「通学は問題ないよ」

 俺の家は世田谷区の端で、多摩川の近くにある。入学した芸術高校は新宿だから、電車を乗り継いで1時間以上かけて通っていた。

 我が家は両親とも早起きなので、俺も同じように起きて早く家を出ている。そうすれば、極端な通勤ラッシュに巻き込まれない。

「それならよかったわ。友達はできた?」
「うん……多分」
「多分?」
「今日は席替えがあって、隣になった人と話したんだけど……無口で無表情だから、俺のことをどう思っているかは分からなくて」

 俺自身は浅尾に好感を抱いているものの、浅尾のほうはどうだったのだろう。
 呼び捨てでいいと言われたから、嫌われてはいないと思うけれど、表情が動かないと感情も読めない。

「今度、米をお裾分けしてあげたらどう? その子、家はどこなの?」
「わ、分かんない。会話らしい会話は、ほとんどしていないから……」
「それなら、ウチへ遊びに来てもらいなさい」
「それは……ハードルが高そう……」
「あら、家が遠いの?」
「だから、どこに住んでいるのかは、分からないって」

 母は、人の話をあまり聞かない。
 それでもサービス精神が旺盛で底抜けに明るいので、父が勤める税理士法人では、名物事務員として知られているらしい。

「仲よくなるには、まずお互いを知らなくちゃ。その子が無口なら、こっちからどんどんいきなさい。自分から心を開かなくちゃ、相手だって開いてくれないでしょ」
「う、うん……」

 頷いたものの、若干不安だった。
 俺には母のような対人スキルがないし、どちらかというと口下手なほうだ。相手が浅尾でなくても、クラスメイトといい関係を築ける自信は、あまりない。
 
 こちらから話しかけるとしたら、どんな話題を振ればいいのか。
 翌朝、電車に揺られながら考えてみたものの、なにも思い浮かばなかった。

 いつものように職員室で鍵を受け取り、誰もいない教室へ入る。
 
 しばらくするとクラスメイトたちがちらほら登校してくるけれど、浅尾が来るのはいつもギリギリだった。
 ゆったりとした動きで自席へと座る浅尾の顔は、半分寝ているようにも見える。
 
「浅尾、おはよう」
「はよ……」

 かろうじて聞き取れるくらいの、小さな声。もしかして、寝不足?

「大丈夫? 寝不足?」

 話しかけたものの、浅尾は正面を向いて目を閉じたまま、微動だにしない。
 あれ、寝ている……?

「あ、浅尾。もうすぐ、ホームルームが始まるよ」

 軽く肩を叩くと、薄っすら目を開けてこちらを見た。

「苦手」
「え?」
「朝、苦手」

 ぼそぼそと浅尾が言う。
 なるほど、朝に弱いのか。その割には、髪型とか洋服とかはびしっとしているんだけど。