暮名くんは何とか一命を取り留めている。
頭の打ちどころが悪かったら即死だったらしい。トラックと正面衝突したのに生きていられるのは、奇跡らしい。
けれど、暮名くんはあの日から目覚めていない。
いつ目覚めるかの目処すら立たない。一生目覚めないことを覚悟した方がいいと医者に言われたらしい。
死んだように息を潜めて、病室の一角で眠っている。酸素マスクをつけて白い肌を更に白くして、気持ち良さそうに。
私はあの日から罪悪感という名のしこりが心臓の奥深くに根付いていて、どうやっても取れない。このまま眠り続けていたらと思うと、殴られるような頭痛が襲う。

「今日もありがとう。玲ちゃん。」

私は毎日のようにお見舞いにきている。今日も放課後走って病院までやってきた。そこにいるのは暮名くんのお母さんだ。
暮名くんの家族は私を非難するまでもなく、まるで家族のように扱ってくれる。
けれどそんなお母さんは見るたびに憔悴しているような気がする。
ツヤツヤだった髪の毛は次第に乱雑に結われていて、大きな双眸の下には黒いクマが広がっている。

「暮名くんは、落ち着いていますか?」

息を整えながら、愛しい人が眠るベッドの前へと足を伸ばす。この時間は約半年経った今でも一向に慣れない。もしかしたら何事も無かったように眩しい笑顔を見せてくれるかもしれない。反対に息が浅く苦しんでもがいているかもしれない。
けれど、今日もどちらでもない。
いつも通りだ。
死んでいるように、音も立てず眠っている。
その白い瞼が持ち上がることはない。

「そうね。玲ちゃんが来てくれてるからかしらね。」

そう笑う顔は暮名くんにそっくりなのだ。思わず目頭が熱くなって、天井を仰いだ。
私は近くにあった椅子に腰掛けた。
長いまつ毛が肌に影を落としている。酸素マスクが呼吸の度に白く曇り、今にも「おはよう。」と何でもない顔で抱きしめてくれそうな気がする。
暮名くん、私たちもう二年生だよ。
同じクラスになれたんだよ。移動教室だって一緒に回れるし、席が近くなったらずっと一緒にいられるよ。
そんな思考を振り払って、私は乾いた笑いを落とす。
ただの現実逃避にしか過ぎない。
決して既読もつかない、返信が来ないメールを送るのもそろそろやめよう。もしかしたらと、心の底では縋る気持ちがあるのだろう。

「おはよう。」
「今日は学校が休みだって。」

そんな報告するだけのメール。
暮名くんのスマホには、何百通もの通知が溜まっていると思う。現実を見ないところも、私の短所だ。
ふと窓の外を見てみると、大きな入道雲が空に描かれている。ハッキリ、クッキリと線を描いて。
もうすぐ一年が経とうとしていた。
私たちが手を握り合ったあの日から。
暮名くんのお父さんは今年も光蘭祭りで打ち上げられる花火の制作に忙しくしていた。毎日会っていたお父さんは、近頃全く会っていない。今年は何か壮大な構想があるらしく、毎日部屋に篭っているらしい。お父さんは弱音こそ口にしないものの、暮名くんの手を握る力が強かったのを私は知っている。
暮名くんに冷たく当たっていた時期があったのは嘘ではないらしい。
花火の素晴らしさを知ってもらいたい、それだけを追求するあまり暮名くんを気遣う余裕が無かったと、お母さんは教えてくれた。

「けれど、そんなあの子が花火を一生懸命作って、頑張っているんです。玲ちゃんに喜んでもらえるように、と。」

涙を流しながら、嬉しそうに笑っていた。
それほど私の存在は大きかったと感謝までされてしまった。
そんな話をお母さんはよくしてくれるようになった。

「翔の一目惚れだったみたいで。お花に水を上げる姿に惹かれたらしいわよ。
元気がない花に向き合ってる笑顔が好きになったと、ぽろりと口から溢してたの。
昔から女の子が苦手だったあの子が、人を好きになってくれているなんて、聞いた時は涙が出そうだった。」

暮名くんの口からは溢れることがなかった言葉。そんな言葉をお母さんは、

「内緒よ?」

と小指を唇に当てて話してくれた。
私のことを心から信用している面持ちで、微笑みかけてくれた。
その話は気恥ずかしい気もするし、私に向けられるべきものではないとも思う。
けれど、そんな話を聞くたび、私は暮名くんに恋焦がれてゆく。
何も出来ない。迷惑をかけることしか出来ない自分がどうしようもなく嫌いになっていった。

あの時のように。暮名くんに会う前の私に戻ったみたいだ。
勿論家族との関係も良好にならないし、家に遊びに来た弟の友達ですら私を軽蔑しているように思える。弟が何か吹き込んでいるのだろう。
日々、まるで地中に眠った怪物が這い上がっているような気がしてならない。
気を緩めてしまえば、その怪物の醜い姿が顔を出す。
今にも壊れてしまいそうなのだ。

再び、ふとおばあちゃんの言葉を思い出している。
確かに、人生は線香花火かもしれない。
細くて拙い小さな棒から編み出される光と闇の数々。人生にはその人だけの苦労がある。死んでしまいたくなることがあるのは、痛いほど分かる。
どうして自分はこうなのか。そしてそれを変えられない自分にも腹が立って仕方ない。
こんなことを言うのは早すぎると言われてしまうかもしれない。
けれど、人生は闇だらけだった。光が灯った時期なんて、暮名くんと過ごしたあの一瞬。静かに儚く消えてしまったけれど、あの一瞬だけは確かに幸せだと叫べた。
線香花火でいうところの、思わず目を細めてしまうような眩しさが咲くあの一瞬。あの光だけを求めて人はもがく。
けれど次第に光り輝く時間は過ぎ去り、最期は全てを失い消えていく。
私の人生の線香花火は、潰えてしまった。
暮名くんのいない日々なんて耐えられない。いっそずっとこんな自分を嫌いでいるだけの方が、幸せだったのかもしれない。
あの光を知ってしまったら、人間は貪欲にその光を求めてしまう。
もし、人生が線香花火なんだとしたら、もう私は線香花火を愛することが出来ない。
大嫌いだ。