そこからの展開は早かった。

15分と経たないうちに複数台のパトカーが駆け付け、彼らはテキパキと連携をとりながら、家にひとり残されていた僕を保護した。


怖かったよね、とか。
勇気を出して電話してくれてありがとう、とか。

まだ20代半ばくらいの若い婦警は僕の背丈に合わせてしゃがみ込み、心配そうな面持ちで背中をさする。


僕は何を言うでもなくただじっと黙ってどこか一点を見つめていて。

そんな僕を見て婦警は、ショックで言葉もないのかも、なんていうお優しい勘違いをしたようだ。


そういうことじゃなくて、ただ単に何も言いたい言葉が思い浮かばなかっただけなのに。


パトカーの中でもひたすらに、僕は彼女から「もう大丈夫だからね」とか「心配いらないよ」とか、そういう温かい言葉とやらを延々と聞かされていた。

僕の心は動かない。


警察署に着いた頃には、通報の際に話した情報やパトカーの中での簡単な聞き取りも経て、両親の名前や生活事情などが一通り調べられていた。もちろん、僕を置いて家を出た母の名前もとっくに彼らは把握していた。


「伊波白亜くんね。年齢は4歳――いや、12月24日生まれってことは、昨日で5歳……?」

「はい」

「お母さんは、三日前から帰ってきていなかったのよね……?」

「そうです」

「……」


僕が淡々と答えると、引き続き署内で聴取を担っていた先の婦警と、到着後から一緒に業務に当たっていた別の警察官が、同じ表情で顔を見合わせる。


“可哀そうに”

“まだ小さいのに、誕生日を一人きりで過ごす羽目になるなんて”


そういった同情の眼差しがわかりやすく浮かんでいて、僕は逆に、ここでどういう反応をするのが正解なのかわからなかった。


そうか。僕は――可哀そう、だったんだ。

僕が母に対して他人事のように感じていた、可哀そう、という憐れみの感情。それが、周りの人間が今の僕に向ける共通認識だった。


誕生日の数日前に唯一の肉親である母親に突然行方をくらまされ、わけもわからず家に放置される5歳児なんて、誰がどう見ても“可哀そう”でしかない。

僕が同じ立場でも、きっと彼らと同じ反応を示すだろう。

今思えば理解はできるのに、その時の僕の態度は変わらず、不自然なくらいに落ち着きを払っていた。