翌日の昼、水姫は初めて一人で準備室に入った。やはり教室より格段に落ち着く。実家のような安心感。
お弁当も食べず、体育座りでぼうっと窓の外を眺める。小さい窓から切り取ったように、校庭で楽しそうにサッカーをする人たちが見える。
寂しい、虚しい、苦しい。太陽もずっとこんな気持ちだったのだろう。これからは存分に楽しんでほしい。我慢なんてしないでほしい。自分にも語りかけるようにそう思う。
その時、背後に気配を感じた。音もなくドアから入ったようだ。流石、自分で影が薄いと自負するだけあって、忍者さながらだ。
前に水姫が入ろうとして名前を呼ばれた時、先生である可能性も考慮してほしいと思ったが──なるほど、確かに実際近付かれると、振り向かなくとも太陽だと分かるし、太陽としか思えない。これが似た者同士のシンパシーというやつか。それとも、友達だからか。
「……青井さん大丈夫?何かあった?」
「なんでそう思うの?」
「だって一回フォロー外したよね」
流石ツミ廃、よく監視してらっしゃる。
「間違って外れちゃっただけだよ。もう一回フォローしたから大丈夫だよ」
「ならいいけど……あと今日、教室でお弁当食べてないからさ」
一緒に食べなくなったくせに、こちらの様子を監視しているのは何なのか。
「それは、単に気分で」
水姫は前を向いたまま不機嫌っぽく答える。
「ならいいけど……」
太陽は気まずそうに頭を掻く。
駄目だ、正直になろうと思えば思うほど嘘をついてしまう。まるであの時の太陽と同じだ。
──そうだ、自分だけじゃない。不器用なのはお互い様だ。一人だけど、一人じゃない。そう思ったらふっと力が抜けて、
「ごめん、本当は全然良くない」
水姫はついに本音を吐き出した。
「私、一人が怖い」
「え……」
太陽は戸惑った顔をする。そんな顔をさせるはずじゃなかった。でも今は後悔より、話したい気持ちの方が勝っていた。
「一人ぼっちに戻りたくない。大野くんともっと話したい。私には大野くんしかいない。自分勝手で自業自得なのは分かってるけど、止められない。これが私の本当の気持ちだから。その代わり、大野くんの気持ちを無視することは絶対にしない。だから大野くんの気持ちも聞かせてほしい」
言い切った。達成感が混じったような、どちらかというと心地良い静寂が流れる。
太陽の表情はまだ分からない。でも口を開くタイミングははっきりと分かった。
「ごめん、俺も不器用で、皆と平等に接するってことが上手くできなくて。青井さんを避けてるみたいになった」
「謝らなくていいよ。大野くんがどうしたいか教えてくれれば」
ただでさえ圧をかけているので、できるだけ優しく声を出す。太陽も穏やかに、それでいて真摯に喋る。
「青井さんも大事な友達の一人だよ。でも今まで通りの距離感を保つことは難しいかもしれない。それは単に友達の数が増えたからと、あともう一つは」
そこで言葉が詰まった。大丈夫、途切れてはいない。水姫は1分ほど待った。やっぱり鬱陶しいかな、話を終わらせた方がいいかなと決めつけそうになって、踏み留まる。言われない限りは、まだ何も分からないのだから。
そして二人の目がばちりと合った瞬間、太陽は覚悟を決めたように言葉を発した。
「俺、青井さんに下心あるから」
「……した……?」
あまりに予想外すぎて、聞いた身にもかかわらずきょとんとしてしまう。
下心って何だっけ。隠し味みたいなことだっけ。あ、それは下味付けか。調味料のごとく下心にも色んな種類がありすぎて、はっきり言ってもらわないと困る。
結局じっと見つめて、視線で圧をかけてしまう。太陽は分かりやすく赤面しながら答えた。
「異性として、い、意識してるってこと……」
「いし……?」
意識にも色んな種類があるのだが。
「それわざとやってる!?」
太陽はしびれを切らしたように叫ぶ。それはこっちの台詞だ。
「やってないやってない!もっとこう、具体的にお願い!」
「だから……恋愛的に好きってことだよ!!」
太陽は目をつぶり、思いきり叫んだ。
途端、水姫はよく分からない気持ちになった。意味は流石に分かる。けど、なんだか分かりたくなかったような。異性として意識するのはよくあることだろうし、自分も少なからずそうだっただろうが、恋愛的に好きとなると、それは何かが違うような。
微妙な顔で黙り込んでいる水姫を見て、太陽はやっぱりなという顔をする。
「そうやって困らせるし、これからもっと不快にさせるかもしれないから。青井さんの理想と僕の理想はちょっと違うから。……それでもいいなら、いいけど」
諦めに紛れて、期待するような眼差し。太陽こそ、水姫しかいないというような──捉えて離さないハンターのような。
水姫は思わず目を逸らした。
「ごめん、ちょっと今はよく分からないっていうか……」
「そうだよね。気にしないで、俺も気にしないから」
太陽は悲しげな笑みを浮かべ、「それじゃあまた明日」と逃げるように出て行った。嘘をついていることは一目瞭然だった。
「……はぁ……」
水姫は溜息をついて両手で顔を覆った。余計に気まずいことになってしまった。やっぱりコミュニケーションは難しい。
それでも自分たちはそれに焦がれることをやめられない。一瞬一瞬が一杯一杯で、本気なのだ。
本気だった分、今のはすごく良かったと思う。今まで人と交わしたやり取りの中で一番良かったと思う。
しかも、好きって言われた。生まれて初めて人から好かれた。
「……はあぁ……」
