弦がニューヨークへ来たのは自らの意志ではなかった。
 父親から半ば強制的に送り込まれたのだ。
 高校3年生になった時、「高校を卒業したらニューヨークの語学学校で英語を勉強して、しっかり身に着けたらハーバードを受験しなさい」と言われたのだ。
 弦は面食らった。
 留学することなんて露ほども頭になかった。
 受験するのは上智大学と東京外国語大学の2校と決めていた。
 しかし父親の考えは違っていた。
 将来の跡継ぎとして早くから海外経験を積ませようとしていたのだ。
 頼る人がいない異国の地で誰の力も借りずに自活できる力を付けさせることが最優先だった。
『若い時の苦労は買ってでもせよ』という(ことわざ)があるが、自ら買わなくてもさせるべきだというのが父親の信念だった。