あれはいつ頃だっただろうか。
あまりにも頭が朦朧としていて、正直覚えていない。でもマフラーをつけていたから、きっと冬なんだろう。
私たちが住む街は田舎だ。冬は勿論のこと、雪が積もる。街全体が、銀景色になるのだ。
その白く染まった景色が、赤く染まるなんてことがあってはいいのだろうか。
悴む手を口元に持っていき、息で温めていた時だった。
暮名くんと別れて、まだ頬が高揚していた。
あの笑顔を思い出して口角が自然と緩んでいた。
そして帰路につくため、横断歩道へと向かった。信号が青なのを確認して、私は足を踏み出す。
「玲…!」
愛しい声だった。
けれどその声は強張っている。声の方を振り向くと先程別れたばかりの暮名くんが走っている。
その顔は緊迫しているようで、口を大きく開けて眉が吊り上がっている。
その視線の先を見ると、暴走しているように横断歩道へ一直線へ向かってきているトラックが見えた。
あ、ぶつかる。
そう思った瞬間。全てがスローモーションに見えた。いつもは少し冷たい手の中に包まれる感覚。暮名くんと出会って人生が変わった瞬間。
これが、走馬灯とでも言うのだろうか。
覚悟して目を強く瞑った時だった。
ドン
という鈍い音が轟く。けれど、何故か何処にも痛みを感じない。
嫌な予感がした。
恐る恐る目を開けてみると、トラックは進行方向がずれたようで歩道のレールにぶつかっていた。
そして、目の前には、そう。血を流して地面にひれ伏す暮名くんがいた。大きな体は横断歩道一面に広がり、白線がみるみるうちに赤く染め上げられる。
「…え?」
驚き、というものなんかじゃなかった。
この時の気落ちを、何と表現すればいいのだろう。ただ何も考えられなかった。
一抹の希望が何者かに掬い上げられるように、目の前が真っ暗になった。
あまりにも静かで、自分の心音しか聞こえない。
何が起きているのか、分からない。
けれどそんな頭の片隅で、暮名くんが私を庇ってトラックに轢かれた、という事実だけが鈍器となって刺さっていく。
「おい!誰か救急車を!」
張り詰めた声で通行人が叫ぶ。
高校生が轢かれたという事実は大きさを増して、みるみるうちに野次馬が増えていく。
「く、く、暮名、くん…?」
私はぐったりと血を流している暮名くんを前に情けない言葉しか出てこない。辺りは雪が降りしきっているのに、私の脈は熱く熱く全身を駆け巡っている。
何も出来ない自分が憎い。救急車を呼んだり、意識が戻らなくても声をかけることだって出来たのに。
言葉を織って紡ぐことが出来ない。
その後、高いサイレンを鳴らしながら来た救急隊員に暮名くんは運ばれていった。
ただ呆然とその場を見つめていた。
「大丈夫ですか?」
今にも泡を吹いてしまうほどの顔面蒼白だったのだろう。1人の救急隊員が私を労うように顔をのぞく。その顔はやはり暮名くんじゃない。愛おしそうな目で私の顔を見る暮名くんじゃない。
その時、ようやく現実味を増した。
「暮名くんを、助けてくださいっ。お願いしますっ。全部全部私のせいなんです。私が注視していなかったから。私を庇ってこんな事に。
お願いします。助けてください。」
強く訴えるでもなく、ただ小さく蚊の鳴くような声で捲し立てる。側から見たらおかしな人だっただろう。精神が異常だと。
その言葉を言ってしまうと、どうしても現実なんだと感じてしまう。
暮名くんは私を庇ったのだ。
死んでしまったらどうしよう。
そうなれば、私は人殺しだ。
私の救世主をこの手で。
大好きな大好きな暮名くんを失うなんて、私はどう生きればいいのか分からない。暮名くんに謝っても、もう取り返しがつかない。
ゲームみたいに一からやり直せるほど甘くない。
「全力を尽くします。」
助けられる、と断言はしなかった。けれどふわりと笑う笑顔に安心したのは事実。
そこからはほとんど記憶にない。
何故か私も救急車に乗って同行した。
血が溢れて、顔が蒼白くなっていくその様子をずっと見つめていたように思う。
後から聞いた話だが、暮名くんは頭を強く打っていて、命の危険が迫っていた。数日間はいつでも急変してもいいよう、特別な部屋で治療していた。
病院で暮名くんの処置が行われている際、暮名くんのご両親が到着した。
お母さんは息子の事故に気が動転しているようで、今にも叫び出しそうに泣いていた。
お父さんはそんなお母さんを慰めるように、背中をさする。
けれど反対の手は強く強く握っていたようで、痛々しく爪の跡がついていた。
「私が見ていなかったせいです。私を庇って暮名くんは事故に遭ってしまいました。本当にごめんなさい。」
いくら頭を下げたって、あの笑顔が再び見れる保証はない。
「貴方のせいではない、咲口さん。貴方と出会ってから翔は明るくなって、私たち家族とも円満にいくようになった。だから謝らないで欲しい。これは翔自身が選択した出来事だ。そんなに自分を責めていたら翔も浮かばれない。」
息子の命が危険。
恋人でもこんなにも辛いのに、息子だとその悲しみは比較できないほどだろう。なのに、お父さんは私なんかを気遣ってくれていた。
素敵な人だった。
その瞬間、抑えていた涙が頬を伝う。
私は暮名くんのお母さんと一緒に、涙が枯れるまで泣いていた。色んな感情が織り混じって、涙が枯れるのには時間を要す。
私の線香花火が枯れた瞬間だった。