その重たい溜息は、色んな矛盾した意味を含んでいた。
お弁当も食べず、体育座りでぼうっと窓の外を眺める。小さい窓から切り取ったように、校庭で楽しそうにサッカーをする人たちが見える。
寂しい、虚しい、苦しい。太陽もずっとこんな気持ちだったのだろう。これからは存分に楽しんでほしい。我慢なんてしないでほしい。自分にも語りかけるようにそう思う。
その時、背後に気配を感じた。音もなくドアから入ったようだ。流石、自分で影が薄いと自負するだけあって、忍者さながらだ。
前に水姫が入ろうとして名前を呼ばれた時、先生である可能性も考慮してほしいと思ったが──なるほど、確かに実際近付かれると、振り向かなくとも太陽だと分かるし、太陽としか思えない。これが似た者同士のシンパシーというやつか。それとも、友達だからか。
「……青井さん大丈夫?何かあった?」
「なんでそう思うの?」
「だって一回フォロー外したよね」
流石ツミ廃、よく監視してらっしゃる。
「間違って外れちゃっただけだよ。もう一回フォローしたから大丈夫だよ」
「ならいいけど……あと今日、教室でお弁当食べてないからさ」
一緒に食べなくなったくせに、こちらの様子を監視しているのは何なのか。
「それは、単に気分で」
水姫は前を向いたまま不機嫌っぽく答える。
「ならいいけど……」
太陽は気まずそうに頭を掻く。
駄目だ、正直になろうと思えば思うほど嘘をついてしまう。まるであの時の太陽と同じだ。
──そうだ、自分だけじゃない。不器用なのはお互い様だ。一人だけど、一人じゃない。そう思ったらふっと力が抜けて、
「ごめん、本当は全然良くない」
水姫はついに本音を吐き出した。
「私、一人が怖い」
「え……」
太陽は戸惑った顔をする。そんな顔をさせるはずじゃなかった。でも今は後悔より、話したい気持ちの方が勝っていた。
「一人ぼっちに戻りたくない。大野くんともっと話したい。私には大野くんしかいない。自分勝手で自業自得なのは分かってるけど、止められない。これが私の本当の気持ちだから。その代わり、大野くんの気持ちを無視することは絶対にしない。だから大野くんの気持ちも聞かせてほしい」
言い切った。達成感が混じったような、どちらかというと心地良い静寂が流れる。
太陽の表情はまだ分からない。でも口を開くタイミングははっきりと分かった。
「ごめん、俺も不器用で、皆と平等に接するってことが上手くできなくて。青井さんを避けてるみたいになった」
「謝らなくていいよ。大野くんがどうしたいか教えてくれれば」
ただでさえ圧をかけているので、できるだけ優しく声を出す。太陽も穏やかに、それでいて真摯に喋る。
「青井さんも大事な友達の一人だよ。でも今まで通りの距離感を保つことは難しいかもしれない。それは単に友達の数が増えたからと、あともう一つは」
そこで言葉が詰まった。大丈夫、途切れてはいない。水姫は1分ほど待った。やっぱり鬱陶しいかな、話を終わらせた方がいいかなと決めつけそうになって、踏み留まる。言われない限りは、まだ何も分からないのだから。
そして二人の目がばちりと合った瞬間、太陽は覚悟を決めたように言葉を発した。
「俺、青井さんに下心あるから」
「……した……?」
あまりに予想外すぎて、聞いた身にもかかわらずきょとんとしてしまう。
下心って何だっけ。隠し味みたいなことだっけ。あ、それは下味付けか。調味料のごとく下心にも色んな種類がありすぎて、はっきり言ってもらわないと困る。
結局じっと見つめて、視線で圧をかけてしまう。太陽は分かりやすく赤面しながら答えた。
「異性として、い、意識してるってこと……」
「いし……?」
意識にも色んな種類があるのだが。
「それわざとやってる!?」
太陽はしびれを切らしたように叫ぶ。それはこっちの台詞だ。
「やってないやってない!もっとこう、具体的にお願い!」
「だから……恋愛的に好きってことだよ!!」
太陽は目をつぶり、思いきり叫んだ。
途端、水姫はよく分からない気持ちになった。意味は流石に分かる。けど、なんだか分かりたくなかったような。異性として意識するのはよくあることだろうし、自分も少なからずそうだっただろうが、恋愛的に好きとなると、それは何かが違うような。
微妙な顔で黙り込んでいる水姫を見て、太陽はやっぱりなという顔をする。
「そうやって困らせるし、これからもっと不快にさせるかもしれないから。青井さんの理想と僕の理想はちょっと違うから。……それでもいいなら、いいけど」
諦めに紛れて、期待するような眼差し。太陽こそ、水姫しかいないというような──捉えて離さないハンターのような。
水姫は思わず目を逸らした。
「ごめん、ちょっと今はよく分からないっていうか……」
「そうだよね。気にしないで、俺も気にしないから」
太陽は悲しげな笑みを浮かべ、「それじゃあまた明日」と逃げるように出て行った。嘘をついていることは一目瞭然だった。
「……はぁ……」
水姫は溜息をついて両手で顔を覆った。余計に気まずいことになってしまった。やっぱりコミュニケーションは難しい。
それでも自分たちはそれに焦がれることをやめられない。一瞬一瞬が一杯一杯で、本気なのだ。
本気だった分、今のはすごく良かったと思う。今まで人と交わしたやり取りの中で一番良かったと思う。
しかも、好きって言われた。生まれて初めて人から好かれた。
「……はあぁ……」
その重たい溜息は、色んな矛盾した意味を含んでいた。