当初の予定通り図書館に向かった私たちの馬車は、なぜか修道院の前で止まった。白壁の建物の入り口には重厚な扉があり、ステンドグラスがはめ込まれている。

「ここが図書館?」

 私がつぶやくと扉が開いて中からフィン様が顔を出した。

「ようこそ、エステル。フリーベイン公爵も!」

 明るい笑みを浮かべるフィン様。その美しい銀髪は朝日を浴びてキラキラと輝いている。

「さぁ中へどうぞ」

 案内されて中に入るとやっぱりそこは修道院だった。

 不思議そうな私に気がついたのか、フィン様はクスッと笑う。

「この建物は、元修道院なのですが、今は図書館として利用されているんですよ。こちらです」

 案内された先では壁一面に本棚が整然と並んでいた。天井には絵画が描かれていて、図書館というよりは美術館とでも言いたくなるような美しさだった。

「ここには歴史関係の本が集められています。聖女様信仰に関する本は、また別の場所に」
「すごい本の数ですね」
「はい、カーニャ国の自慢です。これだけ本があれば僕は一生飽きずに暮らせます」

 ごきげんのフィン様からは本への愛が伝わってくる。

「フィン様、実は聞いていただきたいお話がありまして……」

 小首をかしげたフィン様は、私とアレク様に椅子にかけるようにすすめた。テーブルをはさみ、フィン様も席につく。その背後にいつもの護衛騎士が姿勢よく立った。

 キリアを含めた護衛騎士たちは、少し離れた場所からこちらをうかがっている。

 私が先ほどアレク様に話した夢の話を伝えている間、フィン様は一言も口をはさまなかった。すべてを聞き終えると「大聖女様が……」とだけつぶやく。

 両手で顔をおおったフィン様は、深いため息をついた。

「本来ならカーニャの王族として、その話を疑わないといけません。ですが、僕はエステルのことを全面的に信じたいと思います」

 フィン様は、その理由として大聖女様に守られているはずのゼルセラ神聖国が魔物に襲われていることを挙げた。

「それに、大聖女様はゼルセラ神聖国では守り神とされていますが、文献によれば元はただの村人だったとされています」
「村人?」

 私の問いにフィン様はコクリとうなずく。

「はい。大昔、まだ大きな国がなく村が点在していたころ、魔物被害は甚大でした。それを哀れに思った神が、魔物と対抗すべく信心深い一組の若い夫婦に魔物を退(しりぞ)ける力を授けたといわれています」

 その夫婦の妻がのちの大聖女様で、夫は大聖女様と共に旅立ちのちに英雄になったらしい。その英雄が使っていたとされる剣は、今はアレク様が所有している。

「だから、もし今もどこかで大聖女様が浄化し続けてくださっているのであれば、必ず終わりもあると思うのです。それこそ、神から授けられた力が失われたら、大聖女様はただの村人に戻ってしまうのではないかと……」

 ただの村人に戻ってしまった大聖女様は、身体を維持することができなくなり朽(く)ちて消えてしまう。

 あんなに寂しい神殿の中、たったひとりで……。

 私は、またあふれてきそうになる涙をぐっとこらえた。

「フィン様は、大聖女様はどこにいらっしゃるかわかりますか?」

 フィン様は困った顔でゆるゆると首をふる。

「わかりません。大聖女様がいる場所は『大陸中の邪気が集まりあふれ出す場所』としか文献に書かれていないのです」

「私は大聖女様にお会いしたいのです。フィン様、協力していただけませんか?」
「もちろんですよ! 邪気が集まる場所はすなわち、魔物が頻繁に出る場所です。そこを調べたら、おおよその見当がつくかもしれません」

 そのあとの私たちは、図書館内でこれまでに魔物が多く出た場所を調べ始めた。

 あっという間に時間がすぎて、図書館が開く時間になってしまった。フィン様の提案で明日も図書館に集まることを決めた。

 次の日も早朝の図書館に集まり、必死に情報を集めた結果。フィン様は手元の資料に視線を落とした。

「フリーベイン領、ですね」

 そう。調べた結果、大陸中で一番頻繁に魔物が現れるのは、アレク様が治めるフリーベイン領だった。

 たしかに今までフリーベイン領以上に、魔物が頻繁に現れる土地なんて私も聞いたことがない。アレク様の顔はどことなく青ざめて見えた。

「まさかフリーベイン領内に大聖女様が?」

 アレク様の言葉にフィン様は首をふる。

「わかりません。これは、ただ魔物が多く出るというだけの情報なので」

 資料を横に置いたフィン様は、パンッと手を鳴らした。深刻な顔をしていたアレク様も私もビクッと肩をふるわす。

「今日はここまでです。図書館ももう開きますからね。それに明日は王宮主催の舞踏会です。どうぞ楽しんでください。舞踏会が終わったあとにまた調べましょう」

 立ちあがったフィン様を、アレク様が呼び止めた。

「殿下、もう一つご相談があります」
「はい、なんでしょうか?」

「実は、肌に黒文様が浮かんでいる者を探しています」
「黒文様ですか?」

 アレク様は「失礼します」と断ってから上着を脱いだ。みごとに鍛えあげられた腹部には黒文様が少しだけ残っている。

「これです。邪気の影響で現れるものですが、大聖女様に選ばれた者にしか浮き出ないそうなのです」

 興味深そうに黒文様を見つめるフィン様。

「これって……」
「殿下、ご存じなのですか?」

「いえ、実際に見たわけではありません。ですが、昨日、兄上を訪ねて来た者があまりに怪しかったので捕えて身体検査をしたところ、身体に黒いアザがあったそうです。兄上が『何かの病持ちかもしれない』と言っていたことを思いだしました」

 私とアレク様は顔を見合わせる。

「殿下、その者に会わせていただけませんか?」
「兄上に聞いてみます」
「お願いします」

 フィン様と別れた私たちは馬車に乗り込んだ。私の向かいの席にはアレク様が難しい顔をして座っている。

「何か気になることがあるんですか?」
「ああ。エステルの話では、大聖女様はゼルセラ神聖国内から三人選んだと言っていた。それなのに、黒文様が浮かぶ者が都合よくカーニャ国にいるなんておかしくないだろうか?」

 言われてみれば、フィン様は『怪しかったので捕えられた』と言っていた。

「怖い人じゃなければいいんですが……」
「そうだな。だが、どんな者であれ、俺がエステルを守るから心配しなくていい」
「アレク様……」

 そういう女性がときめいてしまうようなセリフを真顔でサラリと言ってしまうアレク様ってなんだかすごい。

 つい顔が赤くなってしまったので、私はあわてて話題を変えた。

「アレク様、明日はいよいよ舞踏会ですね」
「そうだな」

 いろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていたけど、この日のために私たちはたくさんダンスレッスンをしてきた。

 だから、明日だけは舞踏会を心から楽しもうと思う。

「私、舞踏会で立派にアレク様の婚約者のふりをやりとげてみせます!」

 アレク様は「ああ、頼んだぞ」と言いながら優しい笑みを浮かべた。