突然、「レディ? どこかお加減でも?」と斜め後ろから声が聞こえ、エリスはハッと顔を上げた。
 声のした方を振り向くと、見知らぬ男性が心配そうにこちらを見下ろしている。

 歳はアレクシスと同じくらいだろうか。
 一目で上位貴族とわかる洗練された佇まい。魅惑的なラベンダーブラウンの髪と瞳。
 いかにも女性が好みそうな、眉目秀麗(びもくしゅうれい)な顔立ちをしている。

 男は驚きに硬直するエリスを見て何を思ったか、形のいい眉を少しばかり下げ、エリスの顔を覗き込んだ。

「私はリアム・ルクレールと申します。もしご気分が優れないようでしたら、奥の休憩スペースにお連れしようと思ってお声がけしたのですが」
「……っ」

 そう言われ、エリスはようやく理解した。
 目の前のこの相手は、自分の体調を心配してくれているのだ、と。

 エリスは慌てて言葉を返す。

「いえ……あの、大丈夫です。心配はいりませんわ。少し考え事をしていただけですから」
「そうですか? ですが、やはり顔が赤いようにお見受けしますが。侍女をお連れでないのでしたら、我が家の侍女をお貸ししますので――」
「本当に大丈夫です。それに、侍女なら連れておりますので」

 顔が赤いのは、恋愛小説のラストを思い出していたからですよ――などと言えるはずがない。
 エリスは更に赤面し、目の前の男――リアムからパッと顔を逸らした。

 するとリアムはますます心配そうに顔を曇らせたが、次の瞬間、どこかから聞こえてきた「お兄さま」という呼び声を聞き、表情を変える。

「……ああ、どうやら妹が私を探しているようです」

 そう呟くように言ったリアムの顔は、何かを思い詰めているように見えた。
 エリスはそんなリアムに、初対面ながら違和感を抱いたが、それも一瞬のこと。

 リアムはエリスが何か言うより早く、「申し訳ありませんが、これにて」とだけ告げ、あっと言う間に去ってしまったからだ。


 結果、ひとり残されたエリスは、リアムの消えた先の通路を見つめ、ただただ茫然と呟いた。


「いったい、何だったのかしら……」と。