有ったっけ。
昭和50年代、ショッキングな事件も多かった。 グリコ森永事件とか、ホテル ニュージャパンの火災とか、羽田沖の逆噴射事故とか、、、。
巷ではデパートの屋上遊園地が大盛況で、今みたいな目玉施設が無い代わりに特徴的だったなあ。
町の中をチリ紙交換と竿竹屋が走り回り、町内会では回覧板が大活躍。
隣近所で知らない人は居なくて、会えば何処だって井戸端会議の場になった。
冬になるとあっちでこっちで焚火をしながら芋を焼いて寄り合ったもんだ。
玄関が開いていたってお構いなし。 誰か居れば上がり込んで話に夢中になったもんだ。
それがどうだい、プライバシーだとか何だとか言い張って互いに関わらなくなっちまった。
それどころか、じいさんばあさんまで拒否したものだから孤独な年寄りが増えちまった。
挙句の果てには子供が育てられないとか、子育てできないから子供は要らないとか勝手なことばかり言うようになっちまったじゃないか。
子育てが大変だって言うのなら聞き返したいね。 なぜ、じいさんばあさんを捨てたんだ?
文句を言われるから? 嫌味ばかり言うから?
それは若いあんたたちの言いがかりだよ。 手伝ってくれる人たちを自ら捨て去っておいてそれは無いだろう?
なぜ、子育てが大変になったのか? 物価が上がったことが直接の原因じゃないと俺は思う。
大家族を捨て去ったことだよ。 夫婦二人だけで何でもやろうとしたから無理だったんだよ。
それにまだまだ気付いてないよね? 気付いてたら大家族に戻りなさい。
周りに何人も人が居る。 だからみんなで助けることが出来たんだ。
そうじゃないのかい?
デパートに行くと一階には焼きそばを焼いているおばちゃんたちが居た。 子供たちは親が買い物をしている間、焼きそばを食べてたんだ。
そこにはいろんなジュースも置いてあった。 目の前でおばちゃんたちが焼いてくれるんだよね。
それを見ながらジュースを飲む。 少し焦げたソース焼きそばだったね。
鉄板でさ、ジュージュー 美味そうな音を立てて焼くんだ。 いろいろと話し掛けてくれたっけ。
そうかと思えば上の階にはレストランが入っていた。 子供の目当てはお子様ランチだった。
チキンライスとナポリタン、それに唐揚げとかハンバーグとか子供が好きそうなメニューが合わせ盛られていた。
しかもチキンライスは山形になっていて国旗が立てられていたよね。 たまにはおもちゃがおまけで付いてたりして。
中学生になるとなぜかお子様ランチは食べなくなった。 不思議だった。
その頃になるとウォークマンが大流行したんだよなあ。 ヘッドフォンでカセットテープを聞きながら動き回れる当時としては優れ物。
テープレコーダーも少しずつ小型化していくんだ。 最初の頃はどでかいやつしか無くてね。
しかもほとんどがワンスピーカー。 ツースピーカーは珍しかった。
高校生になるとダブルレコーダーが出てくる。 2台のテープレコーダーがくっ付いたような、、、。
それでダビングが簡単に出来るようになったんだ。 すごいなって思った。
その頃にはさ、何処の誰と文通してるとか、あいつとこいつがくっ付いてるとかクラスメートとも言い合ったもんだ。 もちろん、俺だって文通はしたよ。
でもなんか面白くなくて長続きしなかったな。 涼子と話してるほうがましだった。
もちろん、まだまだ好きとか嫌いとかいう感情は無かったよ。 幼馴染なんだし、ずっと遊んでたんだから。
それがさ、体育の時間だったかな、、、泳いでる姿を見たらキュンとなっちまったんだ。 どうかしてるなって思った。
プールサイドに上がった涼子を見てさらにキュンとなっちまった。 女らしいなって思ったんだ。
今から思えばあれは恋心だったのかもな。 思えば涼子以外にキュンとした女は居なかったんだ。
冷めてたわけじゃないんだけど、なんか違うなって思ってた。
そんなことを考えながら今日もまた喫茶店でコーヒーを飲んでいる。 うるさいわけでもなく、根暗なわけでもない。
