ふと夜中に目が覚めたのは、キィと扉が開く音が聞こえたからだった。気のせいかと思ったけど、コツコツと足音が近づいてくる。

 護衛騎士のキリアは、「この部屋は、厳重に警備されているので安心してお休みください」と言っていた。

 だから、この部屋に入れるのは危ない人ではないはず。もしかして、キリア? それともメイド? 何か緊急事態なのかもしれない。

 私はベッドから起き上がると寝室から出た。室内は暗くて相手の姿が良く見えない。

「どちらさまですか?」

 声をかけると人影は立ちどまった。

「……俺に話があると聞いた」

 低く落ち着いた声だった。

「話って、あっ!」

 そういえば、『明日にでも時間を作ってほしい』と公爵様に伝言をお願いしていたわ。

「もしかして、公爵様ですか?」

 人影がコクリとうなずいたので、私はあわてて頭を下げる。

「お初にお目にかかります。私はエステルと申します。実は婚約の件でお話が――」
「俺もその件で話がある」

 固い声で話をさえぎられた。

「はい、なんでしょうか?」
「婚約の件は、なかったことにしてくれ」
「と、いいますと?」

 公爵様からの言葉を待っていると、月を覆っていた雲が晴れて、窓から月明かりが差し込んだ。

 月明かりに照らされた公爵様は、背の高い青年だった。その顔には見慣れた黒文様が浮かんでいる。

 ハッとなり両手で口を押える私を見て、公爵様は自嘲(じちょう)した。

「この醜(みにく)いアザが理由だ。俺の全身に広がっている。おぞましかろう?」

 私は、無言で首をふった。

「ムリをしなくていい」
「あ、あの!」

 私は一生懸命に自分の顔を指さした。ついさっきまで寝ていたので黒ベールをかぶっていない。私の顔には、公爵様と同じ文様が浮かんでいるはずなのに、公爵様は不思議そうな顔をしている。

「あれ?」

 仕方がないので私が袖をまくると、腕にあった黒文様は消えていた。

「おかしいわ」

 ナイトドレスをずらして肩を出すと、ようやく見慣れた黒文様を見つけられた。

「な、何を!?」

 驚いている公爵様に、私は肩の黒文様を指さす。

「あの、公爵様、これを見てください!」

 公爵様の瞳が大きく見開いた。

「あなたにもアザが……どうして?」
「私は邪気を吸収して体内で浄化する聖女なのです。その影響でこうなってしまって……。公爵様は?」

「俺は、幼いころから魔物討伐で返り血を浴び続けていたらこうなった。ずっと俺だけなんだと……」
「私も黒文様が浮かび上がるのは、私だけだと……」

 だって、歴代聖女の中に黒文様が浮かび上がった人は、一人もいなかったから。

 この数年間、私は毎日王都の邪気を浄化した。それでも邪気は増す一方で、少しずつ私の身体の黒文様は広がっていった。

 邪気に塗(まみ)れていく自分は、いったいどうなってしまうの? 不安だったけど誰にも相談できなかった。

 こんな思いをしているのは私だけなんだと思っていた。まさか、私と同じように黒文様で苦しんでいる人がいたなんて。

「公爵様……」

 子どものころから過酷な境遇だった公爵様に、こんなことをいうと怒られてしまうかもしれない。でも、私はどうしてもこの言葉を言いたかった。

「私たち、一緒ですね!」

 公爵様は、しばらく無言で私を見つめていた。やっぱり怒らせてしまったかもしれない。

「エステル、と言ったか?」
「は、はい、そうです」

「俺はアレク・フリーベインだ。アレクと呼んでくれ」
「でも……」

 婚約の誤解が解けて、これから下働きをさせてもらう私が、公爵様を名前で呼ぶわけにはいかない。

「えっと、あの、お気持ちだけで」

 私がそう伝えると、公爵様はなんともいえない顔をした。