それからの私たちは、カーニャ国に別れを告げて、フリーベイン領に帰ることにした。

 来た道を同じように馬車で戻っていく。

 私とアレク様は同じ馬車に乗りこんでいた。その後ろをものものしい護送用の馬車が付いてくる。

 窓がないその馬車は、内側にはカギがなく外からのみカギがかけられるようになっていた。

 オグマートを連れていくために、カーニャ国から借りたらしい。中にいるオグマートは手枷をかけられ、馬車の周りは騎乗したフリーベイン領の騎士で囲まれている。

 さすがにここまでされたら、オグマートも逃げられないわよね?

 私がホッと胸をなでおろしていると、隣に座っているアレク様の表情が暗いことに気がついた。

「アレク様?」

 声をかけるとアレク様はハッと我に返ったようなしぐさをした。

「どうかされましたか?」
「あ、いや……」

 視線をそらしたアレク様の顔をのぞき込む。

「私には言いづらいことですか?」

 だとしたら無理に聞こうとは思わない。

「私に言えることなら、なんでも相談してくださいね! だって……私たちは、その、夫婦になるんですから」

 自分で言っていて照れてしまったけど、私よりアレク様のほうが赤くなっている。

「そうだな」

 優しく微笑んだアレク様は、側に置いていた剣にふれた。

「この剣のせいで、フリーベイン領が魔物に襲われ続けていたと知って複雑な思いでいた」
「アレク様のせいでは……」
「わかっている」

 アレク様の顔にはあきらめを含んだような笑みが浮かんでいた。こういうときに、アレク様の心を軽くできる言葉がすぐに思いつかない自分が情けない。

「えっと、大聖女様がおっしゃるには、この剣は切ったものを浄化できるらしいですよ」
「そうなのか」

 魔物が頻繁に現れるにもかかわらず、フリーベイン領の邪気が王都よりはるかに少なかったのは、この剣のおかげだったのね。

 切って浄化する剣だから、アレク様は自分自身を浄化することができなかったんだわ。いろんな謎がすこしずつ解けていく。でも、まだわからないこともたくさんあった。

「大聖女様は、ゼルセラ神聖国の消滅を願う邪悪な者がいるって言っていたんですけど、邪悪な者ってなんなんでしょう?」
「さぁ……魔物の頭領(とうりょう)みたいなものなのだろうか?」
「アレク様の剣で、その魔物の頭領みたいなのも浄化できるそうですよ」

 アレク様は剣の柄を握りしめた。

「エステルやフリーベイン領を守るためなら、俺はなんだってする」
「危ないことはしないでくださいね」
「もちろんだ。エステルも」
「はい」

 微笑み合ったあと、アレク様はいつものように私の頭をなでてくれた。アレク様になでられるととても嬉しくなってしまう。

 だから私はアレク様にも喜んでもらいたくて同じことをした。アレク様の黒髪をヨシヨシとなでてみる。

「えらいえらい」

 アレク様がこれでもかと目を見開いている。
 あっこれじゃあ、また弟扱いしていると思われてしまったかも!?

「ごめんなさ――」

 あわてて引っ込めようとした私の腕はアレク様につかまれてしまった。

「エステル」

 私の手のひらに口づけされて、今度は私が目を見開く番だった。

 ゆっくりと近づいてくるアレク様の瞳には熱がこもっている。ぎゅっと目をつぶると唇が重なった。心臓が壊れてしまいそうなほどドキドキしている。

 唇が離れたので目を開けると、アレク様の顔がすぐそばにあった。二人同時に笑みを浮かべる。

 私たちは馬車内でまた並んで座っていたけど、その手はしっかりと繋がれていた。

 **

 カーニャ国を出て数日後。私たちはようやくフリーベイン領にたどり着いた。

 私たちの馬車を見かけた領民たちは、「おかえりなさーい」と嬉しそうに手をふってくれている。

 馬車が公爵邸にたどりつくと、騎士たちとメイドたちに出迎えられた。

 みんな満面の笑みで私たちが無事に帰って来たことを喜んでくれている。

 長旅が終わり私はホッと安堵した。

 良かったわ。無事に家に帰ってこれた。

 ……家?

 私はいつの間にか、ここが私の帰る場所だと思っていたみたい。

 馬車から降りても、私とアレク様はしっかりと手を繋いだままだったので、みんな驚いている。

 何か聞きたそうにしていたけど、今は遠慮してくれたみたい。私たちがメイドたちの前を通り過ぎたあと、ふと後ろを振り返ると護衛騎士のキリアがメイドたちに取り囲まれて質問攻めにあっていた。

 **

 フリーベイン領に戻ってから三日後。

 アレク様は私に「オグマートを見てほしい」と言ってきた。

「会ってほしい、ではなく?」

 私が首をかしげるとアレク様は「会ってほしくはない」ときっぱり言い切る。

 長旅の間、アレク様と騎士たちは、私をオグマートに会わせないように徹底してくれていた。だから、カーニャ国を出てから、一度もオグマートに会っていない。

「国王陛下にはオグマートがカーニャ国でしたことをすべて報告している。その結果、オグマートを連れて王都まで来いとの指示を受けた。だから、王都に向かう前にオグマートに気がつかれないように見てほしいんだ。様子がおかしくてな」
「は、はい」

 アレク様のあとにつづいて、私はオグマートを捕らえている牢屋へ向かった。

 今まで牢屋を見たことがなかった私のイメージでは、牢屋は地下とかにあって不衛生で臭くて……なんてものを想像していたけど、フリーベイン領の牢屋は清潔だった。

 簡素な部屋といった感じだけど、扉にはしっかりと鉄格子がついている。

 アレク様のあとにつづいて歩いていると、手で立ち止まるように制止された。

 人差し指で『静かに』と合図したアレク様の指さすほうをみて、私は驚きの声をあげそうになってしまい、あわてて両手で自分の口を押さえた。

 オグマートの両手は黒文様でうめつくされていた。よくみると顔にまで黒文様が浮かび上がっている。

 その姿は、まるで黒文様に埋め尽くされた大聖女さまのようだった。