「お疲れ様でした。松阪(まつさか)社長、ぜひまたお越しください」
「呼んでいただければいつでも馳せ参じますよ。今日はありがとうございました」
「素敵な記事になりそうです。期待してくださいね」

 立ち上がって握手を交わせばフラッシュが焚かれる。横から「笑ってくださーーい」と言われ、インタビュアーの女に向かって微笑めば、またしても盛大にフラッシュが焚かれて眩しいが、我慢だ。

「終了でーす、お疲れ様でした~」

 進行係の言葉を受け、礼をして部屋を後にした。

「はあ」

 二時間のインタビュー。経済誌での特集記事のはずなのに、質問の半分は女や恋愛、結婚絡みで辟易とさせられたが、会社の宣伝効果は絶大なので致し方がない。

 エレベータホールの目前までやってきた時、後方から呼ぶ声がした。振り返ればインタビュアーの女が駆け足でこちらに向かってきているのが見えた。

(えーっと、名前、なんだったっけ?)

 なんて頭の端で考えるが、顔に出ないように作り笑いを浮かべる。

「どうしました?」
「松阪さん、このあとどうです?」

 社長(・・)からさん(・・)になっている。親しいつもりなのだろうか――などと思うが、もちろん顔には出さない。

「このあと?」
「ええ、ワインの品ぞろえが素晴らしい店を知っているんです。いかがですか?」

 本当の目的はワインのあとだろうが残念ながらこの女はタイプじゃなかった。そして――

(お前はピラニア族だな。一番面倒な部類だ)

 胸中でそう言い切り、満面の笑みで答える。

「申し訳ない、これから社に帰って仕事なんです」
「まぁ、お忙しいんですね」

 わざとらしく腕時計を見て言ってくる姿に同調して自分でも時計に視線を落とせば、針は九時を示していた。

「確かに。ですが朝一番の会議用資料を読まないとマズいんで。ワインはまた今度お願いします」

 軽く礼をし、エレベーターのボタンを押せば、このフロアで止まっていたのかすぐに扉が開いた。

(グッジョブ!)

 女が丁寧に礼をするのを見ながら手を挙げて挨拶すれば、扉が閉まって動き出した。

「はあ」

 普段はあまりつかないため息が盛大に出た。
 ため息はつくほどにラッキーが逃げていくと思っているので気をつけているのだが。

 音を立ててエレベーターは降下する。フロアボタンの光が止まることなく階層を変えていく。そして地下で止まった。

(熱いシャワーでも浴びて寝るか)

 こういう時、転がり込める女でもいれば憂さも晴れるのだろうが、間違いなく勘違いさせてしまうので、そういう女は作らないことにしている。少しでもカノジョ気取りをされればすぐに切り捨ててきた。そうでないといろいろ面倒だからだ。

 そんなことを考えつつ歩みを進め、自家用車に近づけば、女が立っていることに気づいた。
 見たことがあるような、ないような。

「お疲れ様です、社長。ご自宅までお送りいたします」
「……君は?」
「総務課の岡田(おかだ)です」
「総務? なんで総務なんだ?」
「社長が送り迎えは無用と秘書におっしゃったからです」
「……なるほど。君が大きなお世話を焼いてくれるんだ」
「今夜しかチャンスがないと思ったので」
「ふうん」

 ポケットに手を突っ込みキーを取り出して投げると岡田はすぐさま運転席に乗り込んだ。そしてエンジンをかける。それを見て、助手席に乗り込んだ。

 それからしばらく、うまいとは思えない運転の中で東京の夜景を眺めていたら、車はしゃれた外観のファッションホテルの駐車場に滑り込んだ。何度か切り返して駐車すれば、二人同時に下りる。岡田がキーを差し出したので、それを受け取った。

「社長?」
「先に部屋を選んでおけよ」

 ややぞんざいに言い、運転席に乗り込んだ。愛車は確かに枠の中に納まっているが、斜になっていて見苦しかったからだ。岡田は意図を察したのか、申し訳なさそうな顔を向けたものの、すぐに歩き出してエントランスに向かった。

「あんまり好みじゃないが、高橋(たかはし)よりマシだな。あ、俺、名前覚えてたか」

 さっきのインタビュアーの名が不意に出てきて我ながら驚く。岡田は高橋とは真逆の外見であり、雰囲気だ。

 高橋は絵に描いたようなキャリアレディで、高そうなスーツにハイヒール、化粧もバッチリメイクで肉食獣を連想させるムードだが、岡田はおとなしそうな雰囲気で、着ているものも目立たないどこにでもありそうなオフィスカジュアルなスーツだ。メイクも薄く、ぱっと見では清楚なお嬢さまタイプだが。

(お嬢さまが男を待ち伏せし、ホテルに連れ込んだりはしないだろうがな)

