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「この役立たず――! よもや殿下を裏切るなど、恥を知れ!」

 その晩、公爵である父に平手打ちされたエリスは、部屋で謹慎するよう命じられた。

 エリスの部屋はこの屋敷で一番狭い。もともと使っていた部屋は、異母妹のクリスティーナに取られてしまったからだ。
 そのとき一緒に、亡き母から譲り受けた貴金属や宝石類も奪い取られた。
 残されたのは、デザインが古臭いからという理由で置いて行かれたドレスだけ。
 
 エリスはヒリヒリと痛む頬を押さえながら、固いベッドに倒れ込む。

(いったいどうしてこんなことになってしまったのかしら……。わたしは、あの男性のことなんて何も知らないのに……)

 本当に、一度も見たことのない男だった。
 それなのに、あの男は私の肩に火傷の痕があるのを知っていたという。

(確かにここのところ殿下はわたしに素っ気なかったけれど……まさかこういう理由だったなんて……)

 私はこれから先どうなるのだろう。
 王太子から婚約を破棄された令嬢に、行く当てなどあるわけがない。
 
 エリスは不安のあまり、両腕で自身の身体を抱きしめる。


 エリスが王太子ユリウスと婚約したのは、まだ七歳のときだった。
 年齢と家柄が丁度いいからと結ばれた婚約。

 だがユリウスはとても優しくしてくれて、エリスは、この人に相応しい女性になりたいと、幼心に決意した。

 それから約十年余り。エリスは必死に生きてきた。


 婚約して一年後、エリスが八歳のときに実母が病気で死に、父が愛人と再婚したときも、エリスは気丈に振る舞った。

 愛人には、実弟シオンと同い年の六歳になる娘、クリスティーナがいた。
 つまり、父は少なくとも六年以上浮気をしていたのだが、エリスは父を責めることはしなかった。

 だが、そんなエリスの思いを踏みにじるかのように、元平民だった継母と異母妹はやりたい放題に振る舞った。

 屋敷の家具を全て入れ替え、宝石商を毎日のように呼び、ドレスを買い漁った。異国から珍しいものを取り寄せては、サロンで周りに自慢していた。

 けれど父はそれを注意するどころか助長させる態度を見せ、そんな父親に見切りをつけたエリスは、実弟シオンのためにも自分がしっかりしなければと思ったのだ。

 だがまもなくして、父はシオンを他国へ留学させると言い出した。
 父は公爵家の入り婿だったから、正当な爵位継承者であるシオンを邪魔に思ったのだろう。

 それに反対したエリスは、肩にタバコの火を押し付けられたのだ。