灰皿へと向かう先生の背中から目を逸らす。質問を質問で返すのは、ズルい。


「えっと――」

「ああいうの、面倒くさいですよね」


私の声に被せられた呟きに、一瞬耳を疑った。


「恋は盲目って言いますけど、色恋に関係なく、いくつになっても場を(わきま)えない人っていますからねぇ」


私は一糸先生のことをよく知らない。でも、一糸先生らしくない発言に聞こえた。


「あ、呼び止めてすみません。これで風邪ひかせたら意味ないですね」

「……いえ。じゃあ戻ります」

「はい。のど飴は誰かにあげちゃってください」


軽く頭を下げると、先生を残して部屋へと戻る。


温かみをチラつかせる瞳に、柔らかい笑みを形作る口元。優しい物腰も加われば、信頼の置ける人かもしれない――と勘違いさせるには十分だ。


でも私は、そんな人も簡単に手のひらを返すと知っている。


私達の価値観は、大人には受け入れられない。いくら親しくなったと感じても、相手が大人である以上、平等な友好関係は存在しない。

私は絶対に、一糸先生に手懐けられたりはしない――。




オリエンテーション宿泊研修2日目。誰かさんのせいで寝不足な私は、歩行訓練という名の登山に、開始直後から音を上げそうになっていた。


「ふたりともおはよーっ」


生徒の列が次第にばらけてきたころ、背後から声をかけてきたのは、この眩しい新緑がよく似合う南くん、と要くんだった。


「朝からちょー元気だね!」

「榎本さんもじゃん! 椎名さんは体調平気?」

「うん、心配かけちゃってごめんね」