『玲ちゃん、今日の光蘭祭り来てくれる?』

私の狭くて暗い一人部屋がスマートフォンの画面によって照らされる。
時刻が六時を過ぎていたからか、余計に画面の明るさが引き立つ。
友達もいない私のスマートフォンの通知がなるなんて、滅多にない。
だからか、心臓がヒュッと鳴った。
暮名くんかもしれない。

もしかして目覚めたんじゃ…?

そんな思いを抱えて覗いてみると、差出人は暮名くんのお母さんだった。

そういえば、今日は光蘭祭りだ。
毎年花火に恋焦がれて、赴いていた祭り。そして、暮名くんと共に笑った思い出のイベントである。
けれど、今年は行く気になれなかった。あの壮大な花火を前にして、自分のちっぽけさが引き立って、暮名くんを思い出して、きっと泣いてしまうだろうから。
あの場所へ飛び込むには、私は堕ちすぎた。

『行かない予定でした。何かありましたか。』

ベッドに横たわり画面を操作する。メッセージを送るとすぐに既読がついた。

『今日の花火、玲ちゃんにぜひ見てもらいたいって、旦那が。予定が無ければ来てくれないかな?』

謝っているスタンプと共に返信が来た。
私が花火が好きだということは暮名くんから伝わっていたらしい。暮名くんのお父さんの花火を毎年見ていることも。
だから、それも兼ねて誘ってくれているのかもしれない。
断る気にはなれなかった。
もし花火を見て心臓が縮んてしまいそうになっても、自分自身のせいだからと腹を括るしかないのだろう。

『分かりました。』

私はそうメッセージを送った。

 
 「玲ちゃん、呼び出してごめんね。見て欲しいものがあって。」

私たちが待ち合わせしたのは、屋台が連なる通りの入り口だった。
他にも待ち合わせらしい人が列をなしていた。スマートフォンを眺める者。小さな手鏡で自分の身なりを確認するもの。
どれも甘酸っぱくて、去年のことを思い出してしまう。
慣れない草履で向かう道は難しかったけれど、これから起こるであろう出来事に思いを馳せて苦にならなかった。何度も手鏡で自分の容姿を確認していた、甘酸っぱい思い出。
あの日から一年。
思い出すだけで、息が苦しくなる。

「いえ。お待たせしました。」

小さく微笑みながら私は暮名くんのお母さんの元へ駆けた。足の重みが去年より軽くて、暮名くんがいない事実を私に突きつける。

「じゃあ、案内するね。」

そう言って案内されたのは、打ち上げ花火が一番よく見える河原だった。きっと関係者じゃないと入れない。
有料席でさえも、もう少し離れている。
そして河原には大量の打ち上げ花火と思われる群が広がっていた。

「ここって…?」

こんな舞台裏に私なんかが来てしまってもいいのだろうか。

「言ったでしょ。見てもらいたいものがあるって。」

何かを企むようにお母さんはニヒルに笑う。その不敵な笑顔に疑問を覚えたのも束の間。

「いきます!」

そんな声が聞こえた。
野太くて、強くて、思わず肩が跳ね上がる。
その声の方向をみると、暮名くんのお父さんが立っていた。
ヘルメットを被って仲間に指示するお父さんは、かっこよかった。花火職人ってすごいなとまた思う。
そしてみんなを率いて、目標となるその姿は暮名くんに似ている。

ドーン

花火が打ち上がった音がする。
こんなにも花火が近かったことはない。思ったよりも大きなその音に、お母さんも私も驚きを露わにした。

光蘭祭りの花火は、一つ一つの花が巨大なことで有名である。
一発の威力では日本でもトップクラスで、広大な空に一輪の巨大な花が咲き誇る。
この花火を見に、観光客が訪れるくらいだ。
私は光の筋を辿った。
今年はこの壮大な花火を見て、どう思うだろう。

…あれ?

けれど、中々巨大な花は咲かない。小さな花が咲き、少しの間沈黙が訪れた。
もしかして失敗なのかもしれないと思っていた時。
小さな破裂音が無数に爆ぜる音が辺りに響き渡った。
私はその光景を見た瞬間、息を呑んだ。
呼吸も忘れてしまう。
先ほど咲いた花の周りに、一気に無数に花火が広がる。
弧を描くように、無数の小さな花が層になって、咲き誇っていた。
何百にも及ぶ小さなは花が色とりどりに空を埋め尽くして、それは視界に収まらないほど。
微かに残る雲を赤く、青く、白く、黄色く染めている。
空という巨大なキャンバスが、丁寧に、かつ大胆に色をのせられているような感覚。
非現実的な美しさだった。全身が震えて、鳥肌が覆うのを感じた。

