それもそのはず。
リアムは、エリスがアレクシスの妃であることも、何なら「エリス」という名前でさえ、聞いていないのだから。
――リアムだけではない。この場の兵の誰一人として、エリスがアレクシスの妃であることを知る者はいなかった。
そもそも皇子妃というのは、夫である皇子以外の男性に顔を晒すことをよしとされない。
舞踏会や夜会は別として、プライベートでの男性との付き合いなど言語道断である。
つまり、リアムを除いて全員が平民出身であるこの場の兵たちは、エリスの顔を知らないのだ。
もちろんアレクシスとて、そのことはよく理解していた。
それに今のリアムの反応からも、エリスが皇子妃であることを知らなかったことは明白だ。
けれどそれでも、アレクシスは許せなかった。
エリスがリアムの名前を呼んだという――些細な事実が。
アレクシスは、突然の展開に驚いているエリスの腕を引き寄せて、自身の腕の中に閉じ込める。
そしてリアムを真っ向から睨みつけ、明言する。
「これは俺の妃だ。お前が気安く手を触れていい女ではない」
「……!」
よもや、アレクシスの口から絶対に出ないような言葉に、そして彼の全身からほとばしる強い殺気に、リアムはごくりと息を呑んだ。
周りの兵たちも、子供二人も、アレクシスの剣幕に茫然自失していた。
まるでここが戦場であるかのような緊迫感。
そういう空気が、この場の全てを支配していた。
何一つ言い返せないリアムを放置し、アレクシスはエリスを問答無用で抱きかかえる。
そしてリアムに背を向けると、冷めた声で言い放った。
「リアム、これだけは言っておく。俺はオリビアを妃に迎えるつもりは毛頭ない。――よく覚えておけ」
「……ッ」
この言葉に、再びぐっと息を呑むリアム。
そんなリアムを残し、アレクシスはエリスを腕に抱いたまま、その場を後にした。