自信はあった。
ペリクをやれるのは依田先輩しかいない。
依田先輩も「自分自身のために」表に立つことを選んでくれた。


「今回、増川の脚本でやることになりました」


無情にも花野先輩から放たれた言葉に私の小さな自信は暗闇に落とされた。
挫折を挫折だと認識するのは未来の自分が、現状の自分か。時が経てばこの挫折は笑い話になるのだろうが、今がつらければそれは『挫折』という言葉のより勝る言葉がみつからない。

「なんでですか」と誰にも聞こえない声で呟いた。
だってもう、役決めが始まっている。

依田先輩は、表に立つんだろうか。
私の脚本じゃないそれで。

なんとも自分勝手な妬みだ。あんなに依田先輩に舞台に立って欲しいと願っているのに。


「っ!」


私は何もみたくなくて、ききたくなくて、そこから逃げ出した。



子供みたいに泣きじゃくりながら、学校近くの公園のブランコに座る。
頑張ったのに、頑張ったのに。

依田先輩に、私の書いた脚本で最後舞台に立って欲しかったのに。

なんで選ばれなかったの。なんで、選んでくれなかったの。もう嫌い、部活なんていきたくない。
努力なんて結局報われないんだ。
私の泣き声とともに、ブランコの鉄の部分のさびれて擦れる音がそこに響く。


「ひより!」


誰の声かなんてすぐに分かった。分かったから、顔はあげなかった。
駆け寄ってきた足音が私の前で止まる。


「…部室に戻るぞ」

「嫌です」

「役決めが始まってる。文化祭まで時間がないんだ」

なおさら行きたくない。

「…俺も、出るから」

「私の脚本じゃないのに」

「あー、それはちょっと理由があって」

顔を上げれば、困ったように頬を人差し指で軽く擦った依田先輩が視界にうつる。あの日以降依田先輩は眼鏡を外し髪を切った。

「理由?」

「俺は、ひよりの脚本でやりたいと思った。花野にもそう言ったんだが、脚本の用語がまずかったらしい」

「どういうことですか?」

「俺もだが、ひよりもあまりニュースとか見ないだろう」

「ニュース、えっと、あまり見ないかもです」

質問の意図が分からず、涙は引っ込んでいた。
依田先輩は私に目線を合わせるようにしゃがんだ。


「『レホメディ』は今世間で話題になっている、危険ドラッグの名前だ」

「えっ」

驚きで大きな声が出て、片手で口を抑える。
依田先輩は困ったように笑った。
偶然だとしても、確かにそれを劇で題材にするのはまずいだろう。
しかも文化祭は、外部の人たちも大勢くる。


「名前を変えることなども提案したんだが、花野を説得できなかった。ごめん」


頭を下げた依田先輩に私は「謝らないでください」と慌てて両手を左右に振る。もう、いい。依田先輩が演じたいって思ってくれていたと分かっただけで、もう、それで。


「ペリク、演じてみたかったよ」


「そう言ってくれるだけで、嬉しいです」


依田先輩の手が私の頬に伸びた。そしてその指先がさらりと肌を滑る。
心臓が破裂しそうなくらいに音を立てた。
もう涙はでていないのに、依田先輩は困ったように私の頬の涙のあとを拭いとる。


「ワンドは俺が殺す」

「えっ、な、」

「台詞、言って」


そう言われ、私は『スター国物語』を題材にしてつくりあげた物語のいろんな言葉を頭の中に駆け巡らせる。最終決戦の日、ワンドが倒れている前でペリクが剣をぬく。

ワンドを庇うようにリンデルがペリクの前に立ち塞がった。


「ワンドは殺させないわ、レホメディも私が守る」

「きみは、その貴重な魔法の薬をワンドにつかうつもりかい?

所詮はすぐに消えてなくなるような、恋心だろう。はやくレホメディと一緒にこっちに来い」


差し伸べられた手。迷うリンデル。

リンデルはいつだって恋心を忘れていない乙女で、揺らぎがちで助けをすぐに求める、人間味のあるお姫様だ。
だから、手を差し伸べられると掴みたくなる。

野望を持って突き進んでいくペリクに惹かれていたのは本当だったから。

だけど、迷ってその手を引っ込めてワンドに薬を飲ませるリンデル。


「っ、」

手を引っ込めようとしたけれど、依田先輩に掴まれて引き寄せられた。


「こういう終わり方もありそうだな」


「依田先輩、あの、」


「キス、俺が部活引退するまで待った方がいいか?」


触れかけた唇がそう言う。
試すように、焦らすように。

とっくに、私の気持ちはバレていたみたいだ。
依田先輩はクスクスと笑いながら私から離れる。


「じゃあ、またあとでな」

「え、一緒に帰りますっ」

「顔赤いから冷ましていけ」

そう言って、先輩は公園を出ていった。
私はあつい顔を冷ますように両手を頬に当てて再びブランコに腰を下ろす。ドキドキしすぎて死ぬかと思った。


「あ、あのう」


後ろから聞こえた声に私は驚いて立ち上がる。
振り向けば、20代から30代くらいの女性が立っていた。
その顔はほんのりのあかい。おそらく今の私と依田先輩のやりとりをきいていたのだろう。恥ずかしすぎて地面に埋まりたい。


「な、なんでしょうか」


「あ、いや、怪しいものではないんですけど、えっと偶然話聞こえてきちゃって、その、ごめんなさいね」


なんだろう、公共の場でイチャつくなとかそういう説教だろうか。と少々身構えていれば、その女性は予想の斜め上をいった。