あまりにも頭が朦朧としていて、正直覚えていない。でもマフラーをつけていたから、きっと冬なんだろう。
私たちが住む街は田舎だ。冬は勿論のこと、雪が積もる。街全体が、銀景色になるのだ。
その白く染まった景色が、赤く染まるなんてことがあってはいいのだろうか。
悴む手を口元に持っていき、息で温めていた時だった。
暮名くんと別れて、まだ頬が高揚していた。
あの笑顔を思い出して口角が自然と緩んでいた。
そして帰路につくため、横断歩道へと向かった。信号が青なのを確認して、私は足を踏み出す。
「玲…!」
愛しい声だった。
けれどその声は強張っている。声の方を振り向くと先程別れたばかりの暮名くんが走っている。
その顔は緊迫しているようで、口を大きく開けて眉が吊り上がっている。
その視線の先を見ると、暴走しているように横断歩道へ一直線へ向かってきているトラックが見えた。
あ、ぶつかる。
そう思った瞬間。全てがスローモーションに見えた。いつもは少し冷たい手の中に包まれる感覚。暮名くんと出会って人生が変わった瞬間。
これが、走馬灯とでも言うのだろうか。
覚悟して目を強く瞑った時だった。
ドン
という鈍い音が轟く。けれど、何故か何処にも痛みを感じない。
嫌な予感がした。
恐る恐る目を開けてみると、トラックは進行方向がずれたようで歩道のレールにぶつかっていた。
そして、目の前には、そう。血を流して地面にひれ伏す暮名くんがいた。大きな体は横断歩道一面に広がり、白線がみるみるうちに赤く染め上げられる。
「…え?」
驚き、というものなんかじゃなかった。
この時の気落ちを、何と表現すればいいのだろう。ただ何も考えられなかった。
一抹の希望が何者かに掬い上げられるように、目の前が真っ暗になった。
あまりにも静かで、自分の心音しか聞こえない。
何が起きているのか、分からない。
けれどそんな頭の片隅で、暮名くんが私を庇ってトラックに轢かれた、という事実だけが鈍器となって刺さっていく。
「おい!誰か救急車を!」
張り詰めた声で通行人が叫ぶ。
高校生が轢かれたという事実は大きさを増して、みるみるうちに野次馬が増えていく。
「く、く、暮名、くん…?」
私はぐったりと血を流している暮名くんを前に情けない言葉しか出てこない。辺りは雪が降りしきっているのに、私の脈は熱く熱く全身を駆け巡っている。
何も出来ない自分が憎い。救急車を呼んだり、意識が戻らなくても声をかけることだって出来たのに。
言葉を織って紡ぐことが出来ない。
その後、高いサイレンを鳴らしながら来た救急隊員に暮名くんは運ばれていった。
ただ呆然とその場を見つめていた。
「大丈夫ですか?」
今にも泡を吹いてしまうほどの顔面蒼白だったのだろう。1人の救急隊員が私を労うように顔をのぞく。その顔はやはり暮名くんじゃない。愛おしそうな目で私の顔を見る暮名くんじゃない。
その時、ようやく現実味を増した。
「暮名くんを、助けてくださいっ。お願いしますっ。全部全部私のせいなんです。私が注視していなかったから。私を庇ってこんな事に。
お願いします。助けてください。」
強く訴えるでもなく、ただ小さく蚊の鳴くような声で捲し立てる。側から見たらおかしな人だっただろう。精神が異常だと。
その言葉を言ってしまうと、どうしても現実なんだと感じてしまう。
暮名くんは私を庇ったのだ。
死んでしまったらどうしよう。
そうなれば、私は人殺しだ。
私の救世主をこの手で。
大好きな大好きな暮名くんを失うなんて、私はどう生きればいいのか分からない。暮名くんに謝っても、もう取り返しがつかない。
ゲームみたいに一からやり直せるほど甘くない。
「全力を尽くします。」
助けられる、と断言はしなかった。けれどふわりと笑う笑顔に安心したのは事実。
そこからはほとんど記憶にない。
何故か私も救急車に乗って同行した。
血が溢れて、顔が蒼白くなっていくその様子をずっと見つめていたように思う。
後から聞いた話だが、暮名くんは頭を強く打っていて、命の危険が迫っていた。数日間はいつでも急変してもいいよう、特別な部屋で治療していた。
病院で暮名くんの処置が行われている際、暮名くんのご両親が到着した。
お母さんは息子の事故に気が動転しているようで、今にも叫び出しそうに泣いていた。
お父さんはそんなお母さんを慰めるように、背中をさする。
けれど反対の手は強く強く握っていたようで、痛々しく爪の跡がついていた。
「私が見ていなかったせいです。私を庇って暮名くんは事故に遭ってしまいました。本当にごめんなさい。」
いくら頭を下げたって、あの笑顔が再び見れる保証はない。
「貴方のせいではない、咲口さん。貴方と出会ってから翔は明るくなって、私たち家族とも円満にいくようになった。だから謝らないで欲しい。これは翔自身が選択した出来事だ。そんなに自分を責めていたら翔も浮かばれない。」
息子の命が危険。
恋人でもこんなにも辛いのに、息子だとその悲しみは比較できないほどだろう。なのに、お父さんは私なんかを気遣ってくれていた。
素敵な人だった。
その瞬間、抑えていた涙が頬を伝う。
私は暮名くんのお母さんと一緒に、涙が枯れるまで泣いていた。色んな感情が織り混じって、涙が枯れるのには時間を要す。
私の線香花火が枯れた瞬間だった。