顔が良い妹の方が相応しいと婚約破棄したではありませんか。妹が無能だったなんて私の知ったことではありません。

「少し……取り乱しましたが」

 イルヴァド様は、紅茶を三杯飲んでからやっとのことで冷静さを取り戻していた。
 その表情からは、疲れが読み取れる。陥れようとしているとはいえ、実の兄がしたとんでもないことに色々と思う所があったのかもしれない。

「ルルメリーナ嬢、あなたの見事な手腕によって、我々は強力な武器を手にすることができたという訳ですね。まず感謝します。ありがとうございます」
「え? 別にあなたのためにやった訳ではありませんよぉ」
「……まあ、そうですよね」

 感謝を述べるイルヴァド様を、ルルメリーナは一刀両断した。
 彼女は素直に思ったことを言ったまでではあるだろうが、そこは嘘でも感謝の言葉を受け取っておいて欲しかったものだ。イルヴァド様も、心なしか少し傷ついているような気がする。
 とはいえ、ルルメリーナは彼のことをまだよく知らない。この反応も、仕方ないことだといえるだろう。

「ルルメリーナは私達のためにこれを取って来てくれた訳だけれど、それは私達と協力関係にあるイルヴァド様にとっても、大きな利益ということになるわね」
「そうなんですかぁ?」
「ええ、だからイルヴァド様は感謝したのよ」
「うーん、まあ、悪いものではありませんし、貰えるものは貰っておきまーす」
「……どうも」

 イルヴァド様は、心なしかやりにくそうにしていた。
 もしかして二人の相性は、そんなに良くないのだろうか。いや、まだ知り合ったばかりである訳だし、そうと決めるのは早計だ。単純に、間が悪かったというだけだろう。

「さて問題は、その権利書をどうするかということですね……」
「まあ、これはイルヴァド様に譲渡することにはなるでしょうね」
「しかしもちろん、無償でいただけるという訳でもありません。こちらは交渉する必要がある」
「その辺りは、お兄様や両親の仕事ということになりますね」
「はい。私とお姉様は、お茶でもして待っています」

 お母様やお兄様も、最終的にはイルヴァド様にそれらの権利書は明け渡すだろう。
 しかしそれにあたって、いつくもの条件を付けるはずだ。その条件を、イルヴァド様は飲まざるを得ない。不利な交渉ということになるだろう。
 とはいえ、二人も手心を加えるはずだ。長い目で見れば、イルヴァド様とは手を結んでおいた方がいい。そう考えるはずだろうし。

「さてと、気が重い限りですが、行くしかありませんね」
「私から言うのもおかしな話ではありますが、ご武運をお祈りしておきます」
「お姉様がそう言うなら、私もお祈りしておきます」
「ありがとうございます、お二人の気遣いが身に染みますよ」

 苦笑いを浮かべながら、イルヴァド様は部屋から去って行った。
 彼はこれから、長い話をすることになる。打ちのめされて帰って来た時は、とりあえず慰めてあげよう。そんなことを考えながら、私は彼を見送るのだった。
 ルルメリーナが一度里帰りしたいということで、彼女はウェディバー伯爵家から去っていた。
 ホームシックなのだろう。アデルバは彼女の行動について、そのように軽く捉えていた。
 それはカルメアも同じだった。彼女からしてみれば、鬱陶しいルルメリーナがいなくなったというだけで喜ぶべき事柄であり、それ以外のことはあまり気にならなかったのである。

「事情聴取ですって?」
「ええ」

 そんなウェディバー伯爵家の元に、王都から遣いの男性がやって来た。
 その者は、王家からの遣いである。そんな者が訪ねて来ることは、それ程多いことではないため、アデルバもカルメアも驚いていた。
 しかも、その目的が事情聴取といういささか穏やかではないことであったため、二人はそれなりに動揺していた。何故そのようなことを言われるのか、まったくわからないのだ。

