街中、目の前を通り過ぎる人達。その中の1人の男性を見て、息を呑んだ。大好きなあの人に、彼が余りに似ていた。面影、その言葉が浮かんだ。
驚いて彼を見つめたまま固まっている私に気付いて、彼も少し目を見開いて、そして声を掛けた。
「あの、僕とどこかで会いましたか」
私は我に返って首を勢い良く振った。変な人だと思われたに違いない。それならもういっその事、どう思われようが関係ない。この人を、せめてこの人は、繋ぎ止めたい。
「会ったことはないです、でも、私と少し話しませんか」
さっきより目を見開いた彼は、私の勢いに押されたのか思わず、という感じに頷いた。
これが私と彼の、最初の日だった。

「ねえ、朝ごはん食パンでいいよね」
いつもと変わらない朝。キッチンから孝太郎が叫ぶ。私はベッドで身動きし、枕元のスマホを手繰り寄せた。そうだ、今日は土曜日だった。まだ寝られるとばかりに、頭から布団を被り直す。そこへ孝太郎がやって来て、呆れたため息を洩らした。
「澪ちゃん、食パンせっかく焼いたの冷めちゃうよ」
そう言う孝太郎に布団をはぎ取られそうになり、抵抗する私。そのまま孝太郎をベッドに引きずり込んで、くすくすと笑った。孝太郎も呆れた顔をしつつ、堪えきれず吹き出した。
ーーーあの日から3年。私は、何とか彼、孝太郎を引き止めた。そして連絡先を交換し、やり取りが続いた結果、私たちは恋人同士になったのだ。今は一緒に暮らしている。孝太郎は家事が得意で、おまけにとても優しく面倒見がいい。偶然出会って、恋人になれて、私は神様がいるのなら非常に感謝している。私は絶対にこの人を、離すものか。

『ーーー澪、俺を、忘れるのか』
深夜、汗だくで飛び起きた。荒い呼吸を何とか落ち着けて、枕元のスマホを手に取る。まだ、午前2時だ。孝太郎を起こさないようにそっとベッドを出て、汗がじっとりと染みた下着とパジャマを着替え
た。脱衣場の鏡を見て、1人呟いた。
「夢だと、会えるのにな…」

「澪ちゃん、顔色が悪いよ。体調悪いんじゃない?大丈夫?」
翌朝、孝太郎に心配され、何でもないよと笑って誤魔化した。すると、孝太郎は眉を下げて少し情けない表情になった。何か隠されていることを、察したのかもしれない。
「昨日、怖い夢見ちゃったから寝不足なだけだよ」
そうなんだ、と孝太郎は心配そうではあったけど、それ以上掘り下げることはしなかった。ほっとする自分に、少し罪悪感があった。

早朝の通勤電車に揺られながら、スマホのアルバムアプリを開いた。思い出をなぞるように写真をスクロールしていく。ずっと、ずっと下の方まで。8年遡ったところで、1つの写真に指が止まった。あの人の写真は、もうこの1枚だけだ。一緒に写った、最後の写真。
「ーー章太、もう、いいでしょう?私、頑張ったよね?」
心の中でそう呟いた。

夕食の後、私は切り出した。
「孝太郎、あのね、聞いて欲しいことがあるの」
孝太郎の眼が少し不安そうに見えた。彼は「改まって何?」と食卓の椅子に座る。
私はぽつぽつと話し出した。私と、かつての恋人、章太のことを。

章太は2歳上、高校の先輩だった。私が彼に憧れて告白したのが始まりだ。彼は親友に冷やかされながらも、告白に嬉しい返事をくれた。憧れから始まったけれど、とても気が合って、一緒にいるのが楽しくて、居心地が良かった。
だから私たちはいつも一緒で、学校の先生や同級生たちに『お前たち本当に仲がいいんだな』なんて、呆れられるほどだった。

「ーーーそれでね」

そう続けようとした時、孝太郎は泣きそうな、苦しそうな顔をして言った。

「澪ちゃん、思い出しちゃったんだね」

私はきつく唇を結んで、頷いた。涙を堪えたかった、でも、出来なかった。

「『私たち』、いつも3人一緒だったね」

孝太郎は章太の親友だった。私と章太が付き合って、私は孝太郎とも仲良くなった。3人でいつも遊んで、3人で授業をサボって、笑って、楽しくて、幸せだった。
あの日までは。

「章太を殺したのは、孝太郎だよね」

嗚咽を堪えながら、やっとの思いで私は告げた。孝太郎は、諦めたような顔で笑った。

「ーーそうだよ」

章太は私の目の前で、孝太郎に刺された。目撃者は私だけ。でも、私はショックで記憶を無くした。証言できる人も、手掛かりも無く、孝太郎は逃げ果せた。

「どうして?どうして章太を殺したの?」

記憶を取り戻して半年が経つ。この半年、ずっと考えていた疑問。とうとう、聞けた。
孝太郎は皮肉な笑みを浮かべながら席を立った。そして私に近づくと、私の頬を撫でた。

「澪ちゃんが、好きだから」

頬を撫でた手が降りていき、そのまま私の首をゆっくりと締めていった。

「澪ちゃんが、章太しか見ていないから」

どうして、こんなことになってしまったんだろう。あんなに楽しかったのに、全部変わって、終わってしまう。
ああ、でも。彼に逢えるなら、このまま死んでもいいかもしれない。
そう思った瞬間、手が解けた。

「死んでもいいって顔しないでよ。どうせ章太に会えるとか、思ってるんだろ。
ーーー殺してなんかあげないよ」

孝太郎は苦しそうに顔を歪めて、涙を零した。



私はあの日、孝太郎と再会した時、毎日のように夢で見る人にそっくりだと思った。章太と孝太郎は確かに似ていた。でも、夢で見ていたのは、本当はどちらの顔だったのだろう。
でも、もうどちらでもいい。私を殺せないこの人と、私はこれからも生きていくと決めたから。孝太郎は苦しいだろう。でも、それでいい。償わせるなど、させない。
私は、2人ともを、愛している。だからこの人だけは、絶対に離すものか。