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 11日の昼過ぎに父親はニューヨークを発ったが、弦と一度も食事をすることなく、帰る前の日に電話が一度あっただけだった。
 それも、「見送りに来なくていい」というそっけないものだった。
 その上、「バイトを早く探せ」と言ってガチャンという感じで切られた。
 その瞬間、〈取り付く島もない〉という言葉が頭に浮かんだ。
〈けんもほろろ〉という言葉も浮かんだ。
〈にべもない〉という言葉も湧き出てきた。
 言われた通り、見送りにはいかなかった。

 父親が日本に向けて飛び立った時刻に家を出たが、語学学校には足が向かなかった。
 といってアルバイトを探す気にもならず、なんかどうでもよくなっていた。
 というか、父親の意思に左右される自分が虚しくなっていた。
 勝手にニューヨーク行きを決められ、語学学校に入学させられ、アルバイトを強要され、2月からは仕送りを減らされる、それってなんなんだ、という疑問が沸々と湧き出ていた。

 確かにこの歳でニューヨークを体験できるのは貴重なことだし、刺激を味わっていることも確かだったが、それは自分が選んだ道ではなく、父親が敷いたレールの上を歩いているだけなのだ。
 それに、これから先の道も決まっている。
 帝王学を学ばされて跡継ぎとして鍛えられ、ゆくゆくは二代目社長となって会社を経営することになるのだ。

 あ~、なんて素晴らしい人生なんだろう、

 弦は自嘲気味に呟いた。
 世間からは羨ましい限りだと言われるに違いない。
 文句を言ったら罰が当たると言われるに違いない。
 その通りだった。
 それは十分すぎるほどわかっていた。
 わかってはいたが、納得するわけにはいかなかった。
 そこに自らの意志が入っていないからだ。
 操られているだけだからだ。
 父親の思い通りに動く人形でしかないからだ。

 やってられない、

 弦の呟きがブロードウェイの喧噪(けんそう)に吸い込まれて消えていった。