「……失礼ながら、どうしてこのウェディバー伯爵家が事情聴取などというものを受けなければならないのでしょうか? 我々は、何もしていませんよ? 事件にも関わっていません」
「最近、ウェディバー伯爵家の動向がおかしいと国王様は判断されたようです」
「おかしいことなど、何もないと思いますが……」

 アデルバの言葉に、遣いは淡々とした言葉を返してきていた。
 しかしその内容は抽象的であり、アデルバはまだいまいちピンと来ていない。
 一方で、カルメアの方はその表情を強張らせている。彼女には、何かしらの覚えがあるということだ。

「最近、ウェディバー伯爵家は武器を発注しましたね? その武器の発注が、大量だったと聞いています」
「それは……」

 遣いの決定的な言葉に、アデルバは母親の方を見た。
 すると、彼女は鋭い視線を返してきた。それにアデルバは、少し怯んでしまう。

「言っておきますが、あれは単純な発注ミスというものです。桁を一つ間違えるなんて、誰にでもあることでしょう」
「大量であるならばともかく、百と千を間違えることがあるか、国王様はそのように考えていらっしゃるようです」
「あれは……その、婚約者がやったことだ。彼女はここに来たばかりで、色々と慣れていなかった。その緊張からミスをしたのだ。そういうこともあるだろう」

 遣いの言葉に、アデルバは必死に反論した。しかしながら、その反論がそれ程響くものではないということは、彼もわかっている。
 しかし、この段階に至っても、アデルバは問題をそれ程重く捉えていなかった。武器の発注ミスを一度したくらいで、裁かれることなどはあり得ないからだ。
 ただ彼は、先程から母親がしている苦い顔が気になっていた。それはまるで、この状況がとても悪い状況であることを表しているかのようだったからだ。
「……なんとか話もまとまりましたよ」
「それはなんというか、お疲れ様です」

 小一時間程してから、イルヴァド様は私とルルメリーナがいる客室まで戻って来た。
 彼は明らかに憔悴している。恐らく、お母様やお兄様によって打ちのめされたのだろう。
 とはいえ、思っていたよりも彼の顔は明るいような気もする。想定していたよりも、手心が加えられたということなのだろうか。

「……それにしても、すごいですね」
「え? ああ、この甘い物の数々のことですか?」
「ええ、ちょっとしたパーティーのようですね? いつもこんな感じなのですか?」

 そこでイルヴァド様は、テーブルの上の様子について聞いてきた。
 現在そこには、ケーキやクッキーなどといったお菓子が並んでいる。それらがテーブルを埋め尽くしているという状況は、圧巻といえるかもしれない。
 それらは、私とルルメリーナのお茶会のために用意されたものだ。ただ当然のことながら、それらがいつも通りという訳ではない。

「もちろん、今日は特別仕様ですよ。これはいわば、ルルメリーナへのご褒美と言いますか……」
「ご褒美、ですか?」
「ええ、ルルメリーナは甘い物が好きなんです。普段は健康などを考慮して制限されているのですが、今回は作戦を成功させたということでお母様が大盤振る舞いしてくれたのです。ルルメリーナ自身は、お菓子をたくさん食べたいとお願いしたようですが……」
「なるほど……」

 私達の会話に耳を傾けることもなく、ルルメリーナはお菓子を次々と口に運んでいる。
 幸せそうなその表情には、私も思わず笑ってしまう。
 しかし実際の所、一つの伯爵家を追い詰めたご褒美として考えると、これは軽いとさえいえる。もう少しすごいお願いをしても、叶えてくれたと思うのだが。

「ということは、リフェリナ嬢はこれらに手が付けられないのですか?」
「いえ、ルルメリーナはそんな器が小さい子ではありませんから、私もいただきましたよ。でも、途中から胸焼けがして……別に甘い物が特別好きという訳ではないので」
「……まあ、それはそうですよね。僕なんて見ているだけで胸焼けしそうです」
「まあでも、イルヴァド様もどうぞ。ルルメリーナから許可はもらっていますから、好きなものを食べてください」
「……それならお言葉に甘えて、ショートケーキを一ついただきます」

