あれから私たちは、放課後に出かけることもした。
私の憧れを、暮名くんは一緒にやってくれた。暮名くんと出会ってから、初めての事をどれくらい一緒にしただろう。
私のあの辛くて、寂しい幼少期は、この時間を暮名くんと過ごすためにあったのかもしれないと思うほどだった。
大好きだったのに、その好きが止まらなくなった。
胸が高鳴って、手が熱く痺れて、足の力が入らなくなって。

呼び方も、玲に変わった。
その名前が大嫌いだったのに、暮名くんに呼ばれると、耳がくすぐったかった。そんな暮名くんは、まさに、王子様という愛称が世界一似合っていたのでは、と今なら思う。

「玲、好きだよ。」

そんな言葉を、毎日のように投げかけてくれるのだ。そして強く抱きしめる。

「私も、暮名くんが大好き。」

そう返答すると、暮名くんは決まって頬を赤く染める。傷のない耳たぶでさえも、赤く染まる。

「ほんと、その顔、他の男の前ではしないで。俺が狂っちゃう。」

私より一枚上手なその言葉に、何度赤面させられたことか。憎しみの感情しか抱いたことのない、私がだ。
その度に、私を愛おしそうに見つめる。
その時間が何より、私の宝物だった。

けれど、一番心臓が壊れてしまうんじゃないかと思ったのは、花火大会だ。
暮名くんのお父さんが作った花火が上がる、光蘭祭り。
毎年欠かさず行っているお祭り。いつもは、決まって一人なのに、去年の光蘭祭りは、二人だった。
かき氷だって、頼んだ。
かき氷一つに、スプーンが二つ。
その前は、かき氷一つにスプーンが一つだけだった。そのカップが誰かの手のひらの上を行き交うこともなく、私の体温で溶かされていた。

けれど、去年頼んだかき氷は、私と暮名くんの手のひらを行き交っていた。お互いにカップを取り合いながら、その溶け具合がおかしくて笑ってしまった。
半分も残っているのに、すっかりジュースと化してしまったその液体に。

なのに、かき氷を食べる時間は、その前年の二倍遅かった。一人で黙々と口に突っ込むよりも、二人で分け合うと、時間が遅くなるんだと、その時初めて知った。
かき氷を食べ終わると、私たちは花火がよく見える穴場へと行った。
私はこのお祭りの常連だ。
穴場くらいいくらでも知っている。
けれど、そうやって張り切る私を、暮名くんはどんな表情で見ていたのだろうか。

きっと、笑っていたんでしょうね。
貴方の体に埋まっている心臓を抑えることもなく。

その時、暮名くんは私にお面を買っていた。
理由を問うと、

「玲の可愛い顔、他の誰にも見せたくない。」

だそうだ。
そんなことを簡単に言ってのけると、私が赤面してしまうことだって知っているのに。なんだか私は暮名くんにやられっぱなしが悔しくなった。
お面で顔を隠されると、何でも出来る気がした。

「そういう暮名くんの嫉妬しやすい所、好き。」

とまだ熱気が残るその背中に抱きついた。私の心臓の鼓動はこの上なく、早く動いていたと思う。
どんなに暮名くんに、私の存在を認められても、愛情表現をして嫌悪感を覚えさせてしまうかもしれない。そんな一抹の不安が、胸の奥でしこりとなって残っていた。だから自分からその大きな体を抱きしめに行ったことはないだろう。
その日が初めてだった。
反応を探るため表情を覗いてみると、その顔は私でも見たことがないくらい赤い。
私まで赤くなってしまいそう。

「〜っ、」

下唇を噛んでいる。
暮名くんの胸に頬を擦り合わせていると、その心音が聞こえてくる。あまりにも大きく、強い鼓動に、少し笑みが溢れる。

「へへっ。びっくりした?」

このままいたら私まで、おかしくなってしまいそう。
そう思って暮名くんの大きな背中から手を離す。

「全部玲が悪いんだからな。俺を煽ったりするから。我慢してたのに。」

頭上からそんな声が降ってきた。

…へ?何のこと?

と思案を巡らせていた時のこと。
暮名くんの細くて、長くて、白くて、なのに男らしい指がこちらに近づいてくる。そしてそのまま、私の顎に触れた。
それが気持ちよくて、頭が朦朧とする。
そして私の顔に密着するお面をゆっくりと剥がし取る。
気がついたら、暮名くんの一寸の乱れもない、崇高なお顔が目の前にあった。

「…んっ」

薄い唇が近づいたと思うと、その唇が私のそれと重なった。
柔らかくて、ほんのり甘くて、だけど脆く、一瞬で溶けてしまいそうな感覚。

「ん…暮名、く…」

唇と唇の間には、一ミリの隙間もなくて、私は次第に息が出来なくなる。思わず、暮名くんの胸を精一杯押すが、暮名くんは私の背中に回す手の力を強めた。
何度も何度も方向を変えて、味わうように唇を重ねる。
その溶けてしまいそうな気持ちよさに、私は足に力が入らなくなった。
どれほど唇を重ねていたのだろうか。屋台の方向から、花火のカウントダウンを告げる掛け声が聞こえてきた。
そしてようやく、暮名くんの唇が離れていく。 

