「さて、私は源順(みなもとのしたごう)と申します。父は4年前にお亡くなりになっている、よって私がこの源家の主だ。」
気を取り直して彼は自己紹介してくれた。『みなもとのしたごう』と聞こえたが、歴史の教科書にいたのだろうか。聞き覚えもあるような…。考え込む私を、彼は見守ってくれていた。
もしかしてあの人かなと思い当たり、私は嬉しそうに顔を上げた。『源頼朝』は聞いたことがあったので、その親戚かもしれないと考えたのだ。同じ源さんだ、きっとそうだと嬉しくなる。
話し出そうとして、はたと動きを止めた。
ーーー私今、人魚姫設定だった。
話したら驚かせてしまうかもと、もじもじ手をいじり、ならばジェスチャーでと考え、でもジェスチャーで人の名前はどのようにするのかと頭を抱えた。
その一連の様子を見守っていた順は、堪えきれずくつくつと笑い出した。それを見た私は、首まで真っ赤になってしまった。

源さんの親戚は聞けないとしても、自分の名前は伝えたかった。そして、筆談を思い付いた。順の方を見て、手でペンを持つ仕草をしてみる。彼は首を傾げたが、私の手元をじっと見つめた後、顔を輝かせた。
「天女様は、もしや文字を書かれるのか」
私も嬉しくなって、何度も頷く。彼は老女に申し付け、老女は素早く筆と紙を持ってきてくれた。
墨を付け、緊張しながら紙に名前を書いた。
ーーー『橘 桜』と。
じっと文字を見つめて、順は読み上げた。
「たちばな…この二文字目はなんぞ…」
『桜』という漢字を彼が読めないようで、驚愕する。ここが日本ならば、漢字は当然読めるだろうと完全に安心しきっていた。いやでも『橘』は読めている、どういうことだろうと狼狽えていると、難解な顔をしていた順の表情が突然明るくなった。
「もしや、これはさくらの字ですか?」
急に読んでもらえて、首が痛くなりそうなほど頷いた。彼も嬉しそうだ。
「なるほど、天界ではさくらをこのように書かれるのですね。我々はこのように書くもので。」
彼がさらさらと筆を滑らせると、見たことのある漢字だった。ーーー『櫻』だ。
同じ読み方の漢字だけど、もしかして漢字の旧字体ってそういうことかと脱力した。昔はこう書いていた、ということかと社会人として遅すぎる気づきを得た桜だった。