朝食を終えたあとは、公爵邸の中をキリアに案内してもらった。

 公爵邸は、王城とも神殿とも違う作りだった。外敵と戦うために作られた建物だそうで、その周りは頑丈な壁で取り囲まれている。

 キリアは「もし、魔物の大群が押し寄せたり、大きな戦が起こったりした場合は、公爵邸自体が領民の最終避難地になります」と教えてくれた。それくらい、この土地は危険と隣り合わせということなのだろう。

 ここで私に何ができるかしら?

 考え込む私に、キリアが微笑みかけてくれる。

「ご安心ください、エステル様。閣下が守ってくださいます! 閣下はすごくお強いんですよ! 騎士団員の憧れです」
「公爵様は、みんなに愛されているのですね」

「もちろんです! だからこそ、エステル様のような素敵な方が閣下の婚約者様になってくださって本当に嬉しいです」
「……うっ」

 この勘違いを公爵様に解いてもらうまで、下働きはさせてもらえなさそう。ということは、聖女として役に立つ方法を考えないと。

 フリーベイン領は、頻繁に魔物が出るとのこと。そして、子どものころから魔物を退治していた公爵様は、黒文様が体中に浮かび上がっている。

「……あれ?」

 私は隣を歩くキリアを見た。

「魔物討伐には、キリアも参加していたのですか?」
「はい」

「そのときに魔物の返り血を浴びることはありました?」
「そうですね、ありました」

 私はキリアの顔や手を見つめた。どこにも黒文様は現れていない。

「ねぇキリア、公爵様以外に黒文様が現れている人はいますか?」

 キリアは驚き首をふる。

「いえ、騎士団の中にはいません。領民の間でも聞いたことはありません」

 騎士団員なら公爵様と同じように魔物の返り血を浴びることもあるはず。それなのに、公爵様以外の人には黒文様は出ていない。

 返り血を浴び続けていた長さが原因なのかしら?

 くわしいことはわからないけど、公爵様の体に邪気が溜まっている状態なら、その溜まった邪気を浄化すればいいのでは?

 私は体内に邪気を取り込み浄化する力があるけど、王都の邪気は年々濃くなっていき、私一人では浄化しきれなくなっていた。

 そのせいで、私の体に黒文様がどんどん広がっていったけど、王都を出て邪気の浄化をやめると黒文様が消えた。

「ということは、もしかして、公爵様の体に溜まっている邪気を浄化したら、公爵様の黒文様も消える……?」

 私のつぶやきを聞いたキリアは目を見開いた。

「キリア、公爵様に会いたいです」

 でも、まだ明るいので公爵様は外に出たがらないかもしれない。

「夜でも、いつでもいいので」
「わかりました」

 キリアは深刻な顔でうなずくと、近くにいたメイドに指示を出した。メイドはすぐにその場から離れる。

 公爵様に会えるのは夜になるかもと思っていたけど、戻ってきたメイドは私をすぐに公爵様の元へ案内してくれた。

「こちらが公爵様の執務室です。エステル様、どうぞ」
「どうぞと言われましても……」

 お仕事中に入っていいのかしら?
 私がためらっているとメイドが執務室の扉を開けてしまった。

「あっ」
「エステル様がいらっしゃいました」

 中から「どうぞ」と低く落ち着いた声が聞こえる。
 私は緊張しながら執務室の中へと足を踏み入れた。

 広い執務室の中は、必要なもの以外置いていないといった雰囲気だった。執務机に座って書類を手に持っていた公爵様が顔を上げる。

 他に誰もいないせいか、顔を隠していない。

 公爵様は黒髪だったのね。昨晩、月明かりの下であったときは薄暗くて色までわからなかった。

 透き通るような公爵様の紫色の瞳が、私に向けられている。

「俺に話があると聞いたが?」
「あっはい」

 公爵様の顔が整いすぎていて、つい見惚れてしまったわ。黒文様のせいで、この顔を隠しているなんてもったいない。

「あの、公爵様を浄化したいのですが、少しだけお時間をいただけませんか?」
「俺を浄化?」
「はい、少しためしてみたいことがありまして……」

 うまくいけば黒文様が消えるかもしれないけど、必ず消えるとは言えない。期待だけもたせるわけにはいかないので、私は言葉を濁(にご)した。

「えっと、あやしいことはいたしません!」
「そんなことは心配していない」

 公爵様は執務机から立ち上がると「俺はどうすればいい?」と尋ねた。

「フリーベイン領には聖女が来たことがない。だから、浄化がどういうものかわからないんだ」
「あ、そうですよね」

 聖女の数が多い時代では、聖女たちは王都以外の土地にも出向いて浄化に当たっていたらしい。でも、今の時代の聖女は私しかいなかったので、私が王都から出ることはなかった。

 オグマート殿下は、新しい聖女が現れたと言っていたので、もしかすると、これから聖女が増えていくのかもしれない。そうだったら、とても嬉しい。

 聖女が邪気を浄化し続けると魔物の出現率は下がる。実際、私が生まれ育った故郷では六十年前に一度、魔物が現れたくらいでそれ以降、魔物を見た者はいない。

 こんなに頻繁に魔物が出るのは、フリーベイン領くらいかもしれないわ。
 私は公爵様に微笑みかけた。

「公爵様は、何もしなくていいですよ。そのままそこに立っていてください」

 目をつぶり、いつものように大聖女様に祈りを捧げる。

 私の祈りが届いたようで、公爵様から黒いモヤが湧き出てきた。この黒いモヤが邪気だ。

 邪気は私の体に吸い込まれていく。私は『邪気食い』なんて呼ばれているけど、実際に邪気を口から食べるわけではない。

 すべての邪気が消えたあと、私はじっとしてくれている公爵様に顔を近づけた。

「あれ? 顔の黒文様が少し薄くなっていませんか?」
「まさか」

 公爵様はそういうけど、本当に薄くなっているように見える。

「公爵様、鏡を見てください」
「鏡などこの部屋にはない」
「あっ、そうですよね」

 わざわざ執務室に鏡を置いて、自分の顔に浮かぶ黒文様を見たいなんて思わない。

 私は執務室から出ると、扉前に控えていたメイドに声をかけた。

「鏡を持ってきてください」
「はい」

 メイドはすぐに手鏡をもって戻ってきた。それを受け取った私は「どうぞ」と公爵様に手鏡を差し出す。鏡を見た公爵様の瞳が大きく見開いた。

「本当だ……薄くなっている」
「ですよね!?」
「信じられない!」

 私達は喜びのあまり、気がつけば手を取り合っていた。

「エステル、あなたはすごいな!?」
「いえ、お役に立ててうれしいです! これから毎日、公爵様の邪気を浄化しますね!」
「ああ、頼む!」

 気がつけば公爵様の顔がすぐ近くにあった。

「す、すまない」

 繋いでいた手がパッと離される。

「こちらこそ、すみません」

 公爵様は、黒文様仲間だから自然と気を許してしまうわ。

 でも、ちゃんとわきまえた態度を取らないと、元婚約者のオグマート殿下に嫌われていたように、公爵様にもまた嫌われてしまうかもしれない。

 公爵様は、コホンと咳払いした。

「エステル、あなたにお礼がしたいのだが」
「あ、それでしたら……」