「ぷはっ」

思い切り息を吸う。ようやく離した唇は、驚くほどに熱くなっていた。
暮名くんも息を吸っている。
その目は、とろんと溶けているようで、ドキッとしてしまうような色っぽさが滲み出している。
私は暮名くんを睨む。

ファーストキスだった…
不意打ちで、心の準備も出来なかった。

でも、正直気持ちが良かった。気が遠くなってしまうほど。

「ごちそーさま」

暮名くんはおどけるように唇を舐めながら笑う。その仕草が更に私の鼓動を早くさせる。
その瞬間、夜空に巨大な花が咲いた。

ドーンドドン

闇を切り裂くような音と共に一面の花が彩っていく。二人の顔を眩い光が照らす。

「わあ…!」

思わず声が漏れてしまう。
なんて言ったって、私は花火が大好きなのだ。小さい頃から、花火が上がる夏だけが私の心の拠り所だった。
何回も形を変えて、轟く光に私は釘付けになる。

「すごいね、暮名くん。」

頬を高揚させながら、私は暮名くんを向いた。同じく花火を見上げ、輝く光に照らされた横顔は少し寂しそうでもあった。

「うん、本当にすごい。」

そう呟いた。
この花火は、花火職人である暮名くんのお父さんが作っているものだ。それを聞いた途端私はただ単に凄いと思った。
そして、そんな近くに花火があるなんて、羨望の眼差しで聞いたいたと思う。
けれど、暮名くんはそうではなかった。暮名くんは花火に執着するお父さんがいたから、花火は好きではなかったらしい。
お父さんの花火も見たことがない、と。
今日の花火大会だって、暮名くんの中には葛藤があっただろう。
今、その目でお父さんの花火を見て、どんな気持ちでいるのだろう。
きっと、私には分からないほどの苦しみを味わっていたんだ。
私はそっと、左側にある暮名くんの右手の指を絡め取った。自分から繋ぐなんて、少し体が痒くなってしまう。細い指は、真夏の夜に似合わないほど冷たかった。

「俺さ、」

暮名くんは握った手を更に強く握り返す。その冷たい手が私の手の体温に染まっていく。

「本当に花火とか嫌いだったんだよ。何であんなもんを命懸けで作ってるんだろうって。失敗とかしたら、がっかりされるしさ。家族を蔑ろにしてまで、花火職人を続ける意図がずっと、分からなかった。絶対に継ぎたくもない。」
「…うん。」
「でも、今はそんなこと思わない。玲の嬉しそうな横顔を見て、それまで自分の中にあった悪魔みたいな感情が消えたんだよ。」


再び暮名くんの顔をみると、本当に吹っ切れたかのような、眩しい笑顔がそこにはあった。
憑き物が取れたように寂しさの色は少しもない。
きっと、暮名くんの中で何かが変わったのだろう。
私が暮名くんに出会って、全てが変わったように。
自分の親を嫌うって、どんなに辛いことか私は理解しているつもりだ。
他の幸せそうな親子を見て羨ましいと感じてしまう気持ち。けれど、それでも上手くいかず自己制御出来ないほどに離れてしまう心。
そんな気持ちが少しでも晴らせるのなら、世界は変わってゆく。
線香花火が再び、闇を縫って光を咲かすように。

「私はね、」

この理由だけは、絶対に言いたくなかったこと。自分の醜さを愛しい人に曝け出すなんて、怖いに決まっている。
けれど、暮名くんは私に全てを伝えてくれたのだ。
怖気そうになる心を叱咤する。

「私は、小さい頃から家族に嫌われてる。自分を否定されて、私もそんな自分が大嫌いだった。人が何を言っても、私は理解が出来ない。人の気持ちを考えられない。
けれど、初めておばあちゃんに光蘭祭の花火を見せてもらった時、凄く感動したの。夜の暗い闇で輝く花火に虜になった。言葉を発していなくても、その素晴らしさは痛いほど伝わる。
作っている人がどんな思いで、作っているのか。万民を魅了してしまうその綺麗さに。花火を見ている時だけは、私も普通の人になれる。花火の美しさに、同じように感動しているその瞬間が好きになった。だから私は花火が好き。」

怖くて顔を見れない。
どんな反応をするのか。怖かった。でもきっと暮名くんは知っている。私が普通じゃないなんて。話が食い違うことなんて日常茶飯事なのだ。

「すげぇな、花火。」

しかし頭上から降ってきた声は、あまりにも明るかった。

「…え?」

予想とは百八十度違うその返答に、思わず情けない声が喉をつく。今の私の話に、凄いと言えることはない。私の本当の意味での、黒歴史なのだ。

「だってさ、玲の心の拠り所になってくれたんだろ?父さんが。花火って凄いんだな。」

どうして、どうしてこの人は私が望んでいた言葉を汲んでかけてくれるのだろう。
人と分かち合えるって、こんなにも素晴らしいことだったんだ。
私はただ、こんな風に話したかったのだ。

「…うんっ」

そして私たちは再び夜空に咲く、大きな大きな花火を見上げ続けた。
お互いの手を温め合いながら、ずっと空を見上げていた。そんな私と暮名くんの頬には、花火が咲き誇る度、一筋の光が流れていた。
まだ熱で火照った頬を、静かに冷やしていった。