――翌日の昼休み。
 私と桐島くんと佐神先生は学校の第二理科室に集まった。
 もちろん、佐神先生に昨日の件を伝える為に。

「なるほど。君たちがここへ来たのは満月の日だったのか。そして、偶然にもその日に鏡に向かって不満の言葉を口にしたらこの世界へやって来た。そして、帰る方法はその逆ということね……」
「鏡に向かって『こんな世界は嫌だ』と言ったらここに来たから、今度は『この世界が大好きだ』と言えばいいらしい」
「そんなに簡単な方法で帰れるなんて驚いたよ」
「私もです。そうしようと思う以前に左右反転した世界を見て大パニックになってしまってたので」

 ここに来た時は、帰ることよりも現状を受け止めるのに精一杯だった。
 萌歌は人任せにしてくるし、街は左右反転してるし、文字は何て書いてあるかわからないし、ここで生活している人たちの性格は逆だし。
 情報社会だから調べればすぐに解決するだろうと甘く考えていたけど……。
 もっと単純に考えていれば、こんなに遠回りしなくて済んだのかもしれない。

「……あ、そう言えば、石井教授の話はデマだったらしいぜ」
「えっ、そうなの? どうしてそれがデマだとわかったの?」
「心葉の母親が既に調べたって言ってた。まぁ、どっちみちあの日は帰れなかったけどな」
「偉そうに言うけど、お前が約束の時間に遅刻したせいで検証出来なかっただけだろ?」
「……っ!!」
「……(桐島くん、私をかばったせいで嘘をつかせちゃってごめんね……)」

 佐神先生はゴホンと咳払いしてからそれぞれに目を向けた。

「……で、君たちの不満はなんだったの? 思わず吐き出してしまいたくなるほどの不満が溜まってたんだろ?」

 私は素直にこくんと頷くと、桐島くんは先に答えた。

「実は、俺。幼少期から自営業の寿司屋の後継ぎとして育てられていた。だから、将来は寿司職人になるのが当たり前だと思ってて……。でも、高校に入学してから大学に興味が湧いた。専門知識を学んで職業に活かしていきたいと思ってね。それを親に伝えたら反対されたよ。確か親の気持ちもわかるけど、俺の人生は俺のものだから、将来だけは譲っちゃいけないなと思って」
「桐島は家庭の事情で悩んでたのか……。それで、この世界に来てからどう変わったの?」
「自分でも驚くくらいあっさり解決したよ。それ意外の不満はないから、正直このままここに居座ってもいいかなって思っていたけど……」
「けど?」
「朝から下校時間ギリギリまで毎日元の世界へ帰る方法を調べている堀内を見てたら気が変わった。本当は大学に行きたいということを理解してもらうまで親と話し合わなきゃいけなかったのに、楽な方へ逃げようとしていた自分が恥ずかしくなってね」
「桐島くん……」
「これも堀内のお陰。一つの目標に向かって頑張ってる姿を見せてくれなかったら、俺は頑張ることを諦めてしまったかもしれない。だから、元の世界に戻ったらちゃんと将来について親と話し合ってみるよ」

 そっか。
 私が萌歌との件を悩んでいたように、桐島くんも辛い悩みを抱えてたんだね。
 ううん、桐島くんだけじゃない。
 この世界へ来た人たちはみんな同じ。
 そして、私たちのように帰りたいと思うのは、みんなそれなりに元の世界に満足していたから。
 私もここへ来る直前まではこんな世界なんてやってられないなって思ったけど、問題が少しずつ解決していく度に帰りたい気持ちが膨らんでいったよ。

「なるほど。桐島はここへ来てから悩みを乗り越えられたんだね」
「うん。だからいまは帰りたい」
「そっか。一皮剥けたんだな。偉いな。……で、堀内は?」
「私は萌歌と喧嘩してたんです。明らかに私が悪いのに、萌歌のカッコよさが羨ましくてぶつかってしまったんです。でも、私は桐島くんのように問題が解決出来てないから、次の満月の日に帰れるかどうかと聞かれたら微妙で……」

 私が帰りたくても、萌歌の気持ちはここから離れない。
 萌歌の気持ちを大切にしたい自分と、萌歌をこの世界に置いていくことに懸念している自分。
 その狭間で葛藤が繰り返されて、未だに答えが見いだせない。

