今から約3000年前の紀元前10世紀頃、北から南下してきた部族『イタリック』が住み着いた。
 彼らは鉄器を使うほどの優れた文化を持っていたが、紀元前7世紀には忽然(こつぜん)と姿を消した。
 それに代わるように勢力を拡大したのが『エトルリア人』だった。
 彼らは土木や灌漑の優れた技術を持ち、トスカーナを一大農業生産地に変えた。
 その結果、ワインやオリーブオイルなどを広い地域に輸出できるようになった。
 更に、鉱山開発や精錬技術にも長けていたので戦車などの軍備を整えると共に交易のための商船隊とそれを守る海軍を編成するなど、経済力と軍事力を併せ持つ有力な都市国家を築き上げていった。
 しかし彼らの権勢も長くは続かなかった。
 紀元前5世紀頃にローマ帝国に制圧されたのだ。
 その後、紀元前50年頃に植民市として建設された時、ローマ人はこの地をラテン語で花を意味する『フロレンティア』と名づけた。
 それが現在のフィレンツェの起源となった。
 彼らはフィレンツェを通ってティレニア海に注ぐアルノ川を利用した交易によって財を成すと共に、3世紀半ばから広がり始めたキリスト教の司教座が置かれるようになると、経済的にも政治的にも周辺都市に対して優位に立つこととなった。
 その後、ゲルマン民族大移動により彼らの支配下に置かれることになるが、それも長くは続かず、8世紀になると神聖ローマ帝国の領土となった。そしてその支配は19世紀まで続くこととなる。
 そんな中、フィレンツェはトスカーナの首都の地位を得て、1115年にコムーネを宣言した。
 更に、1175年に新市壁が完成して都市の面積が3倍になると、人口25,000人を誇るヨーロッパ有数の大都市となった。
 それによって域内の商工業活動はもとより域外との交易活動は益々盛んになり、その取引はヨーロッパ各地に及んだ。
 特に羊毛を加工した高級品は飛ぶように売れ、莫大な利益を上げるようになった。