――場所は、心葉の家。
 先日、彼女の母親がパラレルワールドから帰る方法を話してくれることが決まって、いよいよその当日を迎えた。
 夕方、桐島くんと一緒に家を訪れてリビングへと通される。
 ライトブラウンのテーブルには紅茶と洋菓子が並べられて、その正面に心葉と母親が並んで座った。
 私は気が焦るあまり、つい体が前のめりに。

「おばさんは科学研究所で働いてると聞きましたが、どうしてパラレルワールドのことを知ってるんですか?」

 1分でも早く安心材料が欲しくてどストレートに聞いた。
 ところが、そこには予想外の事態が待ち受けていたなんて……。

「実はその話だけど……」
「はい」
「ごめんなさい。やっぱり話すのをやめたわ」

 おばさんはそう言っていきなり席を立って椅子から離れた。
 当然、私たちは気持ちが置き去りになったまま。

「えっ??」
「ちょ、ちょっと、おばさん!」
「お母さん! 話が違うじゃない。堀内さんたちに話してもいいよって言ったのはお母さんじゃない」

 娘の強い口調が届くと、彼女は一旦足を止める。
 だが、振り向きもせずに答える。

「急に気が変わったの……。じゃあ、部屋に戻るわね。みんなで楽しくお茶しててね」
「ちょっと待ってよ! お母さぁ〜ん……」

 彼女はそそくさとリビングを離れていき、取り残された私たちは口を閉ざした。
 でも、彼女が心変わりしたことには驚かなかった。
 なぜなら、今日まで再三に渡って行く手を阻まれてきたから。

「ごめんね。せっかく来てくれたのに。お母さんはさっきまで話す気でいたのに、急に気が変わってどうしたんだろう」
「今日こそは帰れる方法をゲット出来ると思ったのにな、堀内」
「……」
「……お、おい。堀内?」

 桐島くんは俯いてる私を見て心配そうに顔を覗き込んできた。 

「私一人でおばさんのところに話に行ってもいいかな?」
「も、もちろんいいけど……」
「じゃあ、ちょっと話をしてくるね」
「よろしくな」

 このパラレルワールドに来てから一つ学んだことがあった。
 それは、どんな状況であっても自分の言葉で相手に気持ちを伝えること。
 それがどんなに大事なことかということを、私が大切にしている人たちが教えてくれたから。

 コンコン……。
「おばさん、皐月です」

 コンコン……。
「あのっ、私の話だけでも聞いてくれませんか?」

 無反応な扉は、私との境界線のように感じた。
 でも、彼女は確実にこの部屋にいるから私は呼びかけ続ける。

「私は姉妹になったばかりの妹とこのパラレルワールドにやって来てしまいました。妹はクラス一仲が悪い同級生です。しかも、私の責任で。ここへやってきた瞬間も、一度だって心を通わせた日なんてなかった。生意気だし、なにかと突っかかってくるし、扱いづらいし、文句ばっかり言ってるような妹だけど、先日高熱を出してしまって……。それも、1年に一度ぽっきりの元の世界に帰れる満月の夜のあの日に……」
「……」
「最初はこの世界に置いて帰ろうかと思いました。息が合わないし、彼女自身も帰りたくないって言ってたから。……でも、見離せなかった。なぜなら、傍にいることによって彼女のいいところが伝わってきたから」
「……」
「間違いを教えてくれたのは、彼女の母親……、いえ、私の新しいお母さんだったんです。そこから気付かされました。私は一番近くのものを守っていかなきゃいけないんだと。簡単に見放しちゃいけないんだと。だから、次こそはちゃんと仲直りをして元の世界に帰りたいんです。私が生まれた故郷に。そして、彼女と喧嘩をしてしまったあの場所でもう一度きょうだいとして関係を築いていくために」

 私はこの世界に送り込まれてしまったことに少し感謝していた。
 このようなきっかけがなければ、萌歌と向き合う時間が得られなかったのだから。
 でも、ずっとここへはいられない。
 片親で苦労しながら私を育ててくれた父親と、新しくお母さんになったゆりさんと、妹になったばかりの萌歌と仲良く四人で一緒に暮らしていきたいから……。

 思いが届くかどうかわからないけど、扉に両手を添えたまま祈った。
 この世界の人たちは性格が真逆だから、全てが思い通りにいかない。
 だからこそ、伝えたいことははっきりと明確に伝えていくべきだと思った。
 すると……。