 私の言葉を受けて、イルヴァド様はショートケーキを食べ始めた。
 結局彼が食べたのは、それだけだった。後は全て、ルルメリーナが平らげたのである。
 アデルバとカルメアの二人は、王家からの遣いと対峙していた。
 王家が自分達に抱いている懸念は、絶対に解消しておかなければならないものだ。
 当然のことながら、王家と敵対していいことなど何もない。この国の最高権力者とは、仲良くしておくのが基本である。

「……それで国王様は、我々に対してどのような疑念を抱いているのですか?」

 武器の大量発注について指摘されたアデルバは、少し怒気を孕んだ言葉を発していた。
 それに対して、遣いは特に表情を変えていない。そういったことは、慣れているということだろう。はたまた、自分が害されることがないとわかっているのかもしれない。
 実際の所、アデルバやカルメアには彼を害することはできないことである。そんなことをすると、それこそ王家と対立することになるからだ。

「もちろん、謀反の疑いです」
「謀反なんて……そんな馬鹿げたことを考える訳がないでしょう」
「しかし、武器の大量発注とは穏やかではありませんからね。考慮するべき事柄ではあるでしょう」
「失礼ですが、それは短絡的な考えというものです。たった一つのミスでそのように疑われてしまったら、こちらとしても困ってしまいます」

 アデルバは、遣いに対して焦ったように言葉を発した。
 王家とことを構えるつもりなど毛頭ない彼にとって、謀反の行いなどという疑いはどうやってでも振り払いたいものだったのだ。

「もちろん、国王様も一つのミスで疑っている訳ではありません。様々なことを考慮した上で判断したのです。今回私がこちらに来たのも、それらの確認のためですから、どうか落ち着いてください」
「そ、それは……わかりました。しかし、ミスが一度ではないとはどういうことですか?」
「最近のウェディバー伯爵家では、書類上のミスが多発しています。一つ一つは軽微にミスではありますが、そこには何かしらの意図を感じざるを得ません」
「ミスですって?」

 遣いから見せられた資料の数々に、アデルバは驚愕することになった。
 そこには確かに、ウェディバー伯爵家のミスの数々が記されている。ただそれらは、アデルバにとって見覚えがないものだった。
 故にアデルバは、それらがルルメリーナに任せていたものだと気付いた。彼はいくつかの書類を彼女に一任していたのである。

「これは婚約者が……」
「……もちろん、あなたの婚約者が新環境に慣れていなかったということは考慮するに値するとは思います。しかし、そもそもの話ではありますが、そういった書類はご当主も確認するべきなのではありませんか?」
「そ、それは……」
「これがミスであるというなら、少なくともそれで防げたはずです。どちらにしても、ウェディバー伯爵家に対する評価は下げざるを得ません」

 アデルバの言葉に、遣いはゆっくりと首を横に振った。
 それに対して、アデルバとカルメアはその表情を歪めるのだった。
 ルルメリーナとともに、ノルードとネセリアの二人もラスタリア伯爵家に戻って来ていた。
 二人は、ウェディバー伯爵家で妹を支えたりしてくれた功労者である。よって二人に対しても、大いに労わなければならない。

「いえ、ネセリアはともかく、自分は失敗ばかりでした。ルルメリーナ様を、きちんと支えられていたかは微妙な所です」
「そんなことはないよぉ? ノルードは、きちんと私のことをフォローしてくれていたし」
「しかし、余計なことをしたことも事実です。もちろん、結果的にそれが権利書などの件に繋がった訳ではありますが、それは結果論でしかありません」

 ノルードの方は、少し落ち込んでいるようだった。
 私からの労いの言葉を、彼は受け取ろうとしていない。何やら反省しているらしく、ずっと苦い顔をしている。

 どうやら何かしらの失敗があったようだが、それは別にそんなに気にするべきことなのだろうか。
 私としては、結果的に上手くいったのなら良いと思える。完璧にこなすということは難しいことである訳だし、致命的なミスでなかったのなら、特に問題はないだろう。

