「いらっしゃいませ」

 顔一つ分ルチオより背が高かった。
 何やらイタリア語のような言葉でルチオが語りかけると、彼はさかんに頷いていた。

 話が終わると弦に視線を戻し、「跡を継いだアントニオです。ようこそいらっしゃいました。遠慮なさらないでなんでもお好きなものを召し上がってください」とルチオと同じような口調でパンの方に掌を向けた。

「ありがとうございます。でも……」

 どれを選んだらいいのかさっぱりわからなかった。
 余りにも種類が多すぎて目移りしていたのだ。
 しかしそれを遠慮と勘違いしたのか、アントニオが新しいトングに手を伸ばして次々にパンを弦が持つトレイに乗せた。

「これがカプレーゼのパニーノで、これがクアトロフォルマッジ、そしてこれがルッコラとプロシュートのピッツァ。さあどうぞ」

 アントニオが窓側にあるテーブルを指差した。
 イートインコーナーだった。
 言われるままにテーブルにトレイを置くと、ルチオがニコニコしながらカップを両手に持って椅子に座った。
 そして、カプチーノだと言って、大きなカップを弦の前に置いた。
 右手に持つ小さなカップはエスプレッソのようだった。

「どれもおいしいよ」

 早く食べなさいと促すように両手を前に出した。
 頷いた弦は色合いの良さに惹かれてカプレーゼのパニーノに手を伸ばした。
 トマトの赤とモッツァレラチーズの白とバジルの緑が鮮やかだったからだ。
 一口かじると、オリーブオイルとレモンの風味が加わって口の中いっぱいに至福が広がった。

「ボーノ」

 思わず口からイタリア語が出たが、それは日本語発音そのままだった。
 しかしそれでも十分に伝わったようで、ルチオは右手の親指を立てて笑みを浮かべた。

 カプレーゼを食べ終わると、ルッコラとプロシュートのピッツァに手を伸ばした。
 トマトソースの上にルッコラが乗り、その上にプロシュートが覆いかぶさっている。
 誘われるようにがぶっといくと、トマトソースの酸味と甘みにプロシュートの塩味が合わさってなんとも言えないハーモニーが口の中いっぱいに広がった。

「ブォーノ」

 今度はイタリア語らしい発音で言ってみた。
 ルチオはニコニコしていた。

 最後に手にしたのは、ピッツァの生地の上にチーズが溶けているものだった。

「クア……?」

 アントニオの言葉を思い出そうとしたが、最初の二文字しか浮かんでこなかった。

「クアトロフォルマッジ」

 ゆっくり発音したあと、クアトロは数字の4で、フォルマッジはチーズだと説明してくれた。
 モッツァレラ、ゴルゴンゾーラ、ペコリーノ、パルミジャーノの4種類のチーズがトッピングされているのだという。
 一口かじると、パンチの利いた濃厚な味がガツンと押し寄せてきた。
 余りの美味しさに口を開きかけると、「ブオノ」とルチオが先に声を出した。
 悪戯っぽく片目を瞑っていた。
 真似をして「ブオノ」と弦も言った。

 素晴らしい、とでもいうように両手の親指を立てたルチオが、イタリアのパンが置かれている棚に視線をやって弦の方に戻した。

pizza(ピッツァ)の意味を知っているかい?」

 弦は首を横に振った。

「『平らに潰す』という意味のラテン語が語源なんだよ。イタリア語で『引っ張る』という意味もあるがね。それから、focaccia(フォカッチャ)は『火で焼いたもの』という意味だし、ciabatta(チャバッタ)は『スリッパ』という意味だよ。形が似ているから名づけられたんだ。それから」

「父さん」

 なおも説明しようとするルチオをアントニオが(たしな)めた。

「ごめんね。イタリアのパンのことをしゃべり始めたら父は止まらなくなってしまうから」

 しかし嫌ではなかったので大きく首を横に振って、退屈ではないことを伝えた。

「ほ~ら」

 ルチオが顎を上げてアントニオを見上げると、「はい、はい」と退散するように奥に引っ込んだ。