「はーい。」

気だるそうな顔を見せた先生は、私の鼻血を見ると、素早くティッシュを持ってきた。

「大丈夫?」
「…何とか。」

苦笑いを浮かべながら、生返事をする。
そして、私たち二人を保健室に手招きした。保健室の真ん中にある、小さな丸机に座る。
ティッシュを貰いたいだけだったのに、大袈裟な処置にされるがままだったの私だった。それから暫く、鼻を押さえていると、自然と止血された。
それを確認すると先生は、はあとため息を吐きながら、私たち二人を見た。
長い黒髪と、長い睫毛のせいなのか、その唇が妙に色っぽく見えてしまう。

「で、どうしたの。」
「お、俺が、ボールぶつけちゃって。」

私と先生の視線を一身に受け、その男子生徒は小さく萎縮していた。大きな手で手遊びをしているかのように、動かしている。
私の重い体を運んだとは、信じられないほどに。

「またやったのー。暮名くん。」

呆れたように眉を寄せる先生の表情からして、今回が初めてではないらしい。
そして、名前を暮名というらしい。
何処かで聞いた事がある名前だ。
そう思っていると、

「はい。ほんと、申し訳ねえっす。」

私の方を向いて、何度目か分からない謝罪を述べた。その頭を見ると、罪悪感が湧いてきた。それはまあ、ちょっとは痛かったけど。
頭を下げてもらうほどのことではない。
ましてや、私なんかに。塵として扱われるのが当然なのに。

「全然、大丈夫、です。びっくりはしましたけど。」

そう言うと、暮名くんは、ニッと笑顔を見せた。
その笑顔が眩しくて、思わず目を逸らす。

今気がついたけれど、暮名くんの顔はとても整っていた。
サッカー部であるはずなのに、陶器のように透き通る白い肌と、大きな瞳に薄い唇、その美しすぎるパーツが、これまた素晴らしく配置されている。
そして、全身に可愛いルックスを柔らかく纏っている。
その時、合点がいった。

女子から、大人気のあの暮名くんじゃ…

そうだ。一年生に、美少年だと騒がれている男子生徒がいた。友達がいない私でも噂を知るほどの人気者。その人が話す度、笑う度、美しくて、多くの女子を虜するという、暮名くん。
私と一生関わることの無い人種。
廊下ですれ違ったこともあるが、取り巻きの女の子たちが多くて、始終圧倒されていた。
そんな暮名くんが、当たり前のように目の前にいる。

「よかったぁあ。まじで焦ったんだよ、俺。ガチでボール蹴ってたからさ。」

私が口を開けて、情けなくパクパクしているのも、気が付かず笑顔で私に話しかける。
その笑顔は、純粋無垢で、女子から人気がある理由も分かる気がする。
一緒にいるだけで、自分の邪気が払われていくような、そんな感じ。
そんな人に、お姫様抱っこをされていたのだと思うと、少し体が熱くなる。
いつの間にか、先生はいなくなっていて、私と暮名くんの二人が残されていた。

暮名くんは、私と違い、フレンドリーだ。
私の反応が薄くても、一人で話している。私が口篭っても、笑顔で待ってくれていた。
それに、少しだけ救われた。
この時だけ、自分も、普通の人間のフリが出来る。
女子の会話のように、相手を探る巧みな会話じゃなくて、ただ素直に聞いていれる話ばっかりだった。
それから、私たちはずっと保健室にいた。冷気が充満していた保健室が心地よかったのか、椅子から離れることはなかった。
あの短時間だけで、色んなことを知れたと思う。
でも、一番知れてよかったのは、暮名くんが花火職人の息子だということ。
夏が近づいているこの時期は忙しいらしい。この町で毎年行う、花火大会用の花火の作成に追われているのだそう。
だから、少しだけ花火が苦手だと、言っていた。

「え、お父さんが花火職人なのっ?」

そう目を輝かす私に、暮名くんの目は丸く見開いていた。
花火職人は、私にとって憧れの職業。
小さい頃に花火に心を奪われてから、ずっと大好きなもの。

「そうだよ。咲口さん、花火好きなの?」

大きな双眸をさらに見開いた暮名くんを見て、一気に恥ずかしさで体が火照る。
自分の好きを誰かに言ったのはこれが初めてかもしれない。

「う、うん。」

俯きながら頷く私を見て、暮名くんは微笑む。家業を好いてくれる人がいて、嬉しかったのだろうか。
火照った頬を冷やそうと、手のひらを押し付ける。
理由を聞かれるかと思ったが、以外にも暮名くんは理由を問うことはしなかった。そのことがさらに私の心を解きほぐす。

退出時刻になって、私たちはようやく別れた。
夕日を背中に手を振り合うその姿に、もう気まずさなんてなかった。
私が、暮名くんに感じた第一印象は、変な人。
そして、少しだけみんなと違う人。