「まあ、ノルードさんはルルメリーナ嬢にずっとついていた。つまりは、あの母上や兄上の相手をしなければならなかったということですからね。あの二人は曲者ですから、仕方ない面もあると思いますよ。何やら訳がわからないことで、機嫌を損ねることもありますし」
「あ、そうそう。イルヴァド様の言う通り。アデルバ様もカルメア様も些細なことで怒るし、それはノルードのせいとかではないと思う」

 ノルードに対するイルヴァド様からのフォローの言葉に、ルルメリーナは乗っかった。
 イルヴァド様の発言は、身内だからこそ許されるものであると思うのだが、ルルメリーナにはそのような気遣いなどはわからないのだろう。
 とはいえ、イルヴァド様も特に表情は変えていないし、その発言にも問題はなさそうだ。それならノルードを立ち直らせるためにも、必要なものだったといえるだろうか。

「えっと、ネセリアの方はどうだったのかしら?」
「ええ、私の方は色々と調べさせてもらいました。様々な事柄に関する物証や、ウェディバー伯爵家の使用人達からの証言など、色々と得られるものはありました」
「流石ね」

 ネセリアの方は、色々と物証などを集められたようだ。それはきっと、既にお母様やお兄様に提出されているのだろう。
 ルルメリーナがもたらしたものが決定的過ぎるため、それらが必要かどうかは微妙な所だが、今回の戦いで有利に働くことは間違いないだろう。
 なんというか、盤石過ぎて怖いくらいだ。ウェディバー伯爵家――より正確にはカルメア様とアデルバ様の二人を、とことん追い詰めることができそうである。
 アデルバは、父親が生前に懇意にしていたドナール侯爵の元を訪れていた。
 困った時には、彼のことを訪ねると良い。それは父親が残してくれた言葉の一つだった。
 王家からの疑い、それはウェディバー伯爵家の立場を悪くしている。その状況を打開するために、アデルバは侯爵家を訪問したのである。

「アデルバ、申し訳ないが、お前に協力するつもりはない」
「な、なんですって?」

 しかしドナール侯爵は、訪問を快く受け入れたものの、厳しい言葉を返してきた。
 頼みの綱であった侯爵からの思ってもいなかった言葉に、アデルバはひどく動揺していた。
 自分が何か無礼を働いたのだろうか。彼の頭には、そのような思考が過っていた。

「ドナール侯爵、僕が何かご無礼をしたでしょうか? 恥ずかしながら、特に覚えがないのですが……」
「お前自身に問題があるという訳ではない。問題があるとするならば……いや、これも問題とは言い難いことではあるが、ルルメリーナ嬢のことだ」
「ルルメリーナのこと?」

 ドナール侯爵の言葉に、アデルバは固まっていた。
 まさか婚約者の名前が出て来るとは思っていなかったからだ。

「ルルメリーナが、何をしたのですか?」
「何をしたということもでないが、娘の婚約者が彼女に惚れ込んでね。それで縁談が破談となったのだ。つい最近の話だ」
「破談……」
「もちろん、それは惚れ込んだ者に原因がある。勝手に惚れられたルルメリーナ嬢に非があるとは私も思っていない。ただ、今お前を助けるのはどうにも体裁が悪い。端的に言ってしまえば、そんなことをすると舐められる」

 ドナール侯爵の考えは、アデルバにも理解することはできた。
 自分を助けると、結果的にルルメリーナを助けることになる。それは婚約者を取られた上で、その原因となった令嬢を助けるということだ。
 ドナール侯爵としては、それは避けたいことなのだ。それはドナール侯爵家としての、プライドの問題なのだろう。

「せめて当初の予定通り、リフェリナ嬢と婚約していたなら話は別だったのだがな……」
「……それは、どういうことですか?」
「ルルメリーナ嬢は、確かに人気がある令嬢だ。対外的なことを考えて、婚約者にしたいと思う気持ちはわからない訳ではない。しかしそれは、短絡的な考えだったといえるだろう。彼女には敵も多いからな。我々のような縁談を破棄された者などがそうだ」

