「離れて!――っ!?」

だんだんとエスカレートしていきそうな勢いのある白亜の腕を振り払おうとした矢先、振り上げた私の手首が彼の手によって呆気なく掴まれた。

このパターン、何回目!?

自分の学習能力の乏しさか、彼の反射神経のなす技か、お約束みたいな展開を遂げるこの状況に、いい加減ため息が出る。


「なーちゃんはさ」

「……?」


掴まれたままの手首を掲げた状態で、一歩、二歩と私に近付く彼に合わせて、私は後ずさって行く。

そのままベッドのすぐ前まで押しやられて、流されまいと足に力を込めた。


「なに……?」

「誰かを好きになったことってある?」

「……は?」


予想外の質問に呆気にとられる私を、彼を頭上から薄く笑って「ないか」わかってましたと言わんばかりに呟く。


「な……」

「誰かに告白されたことは?」

「な、ない、けど」


そもそも告白してくれるほど関係を深めた相手もいない。

白亜の質問の意図が汲み取れないまま、私は黙ってその問いに答えた。


「僕はさぁ、結局、人間の抱く恋愛感情なんて、妄想か空言か思い込みの類いだと思ってるんだよね」

「……」

「今日、黒芭に告白してた女の子、B組の茶道部の女の子なんだけど、茶道の家元の娘で、真面目で清廉ないいとこのお嬢様なんだよ」


彼が何を言わんとしているのかがまるで理解できず、私は眉間にシワをつくりながら首を傾げる。


「そんな良家のお嬢様であってもさ、ただの一時的な気の迷い、一方的な思い込みで、身勝手に他人に“好き”だとかって。そういう浅はかな感情を簡単に口にできる感覚が僕にはわからないんだよね」

「別に、彼女からすれば一時的な気の迷いでも勝手な思い込みでもなかったのかもしれないじゃない。それに“好き”なんて言葉、息するように一番白亜が口にできていそうなものだけど……」

「そうかな。そう思う?」

「……うん」


少し遅れて答える私に、白亜は謎めいた表情をして口角を上げて笑った。

窓に映る下弦の月の光に照らされた彼の瞳はやけに美しくて、それは一種の恐怖をも感じさせる意味深でダークネスな雰囲気を醸している。


「そっか」

「……?」


しばし時間を置いて、彼の口からこぼれたその言葉は、拍子抜けするくらいに短くて淡白な一言。

後に続く言葉はないのかと待ってみたけれど、それ以上に何かが発せられる気配はない。


「部屋に戻るよ。なーちゃんは“体調が優れない”のだから、早く休まないとね」


含みのある顔をして微笑した彼は、そのまま向かいの私の頭を優しく撫でて部屋から出ていこうとした。

なーにが、“体調が優れない”だ。笑わせる。


「白亜――」

「?」


腹いせか何か、自分でもよくわからずになんとなく声をかけた私に、一応扉の前で足を止めて顔を半分だけ振り返らせた白亜は。

特に用件も浮かばないまま咄嗟に名前を呼んでしまった私を待ってはくれているけれど、その先に続く私の言葉に何かを返す温情までは持ち合わせていないようだった。


「なんでもない。おやすみなさい」

「ああ、おやすみ」


敵わないなと自分の無力さにうんざりした私は、大人しくそのまま去って行く彼の背中を見送って、脱力したように背後のベッドに腰かける。


本当に、よくわからない時間だった。彼が秘めている思いは何一つわからないままだった。

私は考えるのをやめて布団に横になる。


なんだか色々あって、大変な1日だった気がする。

疲れが重力となってどっと体に圧し掛かって来るような圧を感じて、私は抗うこともできないまま、そっと目を閉じた。