 まっすぐに止め直せば、エントランスに向かった。

「どうかしたか?」
「……いえ、なにもありません」

 そう答えるが、なんとなく落ち着かない様子だ。

 そのままエレベーターで一階に行き、ボードの前に立てば、岡田はますますそわそわして、恥ずかしそうに部屋の写真を眺めている。

(なにを照れているんだか)

 ボードを確認し、迷わず最上階の一番いい部屋をセレクトする。出てきた鍵を手にして再びエレベーターに向かった。

(そういえば、ラブホは久しぶりだな)

 いつもはシティホテルに行くので、露骨なホテルに来ることはない。しかしながら、岡田が問うこともなくファッションホテルを選んだのだから、ムードあるデートではなく、目的を絞って誘っているのだと思うし、それ以外ないだろう。

(時間も時間だしな)

 部屋の扉を開け、岡田を先に行かせようとして気がつく。岡田が戸口で固まっている。

「どうかしたか?」
「………………」
「岡田さん」

 声をかければハッとしたように肩を震わせた。

「怖じ気づいた?」
「いいえ。楽しみです」

 それを聞いて思わず、棒読みだろ、と言いそうになったがやめた。ここに来た目的はアバンチュールのためではない。取材という名目を利用し、始終色目を使ってきたムカつく女との時間をリセットし、体の欲求を満たすためだ。

 転がり込める女がいないことに今夜ばかりは失望を抱いたところに現れた『神の思し召し』、ただそれだけの理由で受け入れた。でなければこんなバカらしい待ち伏せに応じる気などさらさらない。

(いや、やっぱりアレより遥かに好みだな)

 やり手優秀なキャリアレディは確かに仕事をするにはいい。ビジネスでは非常にタイプだ。が、プライベートでは真逆で、おとなしく可憐に微笑んでいるような女が好みだった。

 岡田と名乗ったどうやら部下らしいこの女の雰囲気は、一夜を楽しむには及第点だ。

 そっと背に触れれば、弾かれたように歩き始めた。

 スーツのジャケットを脱いでソファの背に置くと、岡田はそれを手に取りクローゼットに仕舞った。と同時に自らもジャケットを脱いでハンガーにかける。それからこちらを向き、ベッド脇に立って服を脱ぎ始めた。

「ホントに積極的だなぁ。言っておくが、俺は」
「特定の女とは付き合わない、でしょ? 社長」
「その通りだ」
「わかっていますので、ご安心を」

 するすると衣擦れの音をさせつつ脱いでいく様子は見学するにはいい。

 ブラウスとタイトスカートを脱いで下着だけの色っぽい姿を見れば、こちらのスイッチも入るというものだ。

「続きは手伝おう」
「あ!」

 無防備なところを膝から抱き上げて横抱きにし、目の前のベッドに寝かせれば、ネクタイを緩めつつ覆い被さった。

「……社長」
「今さらやめるとは言わさないぞ」
「もちろんです。誘ったのは私です。この日を、願っていたのでうれしいです」
「へぇ」
「本当です」
「社内は面倒だ。二度目はないからな」
「ええ、今夜だけです」

 どうだかな。だいたいの女は縋りついてくるが――そんな言葉が胸中湧き起こるが、さすがにこのホットな状況でそれを追及するのはバカらしい。

「んん」

 チュッと派手なリップ音を鳴らせた後は貪るようなキスをしつつ、下着を剥ぎ取りこちらも脱ぎ捨てる。こうなればもう明日のことなどどうでもいい。情欲が燃え盛り、すべてを包み込んでしまえば、思考もまた焼かれて消えてなくなる。

 ただ、互いの熱い肌が痛いほどにこすれ合ってどこまでも高まる。

 いつものことで、今夜もいつものように終わると思っていたのだが――


「あれ?」

 いつの間にか眠ってしまっていたようだ。だが驚いたのはそんなことではなかった。

 隣で寝ているはずの女がいない。シャワーかと思ってそちらを見るものの人の気配はなかった。

「どこへ行った?」

 ベッドを下り、改めて部屋を見渡すが、脱がせた服も鞄もなく、戸口に行けば靴がなかった。

「帰ったのか」

 今夜だけ――口からでまかせと思った言葉は本当だったのか。

「………………」

 なんとも言えない空虚な気持ちが湧いてくる。

 ステイタスを求めて言い寄ってくる女たちに、さんざんな態度で接してきたのは他ならぬ己自身だ。

 女は嫌いだ。
 体だけで充分だ。

 そう思うのに――

(なんだ、この虚しさは)

 人にはすげなくするくせに、自分がされてムカつくなんて子どもじみている。わかっているが、こんな風に如実に体感してしまうと空しいと思ってしまう。

 行きずりのような関係であっても、家まで送るなりなんなりすべきことは果たしてきたのだが、女と夜を過ごして置き去りにされたのは初めてだった。

 とはいえ、社の人間なら明日出社して声をかければいいだけのこと。
 つきまとわないという意味で先に帰ったのなら都合はいいはずだ。

 釈然としない。
 後味が悪い。

 明日、なんと声をかけようか。