ワアァァァッ

花火を見に来ていた人々から次々に歓声が上がる。会場がこの花火の美しさに目を囚われている。
私もその一人だった。

「すごい。綺麗。」

この時の感動をどんな言葉で紡げばいいのだろう。一輪に咲き誇る花火よりも、小さな存在が集まって、大きな形を成している。
余白など見当たらず、空を彩り続けている。
何人もの心を掴んで離さない花火がそこにあった。
花火は優しい音で上がり続けて、空に色を残していった。
こんなに綺麗なものが世界に存在していたんだ。

恐れていたものは、何もなかった。
自分の存在なんてその時は思い出すことも出来なかった。
ただ花火に心を動かされた、幼少期の気持ちが思い出される。
どうしようもなく、目が離せないでいた。

「良かった。これを見せたかったの。」

あの花火の後、巨大な一輪の花火に戻った。
もちろんそれも美しかったが、私はあの感動を超えることはできなかった。
クライマックスも終了し、興奮が冷め切らぬまま暮名くんのお母さんにいかに感動したのかを語った。
その話を聞くと、会心の笑みを浮かべた。

「ありがとうございました。」
「いいえ。泣いてしまうほど感動してくれたのね。」

…え?

その一言で、私の頬に伝う涙に気がついた。
仕切りに流れて止まらない。
あの美しさに打ちのめされたようだ。
手の甲で涙を必死に拭うが、溢れて止むことはなかった。

「翔も喜ぶと思うわ。」

暮名くんのお母さんもそう言うと、目頭を親指で押さえた。

「暮名くんが…?」

どうしてここで暮名くんが出てくるのだろう。
その時、肩に何かが触れた。
思考を巡らせていた私は突然のその感触に肩を跳ね上げた。恐る恐る振り返るとそこには暮名くんのお父さんが立っていた。
ヘルメットと作業着を身につけ、普段と違う様子に緊張してしまう。

「あの花火は、翔が作ったんだ。」

そう言い、お父さんは私にB5サイズくらいの紙を手渡した。

暮名くんが作った?
暮名くんはずっと眠っている。そんな訳がない。あり得ない。

けれど私は吸い込まれるようにその紙を眺めた。
その紙には、花火が打ち上がった時の構想図だろうか。それが描かれていた。

『玲を喜ばせる花火』

そんな見出しが目を引く。
滑らかで綺麗な線が特徴の筆跡だ。

「暮名くんの字。」

気がついた瞬間、息を呑んだ。呼吸が苦しくなった。もしかしてと言う自分に都合の良い妄想が並べられていく。
紙の下の方に目をやると、私が涙した花火が描かれている。
地平線に、無数に爆ぜる花火たち。
その花火には棒線が引っ張られていた。

『花火が好きな玲だから、沢山咲かせたい』
『色とりどりの花火に目が輝いていた。だから色んな色を一気に出したい』

『…難しい?』
『視界が花火でいっぱいになったら玲が感動してくれるかも』
『玲は青が好きだから、青を多く』
『玲の心を癒す壮大な花火にしたい』
『玲を俺の花火で泣かせたい』
『玲の笑顔が見たい』

涙で視界がいびつに歪んでいく。
ああ、どうして、この人は。
私の心を掴んで離さないんだろう。

「泣いちゃったよ、ばか。」

思わずそんな可愛くない言葉が喉をつく。あの花火は私を想って作ってくれたらしい。言葉通り、どうしようもないほど心が震えた。
この世にあんな美しいものがあったなんて。それを暮名くんが作ってくれた。私との約束を覚えてくれて、それを実現してくれた。
そんなことを知った暁には、私の暮名くんの気持ちは止まらなくなってしまう。

「翔がこんなことを書いていて、びっくりしたんです。だけど、それなら旦那が作ってあげようって。翔の願いを叶えてあげようって。」

まだほんのりと色づく雲を見上げながら、暮名くんのお母さんは呟いた。
もう、感謝しても仕切れない。

「翔の作戦、成功したみたいね?」

僅かに赤く染まった瞳で私を見て、不敵に笑う。私もその笑顔に釣られて自然に笑みと涙が溢れた。
寡黙なお父さんもお母さんの言葉に同意して、

「喜んでくれたなら、良かった。」

と語ってくれた。
そして私たちはいつまでも、暮名くんの匂いのする空を見上げ続けていた。
私の人生の線香花火が再び灯ろうとした瞬間だった。
その闇を切り裂くように、暮名くんのお父さんのポケットに入っていたスマートフォンが鳴り出した。

プルルルル

そんな高い音が不気味になった。
「…はい。」

お父さんもその気配に勘付いたのか、いつもよりワントーン低い声で電話に出る。

「…え?本当ですか?」

その声に私とお母さんはその声に思わず振り向く。