「みお姉ー!髪やってー!!」
「私もー!」
「はいはーい!悠真(ゆうま)、もう起きないと遅刻するよー」

 未だスヤスヤと眠る弟に声を掛けながら、双子の妹たちが呼ぶ洗面所に向かう。小学三年生、髪型をこだわり始めた蘭と(えん)の髪を結ぶのが私の朝の役割だ。

「わたしポニーテール!オレンジのリボンがいい」
「わたしはお団子!」
「分かった、分かった」

 蘭と円の髪を梳かし、コームで毛束を纏める。今しがた家族全員分の洗濯物を干し終えた腕に髪ゴムを2,3個かける。
——あー、お腹空いた
 キッチンから香る卵とハムにパンの良い匂いが澪凛(みおり)の食欲を加速させていた。

「俺もやるよ。円、お団子で良いんだよな?」
「うん!ひろ兄」

 少し背の高い影が隣に並んだ。

「あ、ありがとう眞紘(まひろ)
「悠真起きた。それ終わったらメシ食えるだろ」
「眞紘は?もう食べたの?」
「俺は作ってる時につまんでるからいいの」

 お互い手を動かしながら、目を合わさずに会話する。そんな光景も日常茶飯事だ。
 蘭の髪を結び終わり、洗面所を出てダイニングテーブルに目をやると、朝食が並ぶ中に一つ、お弁当箱が置かれているのが目に入った。

「あれ?結愛(ゆあ)は?」

 テレビを見ながら制服のネクタイを結んでいる晴翔(はると)に聞く。保育園と小中学校は基本的に給食で、今日弁当が必要なのは澪凛と眞紘を除いて校外学習のある結愛だけだ。

「あ、さっき出て行った……」
「……マジで?」
「俺届けようか?みお姉」

 沢山の教材を詰め込んだリュックを背負いながらそう言う晴翔に、澪凛は首を横に振った。

「いや、校外学習なら集合は駅でしょ?中学とは逆方向じゃん。晴翔、早く学校で自習したいんでしょ?」
「それはそうだけど……」
「じゃ、私追いかけてくるー」

 手早く弁当箱と2つの保冷剤を保冷バッグに入れ、家を飛び出す。
 制服のスカートを靡かせながら住宅街を小走りで駆けていると、前方におんぶ紐を付け、ベビーカーを押すスーツ姿の女性と2人の小さな子供たちが見えた。

「おかーさん!(みなと)(つむぎ)、芽衣、(なぎ)―!」
「あら、澪凛どうしたの?」
「結愛の忘れ物届けに……」

 ピシッとしたスーツを着て、ミディアムヘアの茶髪を一纏めにした澪凛たちの母はベビーカーに2才の芽衣を乗せ、1才の凪をおんぶしていた。その端には6才の湊と4才の紬が手を繋いで歩いている。母はこれから4人の子どもたちを近くの保育園に預けてから隣町のオフィスに働きに出る。
 走る速度を落として母たちに結愛の保冷バッグを見せると、澪凛が走って来た方角とは逆側から駆ける足音が聞こえてきた。

「おねーちゃん!お弁当忘れた!」
 見ると、結愛が大きく手を振ってやって来る。

「もう、結愛ったら……」
 呆れる母に結愛は頬を膨らませる。結愛は保冷バッグを受け取ると手早くそれをリュックに詰めた。

「やばいやばい、遅れちゃう!おねーちゃんありがと、行ってきます!」
「いってらっしゃーい!……って、私も戻らないと。みんなも行ってらっしゃい!」
 澪凛は言い終わらない内に家の方向へ走り出した。


 家の門扉を開けると、ちょうど蘭と円が並んで家から出て来るところだった。その後に続いて小学一年生の陽葵(ひまり)も出てきた。
「あ、みお姉!」
「行ってきまーす!」
「行ってくるーー!」
「みんな行ってらっしゃい。気をつけて」

 3人は「はーい!」と元気に返事をして住宅街に出て行った。

 オレンジ色、水色、キャメル色のランドセルを見送り、玄関のドアを開いて中に入る。
「はーー……」
 ドアを背もたれにしてその場に座り込む。その衝撃で制服のリボンのフックが外れ、リボンが床に落ちた。
——流石に疲れた……ていうか、お腹空いた。でももう行かないと……


「お疲れ」
 頭上から降ってきた声に顔をあげると、眞紘がコップ一杯の麦茶を差し出してきていた。
「ありがと……」

 落としたリボンをスカートのポケットに突っ込み、麦茶を飲みつつ靴を脱いだ。廊下を通ってリビングに入ると、先ほどまでとは打って変わって静かになっている。

 コップをシンクに置いて水をつけ、リビングの片隅に置いたボストンバッグの中身を確認する。ソファに深々と座る小学6年生の悠真が、のんびりとテレビを見ながらパンを(かじ)っていた。

 『速報が入りました、史上最悪と呼ばれるアパート放火事件の主犯二人の死刑が——』
 眞紘がテレビを消し、音が途切れる。

「悠真、そろそろ支度しろ。澪凛、今日数学ある?」
「あるよ。2限」
「じゃあ4限借りに行くかも。あ、そうだこれ。HR始まる前くらいになら食えるだろ」

 眞紘は澪凛の背後からタッパーを差し出してきた。中身はスクランブルエッグとハムを挟んだサンドウィッチで、今日の朝食を簡単にアレンジしているらしい。

「わーありがとう……」
 冷凍庫から1つ保冷剤を取り出し、手近にあった袋にタッパーと共に詰め込む。それをボストンバッグに押し込み、チャックを閉めた。

「じゃあ悠真、火元の確認と戸締りよろしくね」
「うん。いってら」

 ゆらゆらと手を振る悠真に見送られ、澪凛と眞紘は足早に家を出た。



 5男7女に母と単身赴任の父を合わせて14人の大家族、水無瀬(みなせ)家。その長女が私、水無瀬澪凛だ。
 物心ついた時には同い年の眞紘が傍にいて、一緒に弟や妹の世話をしていた。

 遅くまで働きに出ている母の代わりに眞紘と家事をして、弟妹たちの面倒を見る。そんな私にとって眞紘は家族というよりも戦友だ。
放課後はすぐに家に帰らなきゃいけないし、あまり遊びに行くこともできない。それが私の人生の殆どを占めている。

 傍から見れば大変そうに見えるのかもしれない。それでも私にとってはなんてことない、普通のこと。
——それでいいじゃん。ね……