それから3日後。水姫は今まで通り、太陽とは一言も交わさず、目すら合わない日々を送っていた。別にそれでいい。話していたら周囲からも変に注目されるし。
 ──ただどうしても、気になることがあった。
 昨日Tmitterに上がった、アイスクマの最新イラスト。それは、アイスクマが友達に大事な話をする直前、日光で溶けて消滅してしまうというものだった。
 名前通り身体がアイスでできているのだから当然の結末だ。可愛いが故に儚い、それがこのキャラクターの売りだ。
 しかし分かっていても、やはり悲しいものがあった。
 太陽はどう思っただろう。何とも思っていないかもしれないし、見てもいないかもしれない。あの場で話を合わせてくれただけで、そんなに好きじゃなかった可能性の方が高い。
 でもそうやって勝手な憶測を立てて躊躇っていたら、大事な話ができないまま溶けてしまったアイスクマのように後悔するかもしれないし──
 ぼうっと考えながら廊下を歩いていたら、また同じハンカチを落とした。せっかく洗ってもらったのに汚れてしまう。慌てて拾おうとして──
 またハンカチを踏まれた。しかも今度は引きずられた為に、布が裂けた。そんな馬鹿な。

「ギャハハハ!!俺のスピードについてこられるかなァ!?」

「クッ、あいつ絶対上靴にバネ仕込んでやがる……!!」

 案の定鬼役としてやって来た太陽は、破られたハンカチを見て固まった。

「……あっ」

 数秒の沈黙。上靴にバネを仕込んだらしい男子はとっくにいない。廊下で二人、立ち尽くす。

「……ごめんなさい……」

 とうとう謝罪が敬語になった。
 全然大丈夫、と水姫はまたすぐに許したかったが、二回目、それも破損したとなると流石に快くとはいかなかった。

「また落とした私も悪いし、いいけど、ただ……高校生にもなって廊下で鬼ごっこはどうなのかな……」

 注意しておきながら声が小さすぎて我ながらダサい。太陽は依然として俯いている。逆ギレされたらどうしよう。

「……うん、俺もそう思ってる」

 あっ思ってるんだ。

「何度もやめようって言ったけど聞かなくて。ノリ悪いってハブられるのも怖くて」

 それにしては随分楽しそうだったが。

「でもいい加減今日でやめるよ。あいつ違反行為してるし」

「うん、違反者は相手にしない方がいいね」

「あとそのハンカチ、弁償するよ」

「えっ?いやいやいいよ!」

 流石に気が引けて、水姫はブンブン手を振って断るが、太陽は「同じの売ってるかな」とスマホを取り出す。

「通販だよね。垢のプロフ欄のリンクから飛べるかな」

 アカウントを垢と呼ぶタイプか。

「うわ、軒並み売り切れ。もしかしてもう売ってない?」

「うん、限定商品だったから」

「マジかー……」

 太陽は頭を抱える。

「ネット発だから商品自体あんまり展開されてないだろうしな……」

 詳しいな。

「他に欲しいのある?といってもアイスクマじゃなきゃ意味ないよな……」

「あ、そういえば今週の日曜にラバーストラップのガチャガチャが出るって告知してたような気が」

「それだ!」

 太陽は人差し指を水姫に向けた。それからすぐ気まずそうに手を降ろし、目を背ける。別に何も気まずくないのに。
 そういえば話している時、基本目が合わない。人見知りも事実である可能性が高くなってきた。

「……じゃあ、そういうことで」

 太陽は背まで向ける。そういうことでって、どういうことだっけ。

「えっとそれは、大野くんがガチャガチャをしてきてくれるってこと?」

 大野くんって初めて呼んだな。

「うん、見つけ次第」

「ありがたいけど、でも私もその日にやりに行こうと思ってたんだよね」

「あーそうか、自分でやりたいよな、被るし」

「うん、コンプリートもさせたいし、だから……」

 つまり何が言いたいかというと。

「私も一緒にやりに行っていい?」

 自分でも何を言っているのか分からなかった。

「え?」

 きょとんとした太陽を見て一気に後悔に襲われる。
 誰がお前なんかと。そんな声が聞こえてくる。
 でもその声の主は自分だ。たとえ太陽がそう思ったとしても、それを表に出さずに断ってくれるだろうという期待があった。
 何より、アイスクマのことになると熱が入った。

「人数が多いほどコンプリートしやすいし、どうせなら。嫌だったら一人で行ってくるけど」

「分かった、そうしよう」

 太陽はすんなり頷いた。

「じゃあ日曜、ショッピングモールで」

「待ち合わせの時間と場所は?」

「変わるかもしれないからLIME交換しておくか」

「そうだね、教室からスマホ取ってくる」

 平然と言いながら、水姫は激しく動揺していた。公式アカウントで埋まっている欄に、まさか友達を追加する日が来るとは。話が上手い具合に行き過ぎている。罰ゲームだったらどうしよう。
 失礼なことを思いながら急いでロッカーから廊下に戻ると──太陽は居なくなっていた。やっぱり罰ゲームだったのか。一気に身体が冷える。

「青井さん、こっち」

 声がした方を見ると、奥の準備室から太陽が顔を覗かせて手招きしていた。
 青井さんって呼ばれるのも初めてだな。