「どうして帰れるかどうか微妙なの?」
「私は萌歌と一緒に帰りたいんです。ここに連れてきてしまった原因は私なので。でも、萌歌はやりたいことがあるからこの世界に残りたいって言ってて……」
「なるほどね。じゃあ、まずはその悩みを先に解決しようか」
「えっ」
「萌歌と仲直りしよう。一緒に帰るかどうかはその後だ。まだ時間はたっぷりあるしね」
「先生……」
「その作戦いいじゃん。佐神先生の言う通り、問題を先に解決しよう」

 この世界に来てから彼女と接する時間が増えたけど、まだまだ心を通わせられる段階ではない。
 仲直り……か。
 出来るかな、私たち……。
 ここを離れるその日まで、お互い納得がいく段階まで話を持っていけるといいな。
 

 ――放課後。
 私は”パラレルワールドの心葉”と初めてファーストフード店に入った。
 夏季限定のソーダフロートが2つ乗ったトレイを持って二階の空いてる席へ。
 なんか、変な気分。
 つい先日まではほとんど口をきかなかったのに。
 少しネガティブでとっつきにくい感じだったけど、人は言葉一つで変われるんだね。

「なんか、以前の堀内さんとは別人みたい」

 彼女はストローでアイスクリームをつっつきながらそう言う。

「以前……とは、元々この世界に存在していた皐月のこと?」
「うん。そう」
「この世界の私はどんな子だったの? 知りたいな」

 以前から少し気になっていたけど、もう一人の自分が本当に存在してたんだと思うだけで不思議な気分に。
 自身とは入れ替わりになってしまうせいで対面することが出来ないのだから。

「何を考えてるかわからないような人。私も性格上話しかける勇気がなかったからよくわからないけどね……。いまは堀内さんが好きだよ」
「えっ」
「信念を曲げないところや、困難に立ち向かってる姿勢は尊敬できるから」
「ありがと。向こうの世界では私たち親友なのに、なんか変な気分」
「向こうとこっちではずいぶん状況が違うんだね。……あっ、でもね。堀内さんは、友達とはとても仲が良い印象があったよ」
「友達……? あ、そっか。心葉と仲良くしてないなら他に仲が良い友達がいてもおかしくないよね。えーっ、一体誰なんだろう……」

 テーブルに頬杖をつきながら考えた。
 この世界に来てから自分に話しかけてくるような人はいなかったから、友達と言われても心当たりが……。

「誰だかわからないの? あんなにべったりだったから、いまはちょっと意外なんだけど」
「……その人って、もちろん女子だよね?」
「うん、そう」
「誰かな、誰かな〜……。ね、ヒントちょうだい!」
「ヒント……か。じゃあ、一つだけね。……その人はダンスが得意」

 それを聞いた瞬間、パッと該当者が思い浮かぶ。

「えぇっ?!?! も、もしかして……、そのダンスが得意な人って……萌歌のこと?」
「正解!」
「私と萌歌が親友って……。なんか信じられない」
「いまは仲良くなさそうに見えるけど、お互いなくてはならない存在に見えてたよ」

 この世界は全てが反対だ。
 だから、信じられないことが起こっていても受け入れられる。

「じゃあ、一つ質問がある」
「なぁに?」
「萌歌はどんな性格だったの?」

 私の性格が反対なら、萌歌の性格も当然反対だ。
 いまは生意気な態度ばかりとっているけど、反対ということは……。

「ものすごく臆病で気が弱い子。堀内さんが隣で支えなきゃダメなくらい」

 信じられない。
 普段は勝ち気な萌歌が、臆病で気が弱い子だなんて……。

「そ、そんなぁ……」
「だから、部活に行くのは少し辛そうに見えたよ。堀内さんが励まさなければ、きっと部活を辞めてたかもしれない」

 それを聞いた瞬間、気持ちは更に揺れた。
 もし、萌歌が元の世界に帰らなかったら、私はもう一人の萌歌と向き合い続けることになる。
 それに加えて、この世界に戻されたもう一人の皐月はいまこの世界にいる萌歌とやっていけるのだろうか。