 ガチャ……。
 開かれた扉の向こうからようやく心葉の母親が顔を覗かせた。
 私は一歩うしろに下がって彼女の目を見つめる。

「心葉がね」
「えっ……」
「かわいそうだって思ったの。ついこの前まで友達がいなくて悩んでいたのに、パラレルワールドに帰りたいお友達がいるから帰る方法が知りたいって言ってきたから」
「……」
「あの子を頼ってくれる子がいると知ったときは嬉しかったわ。あなたたちの顔を見たら余計に。だから、帰る方法を教えたくなかったの」
「おばさん……」
「……自分勝手でしょ。でも、それが親ってものなの。娘の気持ちを大事にしてあげたかった。だからあなたたちに意地悪を言ってしまってごめんなさいね……」

 この世界の人たちはみんな冷たい訳じゃない。
 思っていることを言葉にして伝えれば、ちゃんとわかってくれるんだ。
 そう思った瞬間、左目から一粒の雫が頬に伝った。

 私はここへ来てから学ばされたことがたくさんあった。
 最初は帰りたい一心で帰る方法ばかり探していたけど、いまはここへ来て少しずつ成長できたと思っている。

 それから、おばさんは再びリビングに戻って話し合いの場についた。
 
「あなたたちはパラレルワールドに戻る方法を知りたいのよね」
「はい! 私たちからしたら元の世界ですけど」
「うふふっ、そうよね。実はね、とても簡単な方法なのよ」
「えっ」
「あなたたちがここへ来た時に行っていたあることの逆を試してみればいいのよ」
「えっ、それだけ?」
「逆って……。もしかして」
「満月の日の午前0時に、以前と同じ場所で鏡に向かって不満の言葉を口にしたあの時と全く逆のことをすればいいの」

 それを聞いた瞬間、ガチガチに上がっていた肩がスッと降りた。
 先日石井教授に聞いた方法よりもずっと簡単だったから。
 
「つまり……、今度は鏡に向かって満足の言葉を口にしたらいいってことですか?」
「そうよ。たったそれだけのことなのに、私のところへ来た人はみんな遠回りしていった。簡単に来ることが出来ても、簡単に出ていくことがぱっと思い浮かばないくらい窮地に追い込まれていたのかもしれない。だから、最後に伝えるの。『どの世界にいてもあなたが幸せになればいいのよ』ってね」
「おばさん……」

 血眼になってパソコンや書籍で帰る方法を探して、未熟さに気付かされた途端に帰るチャンスを逃してしまって、別の方法が見つからずにもう二度と帰れないんだと思っていたのに、出口は意外にもすぐそこにあった。
 安心してしまったせいか、体中の空気が抜けたような感覚に。

「それって……、グリーンフラッシュじゃなくても大丈夫なんですか?」
「誰が言ったの? そんないっとき流行ったような噂話を」
「えっ、噂話?」
「私たちは専門的に研究してる機関だから噂一つでも試してきたの。もちろん、グリーンフラッシュの件もね。効果がないと証明されてるのに、誤報であればあるほど一人歩きしてしまうのよねぇ」
「えっ!」
「ええぇえっっ?!?!」

 私と桐島くんは目をむいたままお互いを見つめ合った。
 湖へ行ったあの時に帰れると信じ込んでいた分、驚きが半端ない。

「よく考えてみて。月が緑に光ってるだけで帰れると思う? 確かに神秘的だけどね」
「……そ、そうなんですね。その噂話を思いっきり信じてました」
「確かにあの時、石井教授は人から聞いたって」
「ぷっっ!! 結局私が約束の時間に間に合っても帰れなかったんだぁ」
「あははっ!! 確かにな! ピリピリしてたあの時の自分に伝えてやりたいくらいだよ」

 桐島くんがお腹を抱えて笑っていると、心葉は横から水をさした。

「えっ、なになに? 桐島ってピリピリしてたの? 普段はビビリのクセに」
「それはこの世界に存在していたもう一人の俺のことだろ? 本物はビビリじゃねぇし」
「それはどうだか。私は一人の桐島しか知らないからねぇーっっ!」
「言ったな、この野郎〜っ!!」
「あははは……」

 ここへ来てから帰る方法がわからなくて重く受け止めていたけど、実際はそんなに難しいことじゃない。
 だから、この世界へ来た大概の人はこの方法が簡単に思いついてサッと帰っていったのかもしれないね。
 パソコンや書籍でこの情報を探してみても見つからなかったのは、それが要因だったのかな。