熱いコーヒーを飲みながら壁に飾られた古いポスターを眺めている。 そうすると嫌でも80年代のことを思い出してしまう。
女子大生 二人のユニット アミンが出てきたのは1981年。 寺尾聡が大ブレークした年だね。
90年代に入って先輩とライブを見に行ったことが有る。 満員ではなかったけれど、、、。
そして80年代と言えばやっぱり松田聖子だろう。 あれだけのぶりっ子はもう出ないだろうな。
俺は20代の聖子はあんまり好きじゃない。 アルバムの中には好きな歌も有るけれど。
どうもね『野ばらのエチュード』以後のぶりっ子ソングは好きになれなくて。
そして近藤真彦。 あの頃の田野近は強烈だったなあ。
歌の近藤、ダンスの田原、そして野村、、、。 何ともアンバランスなんだけどさ。
でも野村義男はアニメタルで芽を出すよね。 ギター 上手かったんだ。
そして俺たちが熱狂したのが伊藤つかさ。 あんな可愛い子が恥ずかしそうに歌ってるんだ 燃えちゃうよ。
つかさフィーバーもすごかったなあ。 気付いたら消えてたけど。
いろんなグループも出てきた。 ヴィーナス、サリー、アラジン、横浜銀蠅、、、。
中でも最強だったのがチェッカーズ。 藤井フミヤは彼氏ナンバーワンだったよな。
正直、俺たちは負けたって思った。 悔しかったなあ。
いろんなアイドルが出てきたのもこの時代だ。 荻野目洋子、南野陽子、石川秀美、菊池桃子、斉藤由貴、中山美穂、酒井法子、、、。
そしてアイドルが主演する様々なドラマが生まれた。
『毎度お騒がせします。』 『スケバン刑事』 『セーラー服改革同盟』などなど、、、。
いやいや、どれもこれも嵌ったよなあ。
おじさんがドアを開けて入ってきた。 マスターと何か話している。
「そうなんだよ。 純子が熱を出しちゃってさ、、、。』 「そんなに嵌ってるのか?」
「リカちゃんなんて嵌り出したら止まらないらしいね。」 「それはそれで大変だなあ。」
確かにそうだろうなあ。 俺の友達でプラレールに嵌っているやつも居るが、これはこれで止められないらしいから。
俺だって興味が無いわけじゃない。 でも手を出すと止められないなと思ったから買ってないだけだ。
何度か友達の家に遊びに行ったが、行くたびにコースが大きくなっていて車両が増えている。
(いったい、どれくらい掛けてるんだろう?)と思って聞いてみたら本人でも分からないって言ってた。 そうだろうなあ。
貨車に在来線、私鉄にjr、新幹線に特急まで有るんだもん。 数十万単位だよなあ。
ぼんやりと二杯目のコーヒーを飲んでいる。 いつものことだからマスターも気にはしていない。
50を過ぎて冒険を始めたおっさんだ。 もっと早く冒険したかったな。
青い空が広がっている。 あの向こうには何が有るんだろう?
涼子の卒業式の日、「これで最後だから、、、。」って教室で歌ってくれた歌がある。
ハイファイセットの『卒業写真』だ。 この歌を歌う涼子を今も覚えている。
ギターを弾きながらどっか遠くを見ているような眼で歌うんだ。 誰に歌ってたんだろうね?
教室には俺と数人の友達が居た。 歌い終わった涼子は全てが終わったような顔で教室を出て行った。
その時にギターを貰ったんだ。 大学じゃ弾かないからって。
そして俺も3年生になった。 その年、初めて野球部が県大会に出たんだっけな。
万年fクラスだって言われていた野球部がだぜ。 それから15年経ってやっと甲子園に出たんだ。
あの夏はフィーバーだったな。 甲子園で勝ったような騒ぎだった。
マスターは何処からかマンドリンを持ち出してきた。 カウンター横の椅子に座ってポロリポロリと弾いている。
あの音は何でこんなにいいんだろう? 弦なんて弾かない俺でも癒されてしまう。
タイトルすら知らないのに聞いていると知ってる気になる。 ボーっと聞いていると時間すら忘れてしまう。
俺はまた現実に戻されてしまった。 涼子が居なくなって30年が過ぎていることを思い出したんだ。
寂しくなりそうだったから金を払って店を出る。 空には白い雲がポッカリと浮かんでいた。