廊下に太陽はいない。となると例の準備室で間違いない。鍵が閉まっているので、驚かせないようにそっとノックすると、太陽の怯えた声がした。

「青井さん……?」

 名前を出すな。もし先生だった場合、こっちも説教に巻き込まれるだろ。と自己中なツッコミをしつつ、自分が来ることを少しでも期待してくれていたのが嬉しくもある。
 「そうだよ」と答えると、ガチャリと鍵が開いた。水姫が入ると、ドアのすぐ横に太陽が体育座りでうずくまっていた。

「……大丈夫?」

「大丈夫じゃないかもしれない」

 まだ怯えた様子だ。途端に申し訳なさでいっぱいになり、水姫は腰を屈めながら頭を下げた。

「ごめん、私が大野くんらしくいてほしいとか、きっと黒髪も似合うとか、変に押し付けたから……まさかこんなことになるなんて……大野くんを取り巻く状況を甘く見てた……」

「違う、青井さんは何も悪くない。ああ言ってもらえて嬉しかったし、だからやっと自信を持って黒髪で来れたんだ。悪いのはあいつらだ。いや、あいつらなんかに負ける僕だ。いつもみたいに笑い流せば良かったのに、あの程度でムキになって、情けない」

 太陽は顔を歪め、ぐしゃりと自分の髪を握り潰した。せっかくのサラサラの黒髪が。かなり迷ったが、どうしても食い止めたくて、水姫は太陽の手にそっと手を重ねた。

「それも違うよ。あんなの誰だって傷付くし、一瞬でも正直な気持ちを出せたのは良いことだよ。大野くんが自分に正直になっていける度、私は嬉しいよ」

「青井さん……」

 髪の隙間から覗く、太陽の縋るような瞳と目が合う。
 なんだか良い雰囲気だ。このまま落ち着ければ──と思ったのだが、そう上手くはいかないようだ。
 太陽は水姫の手を静かに払った。なぜ。

「正直に喋ってもいいの?」

 なぜ発言も許可制。

「いいよ」

「じゃあ言うけど」

 太陽は遠くの景色に視線をやった。

「俺、陰キャとか陽キャって言葉で人を侮辱したりカテゴライズするのが嫌なんだ。人それぞれの個性があるはずだし、明るい人にも暗いところが、暗い人にも明るいところが、予盾した面があって当然だ」

 すごく良いことを言っている。
 
「なのにあいつらは何でも一概に括る。陽キャは何を言っても良くて、陰キャのことは見下してもいいと思ってる。自分勝手な理屈だ。だからこっちも見下してやればいい、無視してやればいい、そう思うのに……あいつらに見下されるのが怖くて敢えて関わってきた。あいつらが悪口言ってる時も……」

 間が空く。言いづらいことなんだと予想がついて、水姫は身構えた。

「例えば、青井さんの悪口言ってる時、俺は黙っていることしかできなかった。……いや嘘だ、少し同調してた」

 水姫は理解した。わざわざ手を払った理由を。太陽は自分を責めて、たった一人で苦しみ続けているのだ。

「ハンカチ踏んだ時パニックで逃げたって言ったけど、あれも嘘だ。あいつらに嫌われるのが怖くて自分のことを優先した。意図的に青井さんの気持ちを踏みにじった。結局いじめる側に回っただけだった。同類だった。だから青井さん、もう俺に関わらない方がいいよ」

「それは私が決めることだよ」

 思ったより力強くはっきりした声が出た。それだけ水姫は本気だった。少し怒りもあったかもしれない。太陽のした行動がというより、太陽を苦しめてきた太陽自身に対して。
 勝手に決めつけて苦しむのは、水姫が何よりやりがちなことでもあったから。

「ちゃんと謝ってくれたし、平等に接してくれたよね。関わりたいと私に思わせてくれたのは、紛れもなく大野くんだよ。大野くんの個性は変わらないままだよ」

「そっか、そうだね」

 太陽の目に輝きが戻った気がした。太陽は確かめるように頷いて、ゆっくり立ち上がった。

「ありがとう、話聞いてくれて」

「ううん、聞く為に来たから」

「じゃあ最後に一つ聞いていい?」

「いいよ」

「黒髪と金髪、どっちがいいと思う?」

 そんな、金の斧と銀の斧みたいに問われても。

「えっと……ウィッグで蒸れる心配がないから黒髪かな?」

「やっぱそうだよね。しばらくこのままでいくか」

 気合いを入れるように宣言し、太陽は水姫に笑いかけた。

「巻き込みたくないから先戻ってて、後から行く」

「ごめん、一緒に戻るよとも言えなくて……」

「いいんだよ、お互い演じるものがあるんだから」

 太陽は力強く拳を突き出してきた。

「頑張ろう、学校生活」

「うん、頑張りすぎない程度に」

 水姫も拳を突き合わせて──改めて感じた。自分の弱さと向き合っているから、この人は強いのだと。