僕の名前は、ミゲル・ぺーゼロット。この国の三大公爵家の一角を担う ぺーゼロット公爵家の嫡男だ。
 もっとも嫡男といっても僕は所謂「愛人の息子」だ。「愛人の息子」と言っても僕の立場は些か厄介だったりする。それというのも僕がぺーゼロット公爵の実子でない事だ。
 
 僕は実父の顔を知らない。

 実父が亡くなったのは僕が生まれる前。
 僕が母の胎内にいた時に事故死したと聞いている。
 
 実父は伯爵であり母とは年齢が一回りほど離れていたらしいが、外交官として他国に赴いた際に母を見初めて「是非に」と望まれて夫婦になったそうだ。因みに母も他国とはいえ伯爵家の出身だったらしく結婚に対して反対意見は出なかったらしい。

 結婚の三年後に実父は不慮の死を遂げた。
 伯爵家の家督は父の弟。僕にとって叔父にあたる人が跡目を継いだ。母の懐妊は知っていたものの産まれてくる子供が男児とは限らない。女児であった場合は爵位を継ぐ事ができない。伯爵家が御家存続のために叔父を担ぎ出したのも当然と言えた。言い方は悪いが母は他国の貴族の娘。この国に伝手といえる親族が一人もいないというのは些か分が悪かった。

 二十代前半で寡婦となった母に手を差し伸べる者はこの国には誰もいなかった。
 婚家の伯爵家でさえそうだ。
 叔父は家督を継ぐと母を身一つで放り出した。
 どうやら僕の存在をなかった事にしたかったらしい。

 既に跡を継いでいるとはいえ、先代伯爵夫人が男児を産めばそれだけで跡目争いに発展しかねない状況だ。小心者の叔父はこのまま母が身籠ったまま死んでくれることを願っていたのだろう。そうでなければ貴族夫人を着の身着のまま屋敷から追い出す真似はしない。

 貴族令嬢として生まれ育ち、貴族に嫁いだ母が屋敷から追い出されて生きていく事はできない筈だった。

 途方に暮れ、街を彷徨っていた母を助けたのがぺーゼロット公爵だった。
 公爵と実父は親友同士で家族ぐるみの付き合いをしていたらしく、亡き親友の妻の窮状を憐れんで母を「妾」として公爵家に迎え入れた。

 母は公爵領にある別邸で暮らすことになり、程なくして僕が産まれた。
 妾の息子。
 先代伯爵の忘れ形見。
 公爵は全てを承知で僕を「実子」として手続きをした。勿論、実子ではないので諸々の制約は有るものの書類上は「実子」だ。
 
 伯爵の息子でしかない僕は公爵子息として成長した。
 これで実父に少しでも似ていたら何かが違ったのかもしれないが、生憎、僕は母親似だった。

 黒髪、黒目。異国の顔立ち。
 
 そのせいか、僕を義父の実の息子と勘違いする輩は多い。書類上も「実子」なのもそれに拍車をかけた。義父は訂正せず、真実を知っている伯爵家は公爵家の威光に口を噤んでいる。
 親友の妻子を助けるための処置とも取れるものの、僕は義父が母を愛しているからそうしているのではないかと思う。
 現に、義父は実父の話をするのを嫌がる。

『亡き親友の話をするのは未だに辛い』

『もう少し時間が経てば……』

 
 母はそんな義父に理解を示し、彼の前では決して実父の話はしない。僕と二人っきりの時にしか実父の事を語らなかった。

『ミゲル、あなたの名前はね、本当はお父様が御付になったの。産まれてきた子が男の子ならミゲルという名前がいいと仰ってね』

 義父の気持ちを逆なでしないように実父の名前は出さずに名付けたようだ。

『あなたが生まれるのをそれは楽しみにしていらっしゃったわ』

 優しく微笑む母の顔を今でも鮮明に覚えている。
 少女のように嬉しそうに笑う母。
 公爵の囲われ者になったとはいえ、母の愛はずっと実父の上にあるのだろう。あんな笑顔は義父の前では絶対に見せることがない。僕の前だけでみせる笑み。

 感謝している。
 自分たち母子を助けてくれた恩人。けれど―――……。


 母は死ぬまで公爵を男として愛した事はなかった。