 アデルバは目を見開いて驚いていた。
 対外的な面において、ルルメリーナの存在は有利に働くとばかり、彼は思っていたからだ。
 しかし実情はそうではなかった。そのことにアデルバは、言葉が出て来なくなっていた。
 ルルメリーナは、現在里帰りしているということになっている。
 ただ実の所、彼女はウェディバー伯爵家にある置き手紙を残している。それはアデルバ様との婚約を破棄するという旨の手紙だ。

「もっとも、手紙はウェディバー伯爵家に握りつぶされる可能性があるからな。父上が今、正式な文書を取りまとめている所だ。それで、ことは確実になるだろう」
「なるほど、それでやっと一安心ということでしょうか?」
「ああ、まあ、諸々の権利がこちらにある以上、ウェディバー伯爵家側がどう足掻いたとしても、無駄なことではあるのだがな……」

 お兄様は、苦笑いを浮かべていた。
 それは恐らく、ルルメリーナに権利書を渡したアデルバ様に対して、呆れているからだろう。
 その決定的な切り札がこちらにあるということは、勝負はもう終わっているということだ。あまりにも簡単な戦い過ぎて、お兄様もそんなに気は乗っていないのかもしれない。

「お母様は、こうなることをわかっていたのでしょうか?」
「さて、それはどうだろうな。あの母上でも、アデルバがここまで馬鹿な奴だとは思っていなかったかもしれないが……」
「でも、妙に自信がありそうでしたからね」
「まあ、ルルメリーナによって破滅した男が何人もいるのも事実だ。それらから今回のことを推測することはできたのかもしれない」

 今回の計画は、お母様が発案したものだ。
 ルルメリーナには、基本的にはいつも通りにしていればいいと、言っていたようである。
 ただチャンスがあったら、あちらにとって最も大切なものを譲り受ける約束を取り付けて欲しい。お母様は、ルルメリーナにそうお願いしていたそうだ。

「確かに、領地の権利などはアデルバ様にとって大切なものではあるのでしょうけれど……」
「ルルメリーナの信用を得るためには、それしかないと思ったのだろうな。そういった意味では、律儀な奴だといえる」
「考えようによっては、男らしいといえば男らしいですか……まあ、騙されているということに気付いていない時点で、儚い恋心だといえるのかもしれませんが」

 私はアデルバ様に、粘っこいという印象を抱いていた。
 そんな彼が気前良く権利書に関する契約をしたことには、やはり驚きである。それだけルルメリーナに入れ込んでいたということなのだろうが。
 しかしアデルバ様は、ルルメリーナのある一点を完璧に見誤っていた。基本的に家族思いである彼女は、私を侮辱した彼のことは絶対に受け入れはしないのである。
「……アデルバ」
「母上? どうかされたのですか?」

 ドナール侯爵の元から失意のままに帰って来たアデルバは、出迎えてくれた母親の表情に少し面食らっていた。
 目の前のカルメアは眉をひそめて、アデルバのことを睨みつけている。その厳しい視線からは、確かな怒りが読み取れる。
 しかし、ドナール侯爵とのことはまだ報告していないため、アデルバは彼女が何について怒っているかわかっていなかった。彼からしてみれば、まったく見当がつかないのである。

「これを見なさい」
「これは手紙、ですか?」
「あの女が残した手紙です」
「ルルメリーナが、ですか……これは!」

 母親から渡された手紙を見ながら、アデルバは固まることになった。
 それは、婚約者であるルルメリーナからの手紙だ。その手紙には、アデルバとの婚約を破棄するという旨が記されている。

「んなっ……」
「あの女は、どこまでも自分勝手な女のようね。あなたも見る目がない……」

 最愛のルルメリーナからの突然の婚約破棄に、アデルバは目を丸めていた。
 それを見ながら、彼は思い出す。自分がルルメリーナに、何を渡したのかということを。

「アデルバ? どうかしたのかしら?」
「あ、あの女、まさか最初からそのつもりで……」
「アデルバ、私の質問に答えなさい。あなたは一体、何をしたの?」

 ルルメリーナにベタ惚れしていたアデルバでも、流石に彼女に踊らされていたというは、理解することができた。
 どこまでが計画の内だったのかは定かではないが、少なくとも自分から権利書を奪い取ることは、目的の一つだったとアデルバは理解する。

