「試す……って、え?」
 いつもより少しだけ近い距離。それでも眞紘(まひろ)は何かをするでもなく、ただ澪凛(みおり)を見据えていた。

「気になるんだろ?『恋愛したら心の穴が埋まるのか』。でも澪凛は人のこと信じられない。じゃあ、俺で試してみるか?って。俺らの血は繋がってないんだから」

 澪凛は9月生まれで眞紘はその2カ月後、11月生まれ。2人は生物学的に同一の母親から誕生していない。
 そして、この家の父母から誕生した、正真正銘のこの家の子は眞紘だ。

 澪凛は水無瀬(みなせ)家の誰とも血縁関係がない。しかし産まれた時から水無瀬家の一員として育った。

 澪凛が誕生する前、実の母親と今の父母の間で澪凛の特別養子縁組が成立した。
 父母はなかなか子どもが出来ず、迷った末に養親となることを決意し、斡旋(あっせん)団体に登録した。そこで澪凛の話が持ち込まれ、手続きを経て養親となることが決まった。

 正式に澪凛の養親となることが決定した直後、母が眞紘を妊娠していることが発覚した。それでも父母は澪凛の養親となることを辞退せず、澪凛を水無瀬家に迎えてから2カ月後に眞紘が生まれた。

 2人に血縁関係がないことは澪凛と眞紘の誕生日ですぐに判ってしまう。
 そのため、この事実は2人が物心ついた頃から知らされていて、それは他の弟妹たちも同様だ。その意味をどこまで理解しているかは別として。

 中学の始め頃までは、2人をからかう人も多くいた。良心を両親に置いてきたかのような物言いで憶測を広めたり、自身の子どもに「近づかないように」と影で言う大人も絶えなかった。
 そんな時でも澪凛と眞紘は互いに守り合って生きてきた、いわば『戦友』だ。

「それは、えっと、恋人同士がするようなことをするってこと?」
 もしそれが公になったら、間違いなく水無瀬家は本当に終わる。散々「血は繋がっていなくても家族だから」と言い続けた分際で、そんなことをしていたらどうなるかは想像に難くない。

「そうだけど、いや、やっぱなんでもな……」

「いいじゃん、それ」

 澪凛はゆっくりと口角を上げた。それに呼応するように眞紘も顔を(ゆが)めた。
「は、ははっ。澪凛マジで……ははっ」

 2人は不健全な笑いの渦の中で(おのれ)の歪みをはっきりと自覚した。

 内側にくすぶっていたものを多忙で覆い隠して、普通の生活を送れない腹いせか、自暴自棄にも目の前に起こること身を任せ、いつしか取り返しのつかないほどの歪みに変わっていた。
 今後、この歪みが暴発して家族に牙を剥いた結果として今まで築き上げた家庭を壊すよりも、堕ちるなら自分たちの手によって、自分たちだけで堕ちたい。

 問題児ほど逸脱(いつだつ)行為をするのか、逸脱行為をするから問題児なのか。なにかと問題のある子どもは逸脱行為に走りがちだ。それは制約の多い子どもほど顕著(けんちょ)で、思春期になればなるほど過激になっていく。

 眞紘が握り拳を差し出し、澪凛はそれに応えてグータッチする。
「俺ら戦友じゃん。中学の反抗期とか学校サボって一緒に海行くぐらいにはさ」
「これも1つの反抗期みたいだけど」

 中学時代。
 澪凛と眞紘が本格的に水無瀬家の家事をするようになって数年。朝食時に、新たな母の妊娠を告げられ、2人の中で何かが弾けた。
 朝食の片付けをして、家族を見送り、戸締りをした後。
 顔を合わさずとも互いの内なる暴発を察した2人は言葉で示し合わせることもなく、制服を着たまま中学校とは逆方向へ歩き出した。

 行き着いた先は電車で一時間かかる隣町の海だった。冬の兆しが混じる秋の海は、夏季の輝きを失ってくすみ、濁りかけていた。
 そんな青春の欠片もない海で、怒りや悲しみや絶望を分かちあった2人は戦友になった。

 サボりの結果は、端的に言って後悔することになった。
 体調不良と中学校に連絡していたものの教員に怪しまれ、母に連絡が行き、昼過ぎには2人のスマートフォンには鬼電が鳴り響いた。
 それを全て無視し、いつもなら夕飯の支度をする時間まで放浪したおかげで母の保育園へのお迎えは遅くなり、鍵を持っていなかった小学生たちは家に入れなかった。

 遠方にいる父にも心配をかけたものの、母は2人を叱るどころか何も言わなかった。
 というよりも、2人が家に帰り、事件に巻き込まれていないことを確認すると、すぐに仕事に戻って行った。
 その日の夕飯を作ったのは眞紘だった。その間、澪凛は夕立に濡れた洗濯物を洗い直していた。

 私たちのしたことは意味がなかった。何をしても変わらない。むしろ面倒が増える。
 そう学習した2人の反抗期は一瞬にして終わった、と思っていた。

 思えばあの時、後悔はしても罪悪感を覚えなかった時点で、どこかが歪み始めていたのだろう。むしろ歪みを加速させていた。


 触れた拳同士が離れ、恋人繋ぎに変わる。

 「魔が差した」にしては度が過ぎた逸脱。くすぶる思いをぶつけたくて、忘れたくて、その根源など大したことではないと思いたくて。
 そんな利害が一致した。

 カチャン、と玄関の鍵が開けられる音がして手が離れる。
「ただいまぁ」
 パタパタと軽快な足取りの後、結愛(ゆあ)がリビングに顔を出した。
「おかえり。早いね」

「いや、これから夜練行くよ。大会近いし」
 結愛はそう言って階段を上がって行った。その姿を追って、眞紘は階下から声を掛けた。
「弁当箱だけ出しとけよー!」

 練習用具一式が入ったスポーツバッグと保冷バッグを抱え、結愛はリビングに降りてきた。
「美味しかったよ、ひろ兄。みお姉も朝はありがとね」
 保冷バッグを渡しながら結愛はそう言ってリビングを出て行った。長時間のバス移動と軽い登山をこなした後とは思えない快活さだ。

「結愛たち、優勝候補なんだって」
「それは……応援しないとだな」

 どちらからともなく指先を絡める。

「うん。あ、お母さん今日残業だって。お迎え行ってくるね」
「分かった」
 
 指を離し、澪凛はスマートフォンと家の鍵だけを持って家を出た。
 外は夕焼けに夜の闇が迫り、澪凛の影が長く伸びている。その影を踏みながら、澪凛は歩き出した。
 
 私たちは歪んでいる。
 何股もかける節操なしより何倍も。