「アデルバ、何度言ったらわかるのかしら? 私の質問に答えない」
「母上……僕は、何もしていません。何もしていませんとも」

 母親からの追及に、アデルバはゆっくりと首を横に振った。
 彼は犯した過ちを、母親に打ち明けることなどできなかった。そんなことをしたら、どれだけの怒りを向けられるか、わかっていたからだ。

 しかしその判断は、状況を先送りにしているだけである。何れはわかることだ。
 だが、それでもアデルバの口からは何も出なかった。それをカルメアは、訝し気に見つめている。

「……とにかく、今回の件についてはラスタリア伯爵家に抗議します」
「こ、抗議、ですか?」
「あの無能な女を婚約者として渡してきたのですから、その補填をしてもらわなければなりません。婚約破棄までしたのですから、義はこちらにあります」
「そ、それは……」

 カルメアは、アデルバが婚約破棄されて落ち込んだなどと判断したようだった。
 彼女は彼女の方で、話を進めている。ただそれらの言葉は、アデルバの耳に入ってこなかった。彼の頭の中は、自分が犯したミスに関することでいっぱいだったのだ。
「ウェディバー伯爵家から抗議の手紙が届いたよ。ルルメリーナを婚約者として送ってきたこと、それからルルメリーナが婚約破棄したこと、その補填を望んでいるらしい」

 私は、お父様から受け取った手紙に目を通した。
 そこには、不快な言葉の数々が記されている。これはきっと、カルメア様が書いたものだろう。文面から私はそれを感じ取っていた。

「ルルメリーナが無能だったせいで、国王から疑いをかけられた。ラスタリア伯爵家の教育がどうなっているのか、何故そんな者を婚約者として送って来たのか……まったく、ひどい話ですね。そもそもの話、あちらがルルメリーナとの婚約を望んだというのに」
「そうだね。これには流石の僕も思う所があるよ」

 お父様は、少し怒っているようだった。
 優しく柔和なお父様が怒るなんて、なんとも珍しいことである。
 ただそれでも、口調はいつもとほとんど変わらない。恐らく家族以外にその変化はわからないだろう。そういったポーカーフェイスは、お父様のすごい所だ。

「しかしどうやら、ウェディバー伯爵家――というよりもカルメアは、権利書がこちらにあるということについてわかっていないようだね?」
「……そういえばそうですね。やけに強気といいますか」
「なるほど、どうやらあちらの家では報連相ができていないらしいわね」

 お父様の言葉に対して、お母様は笑顔を浮かべていた。
 その笑みは楽しそうな笑みだ。基本的には優しいが、お母様はどちらかというとサディストである。そのため、ウェディバー伯爵家を追い詰められることが楽しみなのだろう。
 それに対して、お父様は苦笑いを浮かべている。いくら侮辱されても、相手を陥れることは楽しいことではない。お父様は大方、そういう見解なのだろう。

「まあ、こんな要求は突っぱねてしまえばいいものよ。というよりも、あちらが婚約破棄のことを認めているなら話も早いじゃない。これであの二人をいくら追い詰めても、こちらが被害を受けることはないのだから」
「まあ、イルヴァドのことがある訳だから、必要以上に追い詰めることはしないけれどね」
「二人が再起できないように追い詰めるのだから、それ以上のことはないのではないかしら?」
「ウェディバー伯爵家を完全に潰すという訳ではないということだよ」

 お母様とお父様は、これからのことを話し始めた。
 私達の目的は、アデルバ様とカルメア様の排除だ。あの二人とルルメリーナの繋がりが切れた今、私達に最早躊躇う理由はない。
 こちらには切り札があるため、障害は恐らくないに等しいだろう。私はゆっくりとため息をつき、ことの